琴欧洲勝紀
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| 琴欧洲勝紀 | |
|---|---|
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| 四股名 | 琴欧洲勝紀 |
| 本名 | カロヤン・ステファノフ・マハリャノフ |
| 愛称 | カロヤン |
| 生年月日 | 1983年2月19日 |
| 出身 | ブルガリア・ヴェリコ・タルノヴォ |
| 身長 | 204cm |
| 体重 | 155kg |
| BMI | 37.98 |
| 所属部屋 | 佐渡ヶ嶽部屋 |
| 得意技 | 右四つ・寄り |
| 成績 | |
| 現在の番付 | 東大関 |
| 最高位 | 東大関 |
| 生涯戦歴 | 351勝186敗14休(43場所) |
| 幕内戦歴 | 280勝171敗14休(32場所) |
| 優勝 | 幕内優勝1回 十両優勝1回 幕下優勝1回 序ノ口優勝1回 |
| 賞 | 殊勲賞2回、敢闘賞3回 |
| データ | |
| 初土俵 | 2002年11月場所 |
| 入幕 | 2004年9月場所 |
| 趣味 | 映画鑑賞 |
| 備考 | |
| ヨーロッパ出身力士初の大関 元アマチュアレスリング欧州ジュニア王者。 |
|
| 2009年7月26日現在 | |
琴欧洲勝紀(ことおうしゅう かつのり、1983年2月19日 - )は、ブルガリア・ヴェリコ・タルノヴォ出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲力士。本名はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフ(ブルガリア語:Калоян Стефанов Махлянов、ラテン文字転写例:Kalojan Stefanov Mahljanov)。
目次 |
[編集] 人物
身長204cm、体重155kg、握力120kg。長身と、懐の深さ、抜群の格闘技センスで番付を駆け上がり、初土俵から所要11場所で入幕。
2005年11月場所終了後に大関に昇進した。最高位は東大関(2007年1月場所、2008年3月場所・7月場所、2009年3月場所)。得意手は右四つ・寄り。通称カロヤン、趣味は映画鑑賞、好物はラーメン、血液型はO型。
端正な顔立ちで人気も高く、一時期は「角界のベッカム」とも呼ばれた(因みにベッカムと最初に形容したのは大相撲中継にゲスト出演した大村崑である。)。しかし琴欧洲の好きなサッカー選手は母国の英雄フリスト・ストイチコフである。
左上手を取ってからの強烈な投げや寄りが得意だが、総じてプレッシャーに弱いところが弱点とされている。勢いでとっている面があり、調子がいいときには横綱をも負かすが、悪いときには平幕にもあっさり負ける面がある。しかしながら、将来の角界を担う存在として日本国内はもちろんのこと海外からも期待を集めている。
朝青龍とはあまり相性が良くなく、対戦成績は琴欧洲の6勝15敗。また、横綱白鵬にも相性が悪く、成績は琴欧洲の7勝18敗。平幕では若の里と相性が悪く、対戦成績は琴欧洲の3勝8敗。安美錦、豊ノ島にも相性が悪く、安美錦には8勝11敗。豊ノ島には6勝6敗。逆に千代大海には相性が良く、対戦成績は琴欧洲の16勝7敗。高見盛戦は6戦全勝で、勝率で朝青龍(10勝1敗)、白鵬(5勝1敗)の両横綱を上回っている。
[編集] 来歴
[編集] 入門から関脇
レスリング経験者で、欧州ジュニアチャンピオンの実績も持つ。当初はオリンピックをめざすがレスリング競技において無差別級が廃止となった事もありレスリングの道を断念し、佐渡ヶ嶽親方(当時=元横綱・琴櫻)のドイツ在住の知人で実業家の中本氏(部屋の元床山)を介して来日。四股名はヨーロッパ出身であることに由来し、下の名前の“勝紀”は師匠の現役時代の四股名である“ 琴櫻 傑將”の名前の読み(まさかつ)の一部と本名“鎌谷 紀雄”から一文字ずつ取った。師匠の佐渡ヶ嶽は停年前、横綱昇進の際には自身の現役名(琴櫻)から櫻を譲り『琴櫻州(読み方はそのまま)』への改名を考え、土俵入りの型も決めていたが、後に改名については撤回した。
