琵琶湖疏水
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1902年(明治35年)のインクラインと船
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琵琶湖疏水(びわこそすい)とは、琵琶湖の湖水を、京都市へ通ずるために作られた水路(疏水)である。
目次 |
[編集] 概要
1890年に完成した第1疏水と1912年に完成の第2疏水を合わせ、23.65m3/s[1]を滋賀県大津市三保ヶ崎で取水し、うち水道用水12.96m3/s、他に通水の翌年に運転をはじめた営業用として日本初となる水力発電、潅漑、工業用水などに使われる。電力は日本初の電車(京都電気鉄道、のち買収されて京都市電)を走らせたのを始め、工業用動力として使われ京都の近代化に貢献した。また、水運にも用いられ、琵琶湖と京都、京都と伏見・宇治川を結んだ。落差の大きい蹴上と伏見にはケーブルカーと同じ原理のインクラインが設置され、船を線路上の台車に載せて移動させた。水運の消滅に伴いインクラインはいずれも廃止されたが、蹴上では一部の設備が静態保存されている。現在でも無鄰菴や平安神宮神苑、瓢亭、何有荘、円山公園をはじめとする東山の庭園に、また京都御所や東本願寺の防火用水としても利用されている。一部の区間は国の史跡に指定されている。また、疏水百選の一つである。
[編集] 歴史
[編集] 開通まで
明治維新と東京奠都に伴い京都市は人口が減少し産業も衰退したため、第3代京都府知事の北垣国道が灌漑、上水道、水運、水車の動力を目的とした琵琶湖疏水を計画。主任技術者として、大学を卒業したばかりの田邉朔郎を任じ設計監督にあたらせた。
第1疏水は1885年(明治18年)に着工し、1890年(明治23年)に大津市三保ヶ崎から鴨川合流点までと、蹴上から分岐する疏水分線が完成した。第1疏水(大津-鴨川合流点間)と疏水分線の建設には総額125万円の費用を要し、その財源には産業基立金[2]、京都府、国費、市債や寄付金などのほか、市民に対しての目的税も充てられた。
また、水力発電は当初の計画には存在しなかったが、田邉らがアメリカで視察したアイデアを取り入れ、日本初の営業用水力発電所となる蹴上発電所を建設し、1891年(明治24年)に運転が開始された。この電力を用いて、1895年(明治28年)には京都・伏見間で日本初となる電気鉄道である京都電気鉄道(京電)の運転が始まった。鴨川合流点から伏見堀詰の濠川までの鴨川運河は、1892年(明治25年)に着工し、1894年(明治27年)に完成した。
その後、第1疏水でまかないきれない電力需要に対応し、新設する近代上水道のための水源として、第2疏水が、京都市の「三大事業[3]」の一つとして、1908年(明治41年)に着工され1912年(明治45年)に完成、取水量は第1第2合わせて毎秒850立方尺 (23.65m3) となった。日本初の急速濾過式浄水場である蹴上浄水場はこのときに設置されている。
[編集] 電力
当初は蹴上南禅寺から鹿ヶ谷付近、現在の岡崎公園周辺に水車の動力を利用した工場を誘致、現在でいう工業団地を作る計画であった[4]。『諮問案・起工趣意書』[5]には「其一製造機械之事」として水車動力の採用が触れられているが、田辺らのアメリカ視察で水車の設置は京都の条件にあわないことが明らかになったため、蹴上に実用化されて間もない水力発電所を設置し市内に電力を供給するよう変更になった。蹴上発電所は第1疏水開通にやや遅れて明治24年に送電を開始した。この電力で蹴上インクラインの運転もすることになった。日本初の電気鉄道である京電の開業も需要家確保の側面もあった。毎月1日と15日は水路の藻刈りのため発電所が休止、電車も運休となっていた。
のち鴨東運河の夷川船溜りに夷川発電所、また鴨川運河の深草に伏見発電所も建設され、市営の電力事業として運転されていた。下って1942年(昭和17年)、配電統制令により関西配電に発電所を現物出資して市営事業としての幕を閉じた。現在は関西電力所有の無人発電所となって発電をつづけている。
