猪谷千春
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| オリンピック | ||
|---|---|---|
| スキー | ||
| 銀 | 1956 | 男子 回転 |
猪谷 千春(いがや ちはる、1931年5月20日 - )は、日本のスキー選手。
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[編集] 人物概要
1956年のコルティナダンペッツォオリンピックで日本人としてはじめて冬季五輪メダリストとなった。その後、IOC委員となり、2009年まで副会長を務めた。日本オリンピアンズ協会でも副会長を務めている。
また、実業家としても活躍し、現在AIU保険会社名誉会長である。
北海道国後郡泊村出身。元妻の晶子はベースボール・マガジン社を創設した池田恒雄の娘。
[編集] 略歴
- 1931年5月20日 日本スキー界の草分け・猪谷六合雄の長男として、北海道・国後島で生まれる
- 1934年- 猪谷六合雄によるスキーの英才教育をうける
- 1935年9月2日 国後島を離れる
- 1936年4月 父の地元である群馬県勢多郡富士見村に転居。富士見村立富士見小学校箕輪分校に入学
- 1938年12月 乗鞍の番所に転居、鈴蘭競技大会に出場し、大人に混じって8歳ながら入賞
- 1939年 大町大会(参加制限14歳以上)に特別参加し実質優勝
- 1943年 神宮大会に小学5年生で特別参加、優勝者のタイムを6秒も上回る
- 1948年 第26回長野国体で圧勝、第6回オスロ冬季五輪代表に決定
- 1952年 オスロオリンピックに出場、11位に終わる。
当時のAIU保険会社の創始者であったコーネリアス・バンダー・スターがこのまま日本に居たら入賞も出来ない。 「アメリカに来れば君はメダルを取ることが出来るだろう。お金を出すからアメリカに来ないか。」と申し出る。
- 1953年 コーネリアス・バンダー・スターの支援でアメリカ・ダートマス大学に留学
- 1956年 アメリカ在住でコルティナダンペッツォオリンピックに出場。スキー男子回転で銀メダル獲得
- 1957年 ダートマス大学卒業
- 1958年 バドガシュタイン(オーストリア)での世界選手権に出場、回転で銅メダル獲得、大回転でも6位入賞を果たす。
[編集] 日本冬季五輪初のメダル
父・六合雄の指導でスキーを始め、1956年に開かれたコルティナダンペッツォオリンピック男子回転競技で日本の冬季オリンピック史上初の銀メダルを受賞。この事は後年自らの自伝を元に製作されたアニメーション映画「栄光へのシュプール」に描かれた。 父、六合雄は千春のために山小屋の管理人や営林署勤務などをして日本全国雪を求めた。 テクニックは千島時代に覚えたものでこの時すでに千春に教えるものはなかったと後に六合雄氏は著書に記している。
[編集] AIU保険会社での活動
親代わりであったコーネリアス・バンダー・スターの会社であったAIU保険会社を手伝う事になる。
1959年にAIU保険会社に入社し、日本支社長、AIU日本法人の会長などを経て現在名誉会長。
[編集] IOC委員として
1982年から国際オリンピック委員会(IOC)委員となり、理事を2回にわたり経験。(第1期が1987年~1991年、第2期は1996年~2000年)長野オリンピックの招致活動から開催に至るまでを支えた。
2006年のトリノオリンピックでは、副会長として現地入り。男子回転の表彰式でプレゼンターを務めた。この際、日本の皆川賢太郎が大健闘。終盤まで3位につけ、日本人で唯一のアルペン競技メダリストである猪谷の手での同胞へのメダル授与が実現するかと思われたが、最終競技者が皆川を上回ったためこれは実現しなかった。しかし湯浅直樹も7位に入ったため日本アルペン史上初のオリンピック同一種目複数入賞という快挙を見届けることとなった。
[編集] アニメ映画
- 『栄光へのシュプール 猪谷千春物語』(1997年)
- 同名のアニメ絵本が同じ年に岩波書店から出版されている
[編集] 外部リンク
最終更新 2009年11月2日 (月) 07:30 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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