刑罰の一覧

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刑罰の一覧(けいばつのいちらん)

当項は古今東西の刑罰を集め一覧としたものである。現在、日本で行われている刑罰については、「刑罰」も参照のこと。なお簡単な紹介を付した。


目次

[編集] 死刑(死罪、しざい)

死刑は、受刑者を死亡させる刑罰である。方法としては、以下のものがある。

[編集] 頚部血流を阻害する方法

絞首台
絞首刑(こうしゅ)
絞首刑は囚人の首を絞めることによって死に至らしめる刑。絞首と縊首は厳密には違う事だが、現在、絞首刑の規定されている国において一般的に行われているのは、縊首により縊死(いし)に至らしめる方法である。歴史的には純粋な絞首による処刑も行われており、その為の装置も作られている。一般的には、囚人の首に縄を掛け、または穴のあいた板に首を通し、高所より吊るす刑。絞首台が使用される。首にかけた縄をねじって絞首する方法も用いられた。受刑者は縄によって頚動脈がふさがれてへの血流を阻害(縊死)され、または気道が塞がれて呼吸ができなくなる(窒息死)。現在の日本で行われている処刑方法でもある(刑法第11条第1項「死刑は、刑事施設内において、絞首して執行する。」)。イギリス式は縄の結び目をあごに掛けるので、落ちたときに、てこの原理で頚椎を骨折させる効果がある。現在の日本の処刑はイギリス式同様に頚椎を骨折させ即死効果を狙っていると言われている。縛り首(しばりくび)ともいう。日本語では「縛り首」の単語そのものには斬首刑の意味もある。これは両手を後ろに縛ってから首を刎ねたことに由来する。イスラム諸国では、地上で首に縄をかけ、クレーンで吊り上げる。アメリカでは、1862年のクリスマスの翌日に、ミネソタ州で38人のスー族インディアンが特別誂えの絞首台で同時執行され、最大数の絞首記録として残っている。
斬首刑(ざんしゅ)
囚人の首を切り落とす刑。実際に切り落とす方法はいろいろで、江戸期日本の下手人(げしゅにん)・死罪獄門では当番同心(または山田浅右衛門)が日本刀を用い、中世ヨーロッパでは刑吏(けいり)が両刃の斬首刀を用い、座らせて斬首する場合と、樹から逆さ吊りにして斬首する方法があった。古代中国イギリスではが用いられた。また古代ローマでは、首をはねる前に罪人を鞭で打った(鞭で打ち殺した後に首をはねることもあった)。これらの手法は執行吏の腕前によっては失敗し、首が落ちるまで何度も斬りつける羽目になるなどの危険も高かった。革命期のフランスで「失敗のない人道的な死刑方法」としてギロチンが発明されると、革命政府は以後の処刑を全てこの機械によって行い、恐怖政治の象徴となった。ギロチンはドイツに輸出され、ナチス時代に盛んに使用されている。フランスでは、1981年9月に死刑制度自体が廃止されるまでギロチンが用いられていた。現在では公的にはサウジアラビアでのみ行われている。サウジアラビアでは、ナイフを用い首を切り落とす(この方法では通常の斬首よりも長時間かかるため苦痛が大きい。イスラムでの家畜の屠殺時にアラーに捧げる儀式と同様の様式となっている。近年テロリストが人質を見せしめのために殺害する方法として用いられている)。打ち首(うちくび)ともいう。
切腹(せっぷく)
江戸時代の処刑法で主に武士大名や身分の高い役人徳川幕府に逆らった者を切腹で処刑する。
鋸挽き(のこぎりびき)
鋸で長時間をかける斬首刑。私刑としても用いられるが、公的な刑罰として採用されるケースもあり、日本においても戦国~江戸期に成文化されたことがある。江戸期以前においては罪人を埋めてから鋸でひき殺し、そのまま4, 5日晒した。受刑者の苦痛を増幅させるため鋸には切れ味の悪い物や木製竹製の物が用いられることがあった。織田信長を狙撃した杉谷善住坊が、これで処刑されている。江戸期においては尊属殺や主殺しの重大犯罪に対して行われた。鋸挽きの刑に処すと決まった者は、市中を引き回された後、首から下を埋められ首が地上に出る状態にして晒し者にされた。受刑者の首の側には鋸が置かれた。本来の規定では通行人等が自由に鋸を引いて良いという事になっていたが、実際には引かれることは滅多になかった。その後、受刑者はにより絶命させられ、数日間晒し物とされた。