[編集] 舟運
開通から十数年は客貨とも大いに利用された[6]。 貨物では大津からの下りは米・砂利・薪炭・木材・煉瓦など、伏見からの上りは薪炭など[7]である。しかし鉄道を主として競合陸運の発展により衰退し、大津行き上り貨物は1936年以降なくなり、伏見行きはその前年にゼロとなった。大津からの下りは第2次世界大戦中も運航されたが、1948年(昭和23年)に蹴上インクラインも運転を停止した。1951年(昭和26年)9月に大津から山科まで4.5tの砂利が運ばれたのが最後となった[8]。
旅客は1891年(明治24年)に大津-蹴上の下りが1時間22分30秒で4銭、上りが2時間20分で5銭と並行する鉄道の京都-馬場[9]が運賃上等50銭(往復75銭)、中等30銭(往復45銭)、下等15銭[10]よりはるかに安く、馬車も8銭を6銭に値下げして競争した[10]という。1911年(明治44年)には渡航およそ13万人を数えたが、翌年8月の京津電気軌道(現京阪京津線)の古川町-札ノ辻[11]開業でおよそ4万7千人に減少した。1915年(大正4年)の京阪本線五条-三条の延長[12]により電車で大津-京都市内-伏見が直結されると3万人台になり、唯一の渡航船会社、京近曳船は廃業した。戦後1951年(昭和26年)に新会社が設立され屋形船が姿を現したが、同年冬の第1疏水取入口改造工事のため運航を停止した。
1959年(昭和34年)に伏見インクライン、翌年に蹴上インクラインの電気設備を撤去、1963年(昭和38年)には四条-団栗の水面に駐車場が建設され、水運の機能は実質的に失われた。以後は生洲船や屋形船をつかった料亭が見られたが、現在は観光目的の船が水面に浮かぶのみである。
[編集] 水道
『起工趣意書』[5]には「其六井泉之事」として着工前から計画のあったことが窺われるが、実際に上水道に使うのは三大事業を待つことになった[13]。『琵琶湖疏水(第2疏水)開削願書』[14] の「理由書」筆頭に挙げられ、「山紫水明」の地の井戸が実際には水質不良で[15]水量も先の趣意書に見るように干天が続けば枯れるものであるので琵琶湖の水でこれを解決するほかないとした。蹴上浄水場は蹴上船溜りと三条通をはさんで向いに建設された。現在は蹴上、新山科、松ヶ崎、山ノ内の浄水場が疏水から取水している(新山科は一部宇治川から)。
[編集] 水路
[編集] 開通時
三保ヶ崎から冷泉の鴨川夷川出合までの完成時諸元は以下のとおり[16]。分線を含む総延長10620間 (19307m)[17]。トンネル3、船溜り6(四宮(重箱)・諸羽・日ノ岡・蹴上・南禅寺・聖護院)、橋梁28[18]、暗渠10、閘門2(大津、夷川)、水越場(越流堰)5、放水場4。断面は大津閘門から東(上流)が上36尺 (10.9m) 下20尺 (6m) 深さ18尺 (5.5m)、以西が上21尺 (6.4m) 下14尺 (4.2m) 深さ7尺 2.1m)。開渠区間は4つに分け、大津、藤尾、山科、鴨東各運河と称した。 大津運河は取水口から湖面を埋め立てた京都築地102間 (185.5m) と大津閘門を経て第1トンネル東口までの掘割300間 (545m)。 藤尾運河は第1トンネル西口から520間 (945m)。 山科運河は藤尾運河終点から第2トンネル東口まで1753間 (3187m)、第2トンネル西口から第3トンネル東口まで145間 (264m)、第3トンネル西口から蹴上インクラインまで92間 (167m) の計1990間 (3618m)。 蹴上インクライン320間 (581.82m) をはさんで 鴨東運河は南禅寺船溜りから鴨川出合まで延長998間 (1.81km[19]) 水面幅10間 (18m) 深さ5-7尺 (1.5-2.1m)、夷川閘門から下流では深さ10尺 (3m)。