新小結で迎えた2005年3月場所では4勝11敗に終わった(前場所前頭4枚目での9勝6敗による、やや幸運な昇進であったため致し方ない面もあった)。2005年7月場所の結果は12勝3敗だが、優勝争いの千秋楽で極度の緊張から自分を見失いあっけなく黒星を喫した。また、この場所は10日目の旭鷲山戦で勝ち越したが、相手の引きに手を付いたようにも見えた微妙な一番であった。
2005年9月場所には関脇昇進を果たし、それまで大鵬、千代の富士が持っていた、年6場所制における新関脇での初日からの連勝記録(8連勝)を大幅に上回る12連勝の新記録を樹立した。しかし、13日目朝青龍に敗れ連勝はストップ。朝青龍に敗れ部屋に帰る際にマスコミに雪駄を踏まれそれに怒り雪駄を地面に叩き付けた。その翌日の14日目には当時前頭16枚目ながら優勝争いに加わっていた稀勢の里にあっけなく敗れ、12連勝の後2連敗。千秋楽は大関千代大海に勝ち13勝2敗の成績で朝青龍と優勝決定戦を行い、13日目の本割に続いて彼に敗れ、史上最速での初優勝は成らなかった。しかし新関脇で13勝の勝ち星は史上最多タイの記録であり、過去に1940年5月場所の五ツ嶌、1950年9月場所の吉葉山が新関脇で13勝をあげている。
翌場所では初日垣添に敗れたものの、横綱朝青龍と大関千代大海を破り11勝(4敗)を挙げ、場所後に大関昇進。入門からわずか19場所での大関昇進は年6場所が定着した1958年以降では幕下付出を除き史上最速であった。
[編集] 大関昇進以降
大関昇進伝達式においては、前師匠の元横綱琴櫻と現師匠の琴ノ若夫妻が同席する異例の事態となった。これは、同場所中に琴櫻が65歳停年を迎えたため、規定により佐渡ヶ嶽部屋の力士が千秋楽まで土俵に上がれるよう、琴ノ若が引退して部屋を継承したことに、協会側が配慮したもの。なお、琴ノ若はいわゆる「婿入り婚」のため、琴櫻は退職後も亡くなる直前まで部屋での稽古に顔を出していた。
新大関の2006年1月場所は、初日に露鵬に敗れたが、順調に白星を積み上げて行き、一時は優勝争いにも参加したが終盤に負けが込み、10勝5敗とまずまずの成績だった。
幕内10場所目で大関2場所目だった翌3月場所は直前の稽古で右膝を痛め、一時は出場すら危ぶまれたが、本人の意思で何とか出場にこぎつけ、11日目に勝ち越したが終盤1勝3敗で9勝6敗だった。
翌5月場所も右膝と右足首が完治せず負け越しが危ぶまれたが、先代師匠の激励を受けて千秋楽にかろうじて勝ち越し8勝7敗。次の7月場所も1勝2敗から5連勝し6勝2敗としたものの、そこから崩れ再び負け越しの危険が高まったが、またしても千秋楽に勝ち越して8勝7敗。
その次の9月場所は序盤3連勝の好スタートを切ったが、中盤の3連敗が響いて10勝5敗に終わっている。場所後の2006年9月27日、成績が伸び悩んでいたため、より良い画数を考え琴欧州から琴欧洲(読みは同じ)に四股名を改名した。
その改名後の翌11月場所は序盤3連勝したものの、中盤での取りこぼしが響いて結局10勝5敗だった(口の悪いファンからは、「中洲(福岡はおろか、九州随一の繁華街。11月場所は福岡開催)でモテたいから『州』を『洲』に変えたのだろう」という声もあったらしい)。
2007年1月場所は稀勢の里に大関昇進後にもかかわらず立合いの変化で勝利を収めたため、国技館内からブーイングが起こった。2007年5月場所は、中日に7勝1敗としておきながらそこから4連敗を喫した(そのうち2敗は平幕でその後連勝したが、千秋楽に敗れ2桁勝利ならず)。この場所も稀勢の里に変化で勝利したため国技館内で更なるブーイングが発生。
2007年9月場所では新入幕の豪栄道の活躍で、大関という立場では対戦があるはずの大関・千代大海、横綱・白鵬との取組が外されてしまった。横綱・朝青龍、大関・魁皇が休場、大関・琴光喜が同じ部屋所属のため大関なのに大関以上との対戦がなかった。さらにそのような事態にもかかわらず下位力士に敗れ8勝7敗だった。