[編集] 呼吸を阻害する方法

生き埋め
受刑者を生きながら埋めてしまう方法である。刑罰としてよりはむしろ儀式(生贄人柱等)の性格が強い。古代中国では大量虐殺をする場合に用いられ、長平の戦いで敗北した軍の捕虜40万人が秦によって生き埋めにされ、項羽もまた軍の捕虜20万人を生き埋めにした。また始皇帝が行った坑儒も同様に生き埋めであり460人もの学者を生き埋めにした。『拷問と処刑の西洋史』(新潮選書刊)によると、ヨーロッパでは、「男は車裂き、女は土へ」と言われ、永らく女性受刑者の極刑であった。またこの際には、生き埋めにした後に杭打ちが行われることが多かったという。
溺死による処刑
受刑者を水の中に落して溺れさせて処刑する方法である。中世ヨーロッパでは主に堕胎した女性に対する処刑方法で、袋に入れて橋の上から川に落とした。この場合、可能性は低いが、もし脱出することが出来れば解放される。中国では沈河(ちんが)と呼ばれ、日本では薦(こも)にくるんで水の中に投げ入れるので、簀巻き(すまき)と称す。
十字架刑
十字に組んだ木材に受刑者の体を両腕を広げた状態で縛りつけ、または両手両足に杭を打って固定した状態で木材を地面に立て、受刑者が力尽きて体を支える事ができなくなり、自らの肩の肉で気道を圧搾されて死亡するまで放置する処刑方法。受刑者が刑の執行開始から死に至るまでにかかる時間が極めて長い(おおむね半日~長い場合では数日)ため、政治犯や国事犯など「刑を執行する側に反逆した重罪人」に対し、さらし者にするという意図も含んでいる。場合によっては時間短縮のため、一定時間経過後受刑者の膝を叩き割って死亡させる。執行に先立ち、受刑者に処刑用の十字架を背負わせて処刑場まで運ばせ、いわゆる「市中引き回し」と同様の行為を行わせる場合もある。イエスはこの十字架刑によって処刑されたというのが通説であるが、一本の木の杭に磔られ処刑されたと主張する宗教団体もある。「今日の我々が中世に行われた各種の残虐な刑罰に対して催すごとき嫌悪を抱かせる刑罰であった(岩波訳聖書:マルコによる福音書、解説)」。後述の磔刑と受刑者の様子が似ている(死亡確認のため、磔刑のように受刑者を槍などで刺す場合もある。また受刑者をさらし者にする意図を含む点も共通する)ため混同される事も多いが、受刑者が死にいたるプロセスは大きく異なる。主に古代ヨーロッパにおいて行われていた。

[編集] 毒物を用いる方法

薬殺刑(やくさつけい)
囚人に毒薬を注射し、または服用させて殺す刑。古代ギリシャの哲学者ソクラテスドクニンジンのエキスによって処刑された。李氏朝鮮では毒殺の刑があった。現在アメリカで行われている薬殺刑は三剤注射方式で、受刑者は最初のチオペンタールナトリウムバルビツール酸系全身麻酔剤)注入で意識を失い、次の臭化パンクロニウム(筋弛緩剤)注入で呼吸を止められ、最後の塩化カリウム溶液で心臓を止められて処刑される。稀に失敗する例があり、アメリカでは2006年12月に処刑に失敗し死刑囚が34分も苦しんだという。フィリピン、中国、タイで行われている致死薬注射刑もこれと同じだと思われる。また同じくアメリカでかつて用いられていた青酸ガスによる処刑(ガス室)もこの方法に含められる。
日本でも死刑の際に薬物注入が行われることがある。但し鎮静目的で用いられるだけであり、あくまでも実際の処刑は絞首で行われる。

