猿猴橋
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| 猿猴橋 | |
|---|---|
| ファイル:猿猴橋01.JPG欄干 橋全体 |
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| 所在地 | |
| 長さ | 62.4m |
| 幅 | 8.5m |
| 形式 | 5径間連続鉄筋コンクリート桁橋 |
| 素材 | 上部工:RC橋、下部工:RC構造 |
| 建設 | 1???年 木橋 1926年 RC橋 |
| 橋の分類 | |
| 形式 - 国 | |
| 一覧 | |
| 橋の一覧 | |
猿猴橋(えんこうばし)は、広島県広島市の猿猴川にかかる道路橋。現存する橋梁のなかでは市内最古のもので、被爆橋梁の一つ。
目次 |
[編集] 概要
橋名の由来は「猿猴川に架かる橋」からであり、猿猴とは河童の一種。
左岸側はJR広島駅前にあたり、愛友市場・猿猴橋市場などがある。上流側に駅前通りの駅前大橋、下流側に広島電鉄本線が通る荒神橋がある。最寄の駅は左岸側にある広電猿猴橋町駅。昔は西へ道沿いにまっすぐ進むと京橋にたどりついたが、駅前通り(広島市道駅前吉島線)改良に伴い直進できなくなっている。
もともと西国街道筋の木橋だったが1926年3月に鉄筋コンクリート桁橋として永久橋化。1945年8月6日原爆被災(爆心地より約1.82km)。2009年現在、京橋・栄橋・比治山橋・荒神橋・観光橋と共に、現存する被爆橋梁の一つである。
[編集] 諸元
- 路線名 : 広島市道南1区12号線
- 橋長 : 62.4m
- 幅員 : 8.5m
- 上部工 : 5径間連続鉄筋コンクリート桁橋
- 下部工 : RC橋台2基、石張RC壁式橋脚4基
- 基礎工 : ?
[編集] 歴史
最初の架橋年度は不明。広島藩主が浅野氏に替わってから京橋とともに参勤交代の主要ルートとなったことから、江戸時代初期には架設されていたようである。
元禄年間、西国街道は猿猴橋へと抜けるルートに変更されると、東方から広島城下中心部に向かう玄関口として最初に渡る木橋となった。藩政時代において防衛上、橋の架橋は制限されており、この橋は猿猴川に唯一架けられた西国街道筋の橋であった。江戸末期の時点でその他の橋は、西国街道筋の己斐橋・福島橋(現存せず)・天満橋・本川橋・元安橋・京橋・神田橋、雲石街道筋の横川橋ぐらいだった。
明治に入ると國道四號筋に架かる橋として機能、1926年(昭和元年)3月、鉄筋コンクリート桁橋として架け替えられた。贅を尽くした美しい橋で、橋名を記した四隅の親柱の上に地球儀にのり羽ばたく大きな鷲の像が、欄干には猿猴二匹が向かい合って1つの桃を掲げている銅製の飾りがついていた。その様子は広島一と言われ、渡り初めには遠方からたくさんの人が来たと伝えられている。
金属製の飾りはその後、太平洋戦争中の1941年(昭和16年)金属回収令で取り外され、石造りの本体だけとなった。1945年(昭和20年)8月6日原爆被災。爆風方向に架かっていたため、一部欄干の破損があったものの落橋にはいたらなかった。そのため、広島市内から当時救護所に指定されていた東練兵場(現在の東区光町・若草町一帯)への避難経路として使われた。
戦後、欄干は一部直されたが、傷跡は今も確認できる。1956年(昭和31年)、駅前大橋完成に伴い主要幹線からは外れ交通量が減り、地元住民の生活道路として使用されている。また現在、親柱・欄干を架設当時のデザインに復元する運動を地元住民が中心となり起している。
[編集] 水道橋
猿猴橋上流側には昔、水道橋が存在し、長い間市内最古の水道橋として使用されてきた。1897年(明治30年)竣工、1934年(昭和9年)架替。1945年被爆(爆心地から約1.81km)。その後直されて使用されてきたが、2005年(平成17年)9月台風14号による洪水で一部橋脚が洗掘により沈下してしまい使用停止。2007年(平成19年)に全撤去された。現在、橋脚の石積の一部がモニュメントとして残っている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 猿猴橋解剖学 - 広島市
- 被爆橋梁リスト - 同
- 広島原爆戦災誌 第二巻第二編PDF - 同
- 広島県の近代土木遺産一覧 - 国交省・中国地方整備局
- ヒロシマをさがそう - NHK広島
- 猿猴橋親柱復元へ貴重な資料 - 08年6月17日付中国新聞
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