牧野義雄
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牧野 義雄(まきの よしお、1869年(明治2年)12月25日-1956年(昭和31年)10月18日)は、愛知県西加茂郡挙母村(現:豊田市)出身で、主にイギリスで活動した画家、随筆家である。
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[編集] 生涯
1869年、挙母藩士の次男として、挙母村で誕生する。詩人である野口米次郎と渡英後、一時同居していた。アルバイト暮らしの貧乏生活を送りながら絵を描き続けたが、美術雑誌の編集長、スピールマンに見いだされて活躍した。彼のことをイギリスでは、「霧のマキノ」としてもてはやした。また、1921年に訪英した日本の皇太子(後の昭和天皇)に謁見している。第二次世界大戦が激化したため、帰国。イギリス時代に懇意となった重光葵の援助を受け、重光家と共に疎開をしている。その縁で油絵や鉛筆画が重光葵記念館にも展示されている。
[編集] 経歴
- 名古屋英和学校卒業
- 1893年 - 渡米
- 1897年 - 渡仏後、渡英
- 1907年 - 画集、『The Colour of London』を出版(水彩画とエッセイが掲載)
- 1908年 - 画集、『The Colour of Paris』を出版
- 1909年 - 画集、『The Colour of Rome』を出版
- 1910年 - 英文エッセイ『日本人画工 倫敦日記』を出版、イギリス紳士録に記録
- 1923年 - マリ-・ビロン(フランス人)と結婚
- 1928年 - 離婚
- 1942年 - 帰国
- 1956年 - 死去。享年87
[編集] その他
- 日本では長く無名の画家であったが、ロンドン漱石記念館長で崇城大学教授恒松郁生の研究などで知られるようになった。
- 「霧のロンドン」という日本語の表現は、彼が最初に言い出したと言われている。
- 2006年に開運!なんでも鑑定団で『雨のBBC』に2000万円の値がついた。その価格以上に、作品と幻想的な作風に対して感銘を与え、視聴者からテレビ局や出版社に問い合わせが殺到した。
牧野義雄関連の書籍' 『霧のロンドン』 牧野義雄著 恒松郁生訳 雄山閣 2007年9月 『牧野義雄画集』 恒松郁生編 雄山閣 2007年10月 『牧野義雄のロンドン』 恒松郁生著 雄山閣 2008年3月 『牧野義雄画集II』 恒松郁生編 雄山閣 2008年3月 英文牧野義雄伝
YOSHIO MARKINO - A Japanese Artist in London, SMP(UK) 2008年3月
『牧野義雄のパリ』 恒松郁生著 雄山閣 2008年春 『牧野義雄のローマ』 恒松郁生著 雄山閣 2008年春 『牧野義雄と重光葵』B.シェパード著 恒松郁生訳 雄山閣 2008年春
[編集] 関連項目
- ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー - 初めは嫌いだったが、原撫松の影響を受け好きになった。
- ルース・ベネディクト - 『菊と刀』で恥を重んずる誇り高き日本人として、彼の行動が紹介。
- 夏目漱石 - ほぼ同時期にイギリスに留学していた。
- 豊田市美術館 - 牧野の絵を一番多く所蔵している。
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最終更新 2008年3月30日 (日) 03:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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