翌11月場所にはひざの古傷を痛めて、7日目に力士人生で初めての不戦敗・途中休場となる。そのため、2007年は1度も2桁勝利を挙げることが出来なかった。改名の効果が全く出ていない状態が続き、「大関にあげない方が良かったのでは?」という声も聞かれていた。
翌2008年1月場所は初の大関角番となり、10日目までは7勝3敗としたが11日目から3連敗、14日目にようやく勝ち越して角番脱出の9勝6敗に終わった。3月場所では、4日目の取組の際、左上腕部を負傷したこともあり8日目まで2勝6敗という大関の名に恥じる不甲斐ない成績であった。その為、9日目から通算2度目の休場に追い込まれ、悔しさのあまり涙した。
大関に上がるまでは、強烈な引き付けや投げを武器に優勝争いに加わる等活躍を見せていたが、大関昇進後は怪我とそれに伴う大関陥落に対する精神的な不安から、一転して長身を持て余すようなスケールの小さい取り口となった。そのため、序盤から平幕力士相手にあっさり負ける相撲も何度か見受けられ、中日を過ぎる頃には優勝争いの中に琴欧洲の名前は殆ど残っていなかった。琴櫻は生前この不振を「技術的なことよりも、精神的なことだよね」と語っていた。
ところが、体重を5キロ増やして臨んだ5月場所で8連勝で角番脱出、さらに11日目、12日目と朝青龍、白鵬の両横綱に勝利し、優勝目前となる。ここで持ち前の悪い面が出現しガチガチに固まり13日目は安美錦に対し何も出来ず負けてしまったものの、周囲がフォローする形で、兄弟子の琴光喜が援護射撃で白鵬を破り2差とし、さらにその直後朝青龍が魁皇に敗れ優勝圏外に外れる。そしてその翌日は平静さを取り戻し安馬に勝ち、ヨーロッパ出身力士では初となる幕内最高優勝を果たした。次の2008年7月場所は本来綱取り場所となるところであるが、3月場所までは勝ち越すのがやっとだったこともあり、綱と言うよりは大関としての真価を問われる場所となった。しかし初日に苦手の安美錦に敗れると7日目までに3敗を喫し結局9勝6敗に終わり、綱取りは白紙に戻った。その後の9月場所、11月場所は2場所ともに8勝7敗で千秋楽で勝ち越してはいるが、優勝した時の強さが全然表れていない取り口となっている。
2009年1月場所は中日までを7勝1敗とし、一時は優勝争いに参加したが後半で失速し10勝5敗に終わった。第33回日本大相撲トーナメントでは決勝戦まで勝ち進んだものの、決勝では白鵬に敗れ、準優勝だった。翌3月場所も10勝5敗、14場所ぶりに大関で連続二桁勝利となった。5月場所は9勝6敗で大関初の3場所連続二桁勝利はならなかったが、14日目に白鵬を破り連勝を止め、存在感を示した。
次の7月場所前には1日50番近い稽古をこなした。それが実り、7月場所では10連勝とし11日目に千代大海に敗れたものの、当時1敗だった琴光喜が全勝の白鵬を破り再び優勝争いのトップを守った。注目された13日目の白鵬との一敗同士の直接対決では完敗、優勝争いから一歩後退する。翌日の14日目には朝青龍、千秋楽には日馬富士を破り逆転優勝への望みを繋げたが、千秋楽で白鵬が朝青龍に勝利したため優勝決定戦に持ち込むことは出来なかった。それでも最終的には13勝2敗の好成績を挙げ、優勝争いに大きく貢献した。
翌9月場所は1月場所同様中日に7勝1敗とし9日目に勝ち越したが、10日目から5連敗を喫して9勝6敗に終わり、二桁勝利を挙げることすら出来なかった。
[編集] 略歴
- 2002年11月場所 - 初土俵
- 2004年5月場所 - 新十両
- 2004年9月場所 - 新入幕
- 2005年3月場所 - 新小結
- 2005年9月場所 - 新関脇
- 2006年1月場所 - 新大関
- 2008年5月場所 - 初優勝
[編集] エピソード
- 2004年9月、出身国の名を冠したヨーグルトを販売する明治乳業から化粧まわしを贈られた。同社は特約を結び、自社製のヨーグルトを納入している。2005年大晦日放送の『NHK紅白歌合戦』で審査員に招かれたが、グループ魂のボーカリスト、破壊(阿部サダヲ)の巧みな誘導で、「ブルガリア」とつい商品名を言ってしまった(君にジュースを買ってあげるを参照)。
- ブルガリアの実家にいた頃は毎日約2キロものヨーグルトを食べていた。