分線は開通時は蹴上から小川頭までで諸元は以下のとおり[20]。総延長4615間1分9厘 (8390.4m) うち水路閣307尺5寸 (93.2m[21])、トンネル3、サイフォン1(白川道、現志賀越道)、木樋2(高野川に長90間 (164m)、鴨川に長120間 (m)、両者とも後にコンクリートに改修)。
鴨川運河は鴨川夷川出合から伏見堀詰までで完成時諸元は以下のとおり[22]。 総延長4920.48間 (8945.45m)、うち掘割3870.38間 (7036m)、築立1050.10間 (1909.09m)。また平均勾配1:4000、幅19.8尺 (6m)、水深3.3-3.96尺 (1-1.2m)。 附属施設は閘門8(仁王門・孫橋・三条・四条・松原・五条・正面・七条[23])、橋梁40、暗渠5、筧3、堰止3、インクライン1、船溜り3。
[編集] 三大事業関連
第2疏水[24]は完成時の延長4079間2分 (7416m)、現在の公称値[25]7423m、5本のトンネル(小関1471間 (2674m)・柳山358.3間 (651m[26])・安祥寺山406間 (738m)・黒岩121間 (220m)・日ノ岡499間 (907m))とそれらの間の埋め立て水路1193.74間 (2170m)、途中四宮の開水路30間 (54.5m)。取水量毎秒550立方尺 (15.30m3/s) 。第1疏水と合わせると水量が3倍近くに増えるため、鴨東運河、鴨川運河も合わせて改修された。 鴨東運河は水深を8.91尺 (2.7m) に、また夷川船溜りから鴨川出合まで北側に並行して延長134間2分 (73.7m)、幅19.8尺 (6m) の白川放水路を新設。 鴨川運河[27]は鴨川出合-伏見土橋の5372間2分 (9766.7m)、うち旧運河部分(当初開通の堀詰まで)4922間2分、旧伏見城残濠450間 (818m)。幅は19.8尺 (6m) を42尺 (12.7m) に拡幅、水深3.3尺 (1m) は伏見上船溜りまで7.92尺 (2.4m)、下船溜りから堀詰まで5.61尺 (1.7m) にした。
夷川発電所、伏見発電所はこの改修では準備工事のみおこなわれ、本体は追加工事として大正3年に完成した。
[編集] 放水路新設
1931年、津知橋下流から新高瀬川へ延長およそ900mの伏見新放水路が完成した。
[編集] 湖西線建設による改築
日本国有鉄道(当時)の湖西線建設により、第1トンネルと第2疏水トンネルが長等山トンネルと交差し、また諸羽地区で開水路の一部が支障するため改修、経路変更が行われた[28]。交差部はトンネルの補強を行い、経路変更は総延長628m(うち諸羽トンネル522m)で約260mの短縮となり、勾配がこの区間のみ1,800分の1となった。
[編集] 暗渠化
鴨川左岸堤防上に敷設されていた京阪電気鉄道京阪本線の塩小路通との交差部-三条駅の地下化および鴨川電気鉄道の三条駅-出町柳駅建設、川端通の延長と一体として、塩小路通以北の鴨川運河の改修と大部分の暗渠化が実施された[29]。
[編集] その他の改修
トンネル内壁の補修、水路のコンクリート化、漏水部分の補修などは継続的になされている。最近では2008年に、水路閣の橋台の煉瓦部分の亀裂が発見、緊急に防護工事を実施する事が決まった。[30]。
同じ区間の距離が時代によって異なるのは、起点・終点・基線の変化、移管、経路変更などが考えられる。
[編集] 年表
『琵琶湖疏水の100年』による。
- 1881年(明治14年)1月19日 北垣国道京都府知事に就任(2月着任)、琵琶湖疏水の検討をはじめる
- 1883年(明治16年)5月22日 田邉朔郎京都府御用掛に採用(7月京都着)
- 1883年(明治16年)11月 勧業諮問会に起工趣意書提出[5]
- 1885年(明治18年)1月29日 琵琶湖疏水起工の特許を指令
- 1885年(明治18年)6月2日 起工式(8月6日 第1トンネル竪坑より着工)
- 1889年(明治22年)2月27日 第1トンネル貫通
- 1890年(明治23年)3月 通水試験