[編集] 刃物等で人体を切り刻む方法

杭打ち(くいうち)
主にヨーロッパで行われた処刑方法で、受刑者は墓穴兼用の穴に横たえられ、胸に杭を打たれて固定された後、埋められてしまう。処刑というより、ドラキュラなど吸血鬼の殺害方法として知られる。
串刺し(くしざし)
受刑者を台上などに固定し、肛門からまでで刺し貫いて処刑する方法である。身体を槍が貫通した後は、槍を地面に立てて死体を晒すのが普通であった。逆に口から刺す場合や、腹部を臍から背中まで貫くこともあった(受刑者を十字架に磔にして刺す場合もあったが、脇腹を刺すものは「磔刑」の項目を参照のこと)。中世ヨーロッパで盛んに見られたが、後年は廃れた。苦痛を長引かせるため、先を丸めた木製の杭を使うケースもあり、ドラキュラのモデルになったヴラド・ツェペシュがよくこの刑を執行していたことで有名である。
磔刑(たっけい)
受刑者を十字架などに磔(はりつけ)にし、などを用いて脇腹から内臓を突き刺す刑。前述の「十字架刑」に似ているため同一視される場合があるが、前項の方法が物理的な損傷を与えず呼吸困難から死に導くのに対し、こちらの磔刑は槍による刺殺であるため、受刑者が死に至るプロセスは大きく異なる。戦国時代織田信長など諸侯がこの刑を見せしめに利用し、信長は自分の甥に当たる浅井万福丸という子供に対しこの刑を使った。江戸時代の日本の磔は親殺し犯、主人殺し犯などに適用される、通常の死刑より一等重い刑罰であった。十字架上の受刑者の脇腹を槍で突いた後、そのまま肩口から突き出すまで刺し貫くのが作法である。左右の脇腹から反対の肩先に向けて交互に串刺しにして繰り返す。ニ~三回突かれると受刑者は絶命するが、かまわず二十数回突く。最後にとどめ衝きとして咽頭部を突いて刑が終了する。処刑後に晒されている死体を西洋人が撮影した写真が残されている。女性用は十字型、男性用はキの字型の柱を用い、男性は開脚状態で処刑される。出血と外傷性ショックによる死となり、最初の数回は体を貫通される苦痛を味わうため斬首などより苦痛は大きいといえる。
なお磔の文字を使っていても、水磔(すいたく)は、受刑者を水際に逆さに吊るし、潮の干満によって溺死させる方法で磔刑とは異なるものである。
腰斬刑(ようざんけい)
受刑者の胴体を切断する刑。文字通り腰部を斧などにより真横に切断し、上半身と下半身を切り離される。腸などの腹部の臓器が分断され外傷性ショックと失血による死までやや時間がかかる。数秒から数十秒は存命し、苦痛が甚大であるため、中国では通常の死罪(棄市)より重い罪に対し科せられた。巨大なカッターのような刑具で執行している絵画も残されている。丞相であった李斯はこれで処刑された。江戸期日本の金沢藩では、三段切りとよばれる腰斬と斬首を組み合わせた処刑方法があった。
凌遅刑(りょうちけい)
剥皮(かわはぎ)、抽腸(はらわたの抉り出し)、烹煮(かまゆで)等と共に中国で行われた処刑法の一つ。小刀などで受刑者の肉を少しずつ削ぎ落とし、各部位を切り離したりして長時間苦痛を与えた上で殺す刑。はじめに手足の肉を削がれ、切断されたのちに胸(乳房)や腹の肉を削がれ、内臓を抉り出されることもある。執刀回数(肉を削ぐ回数)や切除・摘出する順番などが細かく定められている。中国ではの滅亡直前まで行われ、公開処刑で行われたため、清末期に刑を執行している写真が西洋人に絵葉書として売られ、現存している。また、削がれた肉は漢方薬として売られて食べられていたといわれる。殺害せず、命に関わらない部位だけを切断するような場合もある(四肢切断し、止血して手足のない状態で生かすなど)。また斧などで四肢部分を少しずつ輪切りにする処置方法もある。
イングランドの叛逆者に行われる処刑は、まず絞首(hang)するが、絶命する直前に放し、解体台に移した後に内臓の抉り出し(drawn; 生殖器の切除、腸の抜き取りなど腹部の臓器を摘出)が行われ、十分に苦痛を与えた後に首を刎ねられ(この時点で受刑者は絶命)、最後に屍体を4つに分断し(quartered)、城門の各所に晒すというものだった。この方法は四つ裂き(hang, drawn and quartered)とも呼ばれ、映画「ブレイブハート」の主人公で有名なウィリアム・ウォレスやジャコバイトの叛乱分子、爆破未遂事件で有名なガイ・フォークス等がこの方法で処刑された。