- CM出演の際に報道陣に日本のヨーグルトはどうかと質問された時は、「ブルガリアのとは違うけど、でも美味しい」と答えていた。
- 本名にちなんで第一三共ヘルスケアからもカロヤンのCMのオファーがあったが、こちらの方は断った。
- 故国の両親への仕送りをしているが、両親は「あの子(琴欧洲)には自分のために使ってほしい」と言っている。今まで母には洗濯乾燥機、父には腕時計、自動車(中古のフォード車、新車のトヨタ・ランドクルーザー)を贈っている孝行息子である。
- 来日以来、ご飯が苦手で食べられず、ラーメン党に転身。ブルガリアでは米類はヨーグルトに混ぜて食べるお菓子であり、その感覚からかご飯を主食で食べる行為が気持ち悪く感じられ、どうしても苦手。体重が増えないために優勝をとり逃すことが多かった。だがその後、決心してご飯に牛乳、チーズをかけ大量に食し体重を増やし、ついには本場所で優勝できた。ブログにはカツ丼、寿司を食べたと書かれている。
- 餅は食べられるらしく好物でもある。正月時に食するみぞれ餅、豆餅、きな粉餅、等はいける。だが、「納豆餅だけはぜったい無理!! 」とのこと。他の外国人同様納豆は気持ち悪く苦手である。
- 2005年11月場所、自身が解答者として出演したフジテレビ「なるほど!ザ・ワールド」の懸賞が懸けられた。テレビ番組の懸賞金は異例である。
- 2006年4月、EUより、欧州旗をベースにデザインされた化粧まわしを贈られ、夏場所より使用している。ちなみに同年の明治乳業のCMでは、以前の化粧まわしを締めている。当初は12の(白)星が描かれているため「12勝しかできない」意味で縁起が悪いと反発があったが、後に「残り3つの星は自分の力で勝ち取る」という激励の意味を付加することで受け取ることになった。
- 同じブルガリア出身のJリーグ・サンフレッチェ広島所属のイリアン・ストヤノフとは友人であり、ストヤノフが以前所属していたジェフユナイテッド千葉・市原の元監督であるイビチャ・オシム・前日本代表監督とも親交がある。
- TBS系の報道番組『ブロードキャスター』および『きょう発プラス!』で、高校時代に空腹から鳩を食べたという逸話が紹介された。その話をした高校時代のレスリング・コーチは伝聞で知ったのみである。ちなみに鳩は中国やフランスなどでは普通に食用にされる。
- 故郷ブルガリアでは、敵役となった朝青龍の知名度も急速にアップし「アサショーリュー憎し」の声が高まっていた。ブルガリアの新聞は連日、琴欧洲の結果とともに朝青龍の取組も紹介。また、実家のあるジュルニツァ村の村長ヤンコ・コレフ・ヤンコフが「アサショーリューは威張ったやつだ。顔も見たくない!」と話すと、一緒にいた何人かの村人もうなずいた。
- 2009年5月5日に、5年間交際した3歳年上の日本人女性との婚約を発表。挙式は2010年2月の予定。日本人女性と結婚することで、日本国籍取得の手続きで優遇措置を受けやすくなり、日本人に限られている親方株の取得も可能に。欧州出身として初めて親方を襲名する可能性が高くなった。
- 2009年7月28日、ブルガリアの名前や文化を日本で広めた点が評価されブルガリアで最高位の勲章「スタラ・プラニナ章」(Стара планина、日本の国民栄誉賞に相当)を首都ソフィアの大統領府で授与された。
[編集] 場所別成績
- 通算成績(2009年(平成21年)9月場所終了現在)
- 280勝 - 171敗 - 14休場
- 優勝1回、殊勲賞2回、敢闘賞3回
| 一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
|
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2002年 (平成14年) |
x | x | x | x | x | (前相撲) |
| 2003年 (平成15年) |
西 序ノ口 #30 7–0 |
西 序二段 #25 6–1 |
西 三段目 #62 6–1 |
東 三段目 #8 6–1 |
東 幕下 #33 5–2 |
西 幕下 #21 5–2 |
| 2004年 (平成16年) |
東 幕下 #8 6–1 |