- 1890年(明治23年)4月9日 竣工式
- 1890年(明治23年)6月14日 鴨川運河起工許可
- 1891年(明治24年)5月 蹴上発電所完成(11月送電開始)
- 1891年(明治24年)11月 蹴上インクライン運転開始(12月26日営業開始)
- 1892年(明治25年)11月25日 鴨川運河着工(1894年(明治27年)9月25日 疏通式、1895年(明治28年)1月10日 通船開始)
- 1895年(明治28年)2月1日 京都電気鉄道開業
- 1895年(明治28年)3月10日 伏見インクライン完成
- 1896年(明治29年)7月29日 夷川船溜で武徳会(現京都踏水会)水泳講習開始
- 1906年(明治39年)3月19日 第2琵琶湖疏水工事認可
- 1908年(明治41年)2月10日 水道敷設認可
- 1912年(明治45年)4月1日 水道給水開始
- 1914年(大正3年)4月7日 夷川発電所完工(4月8日使用開始)
- 1914年(大正3年)5月14日 伏見発電所完工(5月22日使用開始)
- 1924年(大正13年)12月 松ヶ崎浄水場建設開始(1927年(昭和2年)6月 完成)
- 1931年(昭和6年)3月28日 伏見閘門、新放水路完成式
- 1935年(昭和10年) 鴨川運河し尿船のみとなる
- 1936年(昭和11年)3月31日 蹴上インクライン船枠新造、改造
- 1936年(昭和11年)8月 山科浄水場完工
- 1936年(昭和11年) 疏水運河上り大津行き貨物なくなる
- 1940年(昭和15年)3月 山科浄水場新設
- 1942年(昭和17年)4月1日 配電統制令により3発電所他の市営電気事業を関西配電に現物出資
- 1943年(昭和18年)8月13日 伏見インクライン休止
- 1945年(昭和20年)10月23日 伏見浄水場給水開始
- 1948年(昭和23年)11月26日 蹴上インクライン休止
- 1949年(昭和24年)5月25日 九条山浄水場(旧防火用御所水道を転用)完成
- 1950年(昭和25年)11月 松ヶ崎浄水場導水管整備工事完成。ほぼ分線に沿った埋設管路とする
- 1951年(昭和26年)12月19日 疏水分線賀茂川-堀川を水道局から土木局に移管
- 1959年(昭和34年)3月 伏見インクライン電気設備撤去
- 1960年(昭和35年)3月31日 蹴上インクライン電気設備撤去
- 1961年(昭和36年)8月1日 疏水分線白川道(志賀越道)から下流を土木局に移管
- 1964年(昭和39年)7月29日 山ノ内浄水場給水開始(1966年(昭和41年)11月25日完成)
- 1966年(昭和41年)3月28日 伏見インクライン跡地売買契約(1968年(昭和43年)1月着工)
- 1968年(昭和43年)8月6日 蹴上から取水の新山科浄水場一部完成、給水開始
- 1968年(昭和43年) 湖西線との立体交差部分トンネル補強工事
- 1969年(昭和44年)9月 諸羽トンネル着工(翌年5月末完成)
- 1970年(昭和45年)11月 新山科浄水場完工(山科浄水場1969年(昭和44年)3月休止、伏見浄水場同年3月休止1977年(昭和52年)10月廃止)
- 1972年(昭和47年)3月 哲学の道開通式
- 1973年(昭和48年)3月30日 山ノ内浄水場取水点変更認可(夷川から蹴上へ)。その後送水管敷設のため蹴上インクラインのレールをはがす
- 1977年(昭和52年)5月10日 蹴上インクライン復元(形態保存)完成式
- 1978年(昭和53年)2月10日 京阪本線地下化関連の疏水(鴨川運河)改築認可。冷泉通-塩小路通全面改築、孫橋通-塩小路通を暗渠に
- 1987年(昭和62年)10月15日頃 改築部分の停水(翌年4月15日 通水開始)
- 1989年(平成元年)3月31日 鴨川運河改築工事完成
- 1989年(平成元年)8月1日 琵琶湖疏水竣工100周年記念事業の一環として琵琶湖疏水記念館開館