[編集] 高エネルギーによって人体を破壊する方法

石打ち刑(いしうちけい)
下半身を地中に埋めるなどして身動きを封じた受刑者に対し、死亡するまで石を投げつける刑。現在でもイスラム法による処刑方法の一つになっており、姦通を犯した女性に対してしばしば行われている。
火刑(かけい)
魔女として火刑にされるジャンヌ・ダルク
受刑者を火で焼いて殺す刑。受刑者は全身を焼かれて死亡するが、火傷より先に酸欠で死ぬともいわれる。火刑、または火炙り(ひあぶり)で有名なのは近世ヨーロッパで行われた魔女裁判の処刑法としてである。魔女は肉の一片からでも再生すると言われていたので、魔女を殺すためには完全に灰にする必要があった。そのため魔女の火刑は足元につんだ薪を使って長時間かけて焼く。火勢が弱いため受刑者は絶命まで時間がかかる。中には、苦痛で暴れたために焼けた皮膚が破れて骨が飛び出したという記録がある。自分が魔女であると告解すれば、火刑の前に縊り殺してもらえた。また、ユダヤ教徒などに対する異端審問で異端者と宣告された者や、同性愛の罪を犯したものにも適用された。
これに対し、江戸期以降の日本の火罪(かざい)は、萱束(かやたば、枯れたススキの束)を受刑者の首のあたりまで積み上げる薦造り(こもづくり)とよばれる状態で火をかけ、筵(むしろ)であおいで一気に焼き上げる。高温で焼かれるため受刑者は速やかに死に至りその遺骸は小さく縮んでしまう。頃合を見て燃え残りを片付け、とどめ焼き(と、男性なら陰嚢、女性なら乳房たいまつであぶる)を行う。その後、遺骸は三日三晩晒された後取り捨てられる。あとは野犬とカラスが始末する。
釜茹で(かまゆで)
受刑者を大釜に入れて茹で、煮殺す刑。日本では石川五右衛門の釜茹が有名(石川五右衛門の場合は、実際は湯ではなく油が用いられたので「釜炒りの刑」ともよばれる)。古代中国では烹煮(ほうしゃ)と呼ばれる釜茹でが盛んに行われた。水だけでは無く油で揚げる刑もあった。この刑で処刑された人物で最も古い人物は伯邑考だと言われている。ちなみに巷間の噂では、人は煮られるとゆでだこのように赤くなるという説と白くなるという説があるが、いくつかの事故状況は後者を支持している。
銃殺刑(じゅうさつ)
第一次大戦時、目隠しして壁に立ち、ベルギー軍銃殺隊に処刑されるドイツのスパイを描いたイラスト
囚人を銃により射殺する刑。主に軍隊内の処刑に用いられる。軍隊における正式な銃殺刑では、受刑者は弾止めの壁の前に立たされるか、杭に縛り付けられ、目隠しの後、心臓の位置に標的を張られる。そして銃殺隊によって、胸の目標にむけて射撃が行われた後、銃殺隊長が拳銃で頭を撃ってとどめをさす。なお前線などではより簡便な略式の銃殺も行われた。銃殺刑創始間もない頃は、かなり離れた距離から受刑者の頭部を執行者が狙い打っていたが、この方法ではあまりにも失敗が多く、後に上記の現在の方法に変更された。中国では、壁に向かって跪かせ、背後至近距離より散弾銃で頭を撃つ方法での公開処刑が近年でも行われている。処刑後は救急車で病院に運び、移植用に臓器を取り出す。このため、角膜など、頭部にある臓器が必要とされる場合は胸部を撃つ。
突き落とし(つきおとし)
古代ギリシアなどに見られる方法で、受刑者を断崖絶壁から突き落として処刑する方法である。この方法は現在では自殺の方法、もしくはサスペンスドラマでの被害者殺害手段として用いられる。また、スキージャンプがこの処刑から生まれたという俗説がある(実際はスキー遊びから自然に生まれた競技)。古代ローマでは国家を裏切ったローマ市民に課せられる処刑方法であった。
車輪刑(しゃりんけい)
「車裂き」とも言う。受刑者の四肢を車輪に縛り付け、刑吏が別の車輪を打ちつけて四肢を順次砕き、最後に腹部、または頭を打って処刑する方法。折られた手足を状に折り曲げて車輪に縛りつけた死体はそのまま晒される。主にヨーロッパで行われた処刑方法で、車輪に対する神聖なイメージが源流にあるとされる。たいていは車輪に絡めたまま柱で高所に晒して放置され、一定期間を過ぎて生きていれば解放される。生還したものも多いという。ピーテル・ブリューゲルの絵画で詳細に描かれている。
電気椅子(でんきいす)
主にアメリカで使用されている方法。囚人を木製の椅子に座らせ皮製のベルトで固縛した後、高圧の交流電気を流して感電死させる刑。発明者はトーマス・エジソン。エジソンは自社の電気機器に直流電気を用いていたため、この電気椅子に交流電気を使用し、交流電気のイメージダウンを図ったと言われている。受刑者は左足首と後頭部の電極との間に高圧電流を三ないし四回ほど断続的に流されて処刑される。電気抵抗により体温は百度を超え、身体中の穴から蒸気が立ち上る。初期の処刑において受刑者の眼球が眼窩から飛び出す事態が発生したため、以後はテーピングによって厳重に目を覆うようになった。実際の処刑で受刑者がどういう状態になるかは、アメリカのドキュメント映画「ジャンク 死と惨劇」で詳細に見る事が出来る。
炮烙(ほうらく)
「酒池肉林」で有名な殷の紂王(ちゅうおう)の時代(古代中国)で行われていたという刑。炭火の上に渡した焼けた銅柱の上を歩かせるとあるが、しばしば焼けた銅柱に抱きつかせる刑ともされる。必ずしも受刑者の死を企図した刑では無いが、おおむね助かることはない。

[編集] 動物を使う方法

19世紀インドでの象による処刑
ゾウによる踏み付け
古代ローマや古代エジプト中東インド東南アジアで行われてきた、罪人をゾウの足で踏み潰したり牙でばらばらに引き裂いたりする刑。
四つ裂き刑(よつざき、引裂刑とも)、八つ裂きの刑
受刑者の両手両足をそれぞれ縄で縛り、四方向に牛や馬に引かせて体を裂いて殺す刑。中国で言う車裂きはこちらに相当するが、頭にも縄をかけるので五つ裂きである。また中国では両足首だけに縄をかけて左右に曳く「股裂き刑」の記録がある。三国志董卓孫皓がこの刑を好んで執行していた。馬などを走らせるある程度の広大な敷地があれば、縄以外に特別な道具を必要としないため、反逆者などの即決処断時に採用された向きがある。で厳しい法を定めた商鞅や、フランク王国の女王ブリュンヒルデやルイ15世の暗殺未遂犯であるロバート・ダミアンがこの方法で処刑されている。ダミアンの処刑に当たっては、手足がなかなかちぎれないため、最後には斧を用いて切り落としたと記録にある。日本では牛に両足を縛りつけ引き裂く牛裂きも行われていた。この刑は多くの国で、君主への反逆、親への不孝、軍隊からの脱走など重大な罪に対して行われている。尚、イングランドの場合四つ裂き(quartered)は、hanged, drawn, and quartered (またはhanged, boweled, and quartered)と呼ばれる処刑法を指し、「#刃物等で人体を切り刻む方法」に別途記述のあるとおり、方法としては解体刑の部類に属す処刑法で、動物などを用いた引裂刑ではない。
猛獣の餌食
古代ローマなどで行われた方法で、大衆の見物する競技場などに罪人を引き出し、飢えた肉食獣を放って食い殺させる刑。但し、肉食獣に打ち勝てば無罪放免となった。中国の殷の紂王が開発した同様の刑の場合は、穴の中に毒蛇やを入れその中に罪人を突き落とし毒殺させる刑であった。

[編集] 身体刑(肉刑)

身体刑は、受刑者の身体の一部を傷つける刑罰である。現在ではあまり行われていないが、イランサウジアラビアなどイスラム教原理主義の強いところではよく行われている。

宮刑(きゅうけい)
男性を去勢する刑。女性への執行については諸説ある。
刑(はなそぎ刑)
被刑者のを削ぐ刑。
断手刑
被刑者のを切る刑。窃盗に対する罰として行われることが多い。イスラム法に規定があり、イスラム教国では現在も執行されている。
断指刑
被刑者のを切る刑。偽証した罪人に行う。キリスト教では、宣誓者は神に指を立てて誓うからである。
入墨刑(黥刑)
被刑者の体躯(顔面もしくは上腕部が多い)に入れ墨を彫る刑。(関連項目: 英布
烙印刑(焼印刑)
被刑者の体躯(顔面もしくは上腕部が多い)に烙印を押す刑。スティグマとも。
敲刑(杖刑)
被刑者の体躯を杖や棒で叩く刑。ムチ打ち刑。古くから軽犯罪に対する刑として世界的に行われていた。現代ではイスラム文化圏の国を中心に行われている。シンガポールでの例では、3回打たれただけで尻の皮は裂け、大変な苦痛が伴う。回数と打ち方によっては受刑者が死亡する場合もある。中世の西洋の軍隊・アメリカインディアンの社会・西部開拓時代の社会には、棒や鞭を持った兵隊らが二列に並び、その間を逃亡兵や罪人が歩かされ両側から殴られるというガントレットの刑罰があった。
臏刑
被刑者の足を切り落とす刑。なお(ヒン)にかえて(ゲツ)、(ヒ)を用いることもある。(関連項目: 孫ピン
耳切り刑(フランス語:essorillrment)
軽犯罪に対して行われていた。
初犯に対してはまず左耳を切り落とす、当時は左耳が生殖器と関係していると考えられていたため、犯罪可能性のある血筋を絶やす目的で行われていた。
再犯の場合には右耳を切り落とされた。
フランスでは実際に耳を切り落とす仕事は死刑執行人が行っていた。
死刑執行人サンソンはこのような罪人に対して切り落とした後に丁寧に治療を行っていたと伝えられている。

[編集] 自由刑

自由刑は、受刑者の行動の自由を奪う刑罰である。

[編集] 現代日本及び諸外国の刑罰

[編集] 諸外国にのみ存在する刑罰

  • 終身刑(絶対的終身刑)
  • 夜間のみの拘束

[編集] 過去存在した刑罰

  • 入牢
  • 閉門
  • 蟄居
  • 押込
  • 恥辱の刑 
    • 中世から近代にかけ、ヨーロッパで広く行われた晒し刑。単独で成立する。共同体のルールを犯した者を、町の広場のさらし台に縛り付け、それぞれの罪を象徴する「恥辱の仮面」や「恥辱の帽子」、「恥辱のマント」といったアイテムを着けて一定期間晒し者にし、市民の嘲笑を受けさせたもの。頭と足だけ出して身体をで密封する「恥辱の樽」というものもあった。この「恥辱の樽」はのちに手を加えられ、「鉄の処女」として見世物にされた。
    • 同業組合の規定を破った親方などは、広場で鳥かご状の檻に閉じ込めて建物などから肥桶の上