東 幕下 #2 7–0 |
東 十両 #10 10–5 |
東 十両 #3 13–2 |
東 前頭 #14 9–6 |
西 #10 11–4 敢 |
| 2005年 (平成17年) |
東 前頭 #4 9–6 |
西 小結 4–11 |
東 前頭 #5 10–5 |
東 小結 12–3 殊 |
東 関脇 13–2[1] 敢 |
西 関脇 11–4 殊敢 |
| 2006年 (平成18年) |
西 大関 #2 10–5 |
西 大関 9–6 |
西 大関 8–7 |
西 大関 #2 8–7 |
西 大関 #2 10–5 |
西 大関 10–5 |
| 2007年 (平成19年) |
東 大関 9–6 |
東 大関 #2 8–7 |
西 大関 9–6 |
東 大関 #2 9–6 |
西 大関 8–7 |
東 大関 #2 2–5–8[2] |
| 2008年 (平成20年) |
西 大関 #2 9–6[3] |
東 大関 2–7–6[2] |
西 大関 #2 14–1[3] |
東 大関 9–6 |
西 大関 8–7 |
西 大関 #2 8–7 |
| 2009年 (平成21年) |
東 大関 #2 10–5 |
東 大関 10–5 |
東 大関 9–6 |
西 大関 13–2 |
東 大関 9–6 |
x |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 十両・幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 |
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[編集] 主な力士との幕内対戦成績
2009年9月場所終了現在
| 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
|---|---|---|---|---|---|
| 豊ノ島 | 6 | 6 | 千代大海 | 16 | 7 |
| 旭鷲山 | 4 | 2 | 栃東 | 6 | 5 |
| 安美錦 | 8 | 11(1) | 魁皇 | 11 | 9 |
| 玉春日 | 2 | 0 | 黒海 | 8 | 4 |
| 露鵬 | 5 | 5 | 栃乃洋 | 4 | 2 |
| 普天王 | 9(1) | 2 | 出島 | 9 | 5 |
| 豪風 | 10 | 3 | 朝赤龍 | 7 | 5 |
| 高見盛 | 6 | 0 | 玉乃島 | 8 | 2 |
| 土佐ノ海 | 2 | 1 | 白露山 | 1 | 1 |
| 北勝力 | 11 | 0 | 把瑠都 | 6(1) | 4 |
| 時天空 | 9 | 7 | 豊真将 | 4 | 2 |
| 稀勢の里 | 15 | 7 | 栃煌山 | 2 | 2 |
| 白鵬 | 7 | 18 | 鶴竜 | 5 | 4 |
| 日馬富士 | 12 | 10 | 春日王 | 0 | 1 |
| 岩木山 | 8 | 1 | 海鵬 | 2 | 1 |
| 垣添 | 6 | 4 | 十文字 | 3 | 0 |
| 若の里 | 3 | 8 | 豪栄道 | 5 | 2 |
| 旭天鵬 | 12 | 4 | 若ノ鵬 | 2 | 1(1) |
| 雅山 | 19 | 5 | 豊響 | 2 | 0 |
| 朝青龍 | 6 | 15 | 嘉風 | 1 | 0 |
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数)
[編集] 主な成績
2009年9月場所終了現在
- 通算成績:351勝186敗14休(43場所)
- 幕内成績:280勝171敗14休(32場所)
- 大関在位:23場所
- 三役在位:4場所(関脇2場所、小結2場所)
- 幕内最高優勝:1回(2008年5月場所)
- 三賞:5回
- 殊勲賞:2回(2005年7月場所、2005年11月場所)
- 敢闘賞:3回(2004年11月場所、2005年9月場所、2005年11月場所)
- 金星:なし
- 各段優勝:十両1回(2004年7月場所)、幕下1回(2004年3月場所)、序ノ口1回(2003年1月場所)
[編集] 改名歴
- 琴欧州 勝紀(ことおうしゅう かつのり)2002年11月場所 - 2006年9月場所
- 琴欧洲 勝紀(ことおうしゅう かつのり)2006年11月場所 -
- 右膝と足首の怪我の影響で不本意な相撲が続いていたので、字画を考えて付けた。
[編集] CM・TV
[編集] CM出演
- スカイパーフェクト・コミュニケーションズ「スカパー!よくばりパック」「スカパー!えらべる15」
- 明治乳業「ブルガリアヨーグルト」「おいしい牛乳」「ターボカップ」
- 日清食品「ラ王」「ごんぶと」「ごん太」「日清のごんぶと」
- 公共広告機構(現:ACジャパン)「一人ひとりができる環境対策」
- アサヒビール「本生」(把瑠都と共演)
- 日本郵船
[編集] TV・ラジオ出演
- 2005年12月14日放送の『松浦亜弥のオールナイトニッポン』(ニッポン放送ほか全国36局)では、彼女からの電話で質問に答えた。
- 2006年1月、大関に昇進した直後の2006年元旦に放送されたジャリバラ(青木さやから出演)で本物のブルガリアのヨーグルトを当てるクイズに挑戦した。
- 2006年4月、いい旅夢気分に佐渡ヶ嶽親方(元関脇琴ノ若)、琴光喜、琴奨菊とともに出演した。
- 2006年某月、テレビ朝日系列で放送された「ぷっ」すまに登場。コーナー「芸能界ビビリ王決定戦」に参加した。
- 2007年4月28日放送の世界ふしぎ発見に、力士としては千代大海に続きゲスト出演した。
- 2008年9月6日放送のオーラの泉に、現役力士としては千代大海に続きゲスト出演した。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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|---|---|---|
| 東 | 番付 | 西 |
| 朝青龍 | 横綱 | 白鵬 |
| 三役 | ||
| 琴欧洲 | 日馬富士 | 千代大海 | 大関 | 琴光喜 | 魁皇 |
| 把瑠都 | 関脇 | 鶴竜 |
| 稀勢の里 | 小結 | 豪栄道 |
| 平幕 | ||
| 豪風 | 琴奨菊 | 栃煌山 | 北勝力 | 豊ノ島 | 若の里 | 玉乃島 | 阿覧 | 嘉風 | 朝赤龍 | 玉鷲 | 翔天狼 | 土佐豊 | 春日王 | 山本山 | 玉飛鳥 | 幕内前頭 | 安美錦 | 時天空 | 武州山 | 岩木山 | 垣添 | 旭天鵬 | 豊真将 | 栃ノ心 | 雅山 | 黒海 | 高見盛 | 豊響 | 猛虎浪 | 木村山 | 霜鳳 |
| 十両 | ||
| 将司 | 栃乃洋 | 安壮富士 | 海鵬 | 北太樹 | 光龍 | 旭南海 | 十文字 | 若天狼 | 霧の若 | 土佐ノ海 | 千代白鵬 | 春日錦 | 臥牙丸 | 十両 | 白馬 | 普天王 | 豊桜 | 磋牙司 | 隠岐の海 | 琴春日 | 境澤 | 德瀬川 | 若荒雄 | 大翔湖 | 清瀬海 | 白乃波 | 星風 | 琴禮 |
| 関取経験がある幕下以下の現役力士 | ||
| 徳真鵬 | 双大竜 | 保志光 | 北桜 | 琴国 | 芳東 | 四ツ車 | 北勝国 | 寶智山 | 里山 | 大勇武 | 鳥羽の山 | 上林 | 琉鵬 | 大翔山 | 玉力道 | 大雷童 | 出羽鳳 | 濵錦 | 大真鶴 | 龍皇 | 柳川 | 栃不動 | 古市 | 豊乃國 | 北勝岩 | 出羽の郷 | 栃天晃 | ||
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この「琴欧洲勝紀」は、相撲に関連した書きかけ項目です。記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めています(PJ相撲)。 |
最終更新 2009年11月20日 (金) 16:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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