- 1996年(平成8年)6月 国の史跡に指定
- 1999年(平成11年)12月 第2疏水連絡トンネル竣工
[編集] 現状
[編集] 第1疏水
[編集] 大津-蹴上間
大津市三保ヶ崎の取水口から、長等山を第1トンネルで抜け、滋賀県から京都府に入る。この第1疏水の京都市山科区の部分を山科運河と称することもある。山科盆地の北辺に沿って西に、諸羽、第2、第3各トンネルを抜け、蹴上に出て第2疏水と合流する。
蹴上の合流点は船溜まりになっており、かつてはここから南禅寺船溜までの間、船はインクラインに載せられていた。また、蹴上浄水場、新山科浄水場、山ノ内浄水場、蹴上発電所の取水もここで行われる。
合流トンネルを出た疏水は本線と分線に分岐する。
[編集] 鴨東運河・鴨川運河
本流は蹴上船溜から蹴上発電所を経由し南禅寺船溜に放水される。白川としばらく流路を共用して、夷川ダム、夷川発電所を経て鴨川東岸に至り、以後鴨川東岸(左岸)を塩小路までは川端通下を暗渠で、以後は開渠となり鴨川を離れて墨染ダムに至る。墨染ダムからは伏見インクライン(国道24号の拡幅用地に転用され現存せず)を経て伏見区堀詰で旧伏見城外堀の濠川につながり、ここを本線の終点とする。この先、旧伏見港、三栖閘門を経て宇治川に放水する。もしくは終点やや上流の津知橋付近で疏水放水路・東高瀬川の経路も作られている。このうち、南禅寺船溜から冷泉の田辺橋の鴨川出合までを鴨東運河(おうとううんが)と称して開通時のもの、鴨川出合より下流の部分を鴨川運河と称して後の事業によるものである。
[編集] 疏水分線
蹴上からは北に向かう疏水分線が分岐している。南禅寺の境内を水路閣でまたぎ、法然院・慈照寺(銀閣寺)西方を通り北進。若王子神社から慈照寺(銀閣寺)付近までの疏水分線の堤は哲学の道として昭和後期に整備されている。その後700mほど今出川通と並走したのち、志賀越道[31]で京都市上下水道局から建設局へ管理が変わる[32]。再び北進し北白川疏水通と並走したのち高野川を渡り、以前は分線から取水していた松ヶ崎浄水場の南縁から南西へ方向を変え下鴨中通で開渠区間は終わる。開通当時は小川頭(現在の紫明通小川)を終点とし、堀川に合流させた。賀茂川以西は紫明通の広い分離帯に、これは疏水の経路ではないが堀川通も併せて親水公園として開水路を復活整備している。
[編集] 第2疏水
第2疏水は第1疏水と同じく三保ヶ崎で取水した後、ほぼ全線トンネルと埋立水路(暗渠)となっており、蹴上で第1疏水と合流する。水道水源としての利用にあたり汚染を防ぐための全線暗渠とされる。琵琶湖総合開発計画による水位低下に対応して第2疏水連絡トンネルが建設された。
[編集] 土木技術
ファイル:BiwakoSosui PeltonWheel.jpg 安積疏水など先行する近代水路がオランダ人などのお雇い外国人の指導に依ったのに対し、琵琶湖疏水は日本人のみで完成された。また、日本で初めての技術も多数取り入れられており、近代化遺産として非常に価値が高い。
- 第1トンネル
- 完成当時日本最長で[33]、竪坑(たてこう)を使って掘られた(鉱山以外の)トンネルの日本初のものである[34]。これによって切羽の数を増やし工期短縮と完成後の通風を狙った。第2竪坑は第1トンネル西口の採光、換気のためのものである。
- 蹴上発電所
- 日本で初めての事業用水力発電所であり世界的に見ても当時有数のものであった[35]。開設当時に使われていたペルトン水車が琵琶湖疏水記念館に展示されている。
- 蹴上浄水場
- 急速濾過式を採用した日本で初めての浄水場である[36]。
- インクライン
- 高度差を越えて水運を可能にするため、インクラインが日本初の施設として建設された。蹴上と南禅寺の船溜りを結ぶ蹴上インクラインは当時世界最長という[37]。下流の伏見にも鴨川運河の建設のときに設置された。蹴上のものは運転休止後に放置され、1978年に山ノ内浄水場の取水管敷設のためレールがはがされた。地元の運動もあって後に形態が復元され、1996年に水路閣などと共に国の史跡に指定された。伏見のものは国道24号拡幅用地に転用され現存しない。
- 蹴上インクラインの下を通っているトンネルのアーチ部分の目地は水平でなく、ねじるような形で煉瓦が積まれており「ねじりまんぽ[38]」と呼ばれている。田邉朔郎も参考にした工科大学の教科書『ランキン氏土木学』に掲載の「斜歪穹窿 (skew arch)」[39]の実地試験という[40]。
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第1疏水第1トンネル断面[41] |
分線トンネル断面[42] |
第2疏水トンネル断面[43] |
第1疏水第1トンネル断面[44] |
[編集] 観光資源
- 明り区間のうち、大津市(第1疏水第1トンネル入口付近)、京都市山科区(山科疏水)、京都市東山区(インクライン周辺-鴨川)のいずれも、沿線にサクラが植えられている区間が多く、開花期には水とサクラの織りなす風景を見ることができる。
- 平安神宮南側の一部区間では観光シーズンなどに小型の遊覧船が就航することがある。なお、大津から京都までの全区間に遊覧船に就航させてはどうかという提案がなされることがあるが、トンネル区間が多いことなどから実現されていない(現在、2010年に迎える「疏水完成120周年」の目玉事業として、トンネル区間を含んだ遊覧船就航やインクライン復活が京都商工会議所を中心に検討されている)。
- 南禅寺境内にある水路閣はテレビドラマの撮影に使われるなど京都の風景として定着している。建設当時は古都の景観を破壊するとして反対の声もあがった[45]一方で、南禅寺の三門には見物人が殺到したという[46]。
[編集] 位置情報
- 第1疏水取水口 : 北緯35度0分50.68秒東経135度51分38.44秒
- 第2疏水取水口 : 北緯35度0分52.37秒東経135度51分36.03秒
- 第1トンネル入口 : 北緯35度0分40.47秒東経135度51分21.11秒
- インクライン : 北緯35度0分37.34秒東経135度47分20.45秒
- 蹴上船溜 : 北緯35度0分43.80秒東経135度47分15.35秒
- 水路閣 : 北緯35度0分38.21秒東経135度47分38.19秒
[編集] 参考文献
- 田邉朔郎 『とんねる』 丸善、東京、1923年(大正12年)、訂正再版。
- 田邉朔郎 『琵琶湖疏水誌』 丸善〈京都都市計画第一編〉、1920年(大正9年)、訂正再版。
- 京都新聞社 『琵琶湖疏水の100年』叙述編、資料編、画集、京都市水道局、1990年。
- 京都市参事会 『琵琶湖疏水要誌』1896年、訂正版。
[編集] 脚注
簡便のため『琵琶湖疏水の100年』叙述編を『100年』、また『琵琶湖疏水誌』を『疏水誌』と略す。
- ^ 1986年(昭和61年)の水利使用許可の値。『100年』 p. 307
- ^ 『100年』 p. 64には「朝廷からいただいた“お土産金”と称し」たという。明治3年3月付太政官示達「今般格別之御詮議を以て其府下人民産業基立金として五万両被渡下候間、取計方行届候様、御沙汰候事」、閏10月5万両追加。明治21年度に元利計39万6千円余りとなっていた。同書 pp. 64-67に詳述。
- ^ 第2疏水事業、水道事業、市電開通及び幹線道路拡幅の3つを指す
- ^ 電力の節は『100年』pp. 270-316、422-448による
- ^ い ろ は 「諮問案・趣意書」は『琵琶湖疏水の100年』資料編 pp. 16-19に収録。叙述編 pp. 67-75に解題
- ^ 舟運の節は『100年』 pp. 244-269による
- ^ 『100年』 pp. 257-263
- ^ 『100年』 p. 268
- ^ 現在の膳所駅。旧逢坂山トンネル経由で現在の大津駅は存在せず、膳所と浜大津の間は貨物のみ
- ^ い ろ 『100年』 p. 248
- ^ 上栄町-浜大津の大津市中心部、京町通角の路上にあった
- ^ 『100年』 p. 261、資料編 p. 203では京津線の三条-浜大津も同年としているが誤り。札ノ辻-浜大津延長は1925年
- ^ 水道の節は『100年』 第4章第3節「水道事業のはじまり」pp. 449-475および附章「よみがえる京の水」pp. 586-674による
- ^ 『琵琶湖疏水の100年』資料編 pp. 68-70に収録
- ^ 『100年』 p. 380など
- ^ 『100年』pp. 160-172
- ^ 『100年』p. 160。田辺朔朗の竣工奉告祭における工事申告文の値。
- ^ これのみ現状。1989年現在。
- ^ 単位は『100年』のまま
- ^ 『100年』 pp. 172-174。暗渠、橋梁、堰止など不明
- ^ p. 137では51間 (92.73m)
- ^ 『100年』 p. 234。ただし掘割と築立のメートル換算の延長合計が総延長に一致しない。
- ^ 『100年』p. 247も参照
- ^ 第2疏水完成時の諸元は『100年』 pp. 402-412
- ^ 昭和62年現在。『100年』 p. 397
- ^ 『100年』 p. 404に3894mとあるが明らかに間違い
- ^ 『100年』 pp. 415-419では表現が錯綜していて完工時の全貌が把握できない。『琵琶湖疏水誌』による。
- ^ 『100年』pp. 523-526
- ^ 『100年』pp. 546-553
- ^ 老朽化や過去の地震の影響と見られる。倒壊の危険性も判明したため、7月31日から8月8日にかけ、緊急の防護工事を実施国の史跡「水路閣」倒壊防止へ緊急工事 京都市 産経新聞 2008年7月29日
- ^ 『100年』には「白川道」と表記されている。白川道は『京都市都市計画街路・道路』京都市 (平成12年6月) p. 191によれば、現在の志賀越道の旧称とされる
- ^ 『100年』刊行時点。2008年の京都市上下水道局webサイトにも分線の距離同一のため、変更はないと考えられる
- ^ 『とんねる』p. 3、『疏水誌』p. 34
- ^ 『とんねる』p. 64、『疏水誌』p. 34
- ^ 『疏水誌』p. 25-26「暫時の間我が京都は世界での水力電気の本場となって欧米諸国人からも続々問合せがあった位である」
- ^ 『100年』p. 466など
- ^ 『100年』 pp. 170-172、『疏水誌』p. 57-58
- ^ まんぽとはトンネルの方言であると考えられている[要出典]
- ^ 邦訳「295 斜歪穹窿」『ランキン氏土木学』、891-896。、 原書 Rankine, W.J.M. (1894). “295 Skew Arches”, A Manual of Civil Engineering, 17th, London: Charles Griffin and Co., Ltd., pp. 429-432.
- ^ 『100年』p. 172
- ^ 『とんねる』図9、p. 8
- ^ 『とんねる』図10、p. 9
- ^ 『とんねる』図11、p. 9
- ^ 『要誌』318頁に続く3枚目の図版の一部
- ^ 福澤諭吉も反対していたという[要出典]
- ^ 『100年』 p. 199
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 琵琶湖疏水 - 京都市水道局(京都市公式サイト「京都市情報館」)
- 疏水名鑑 - 農林水産省
- 産業遺産ナビゲーター - 独立行政法人 科学技術振興機構
- 国立公文書館デジタル・ギャラリー「琵琶湖疏水の図」(起工許可関係文書に附属する疏水路図)
最終更新 2009年10月28日 (水) 12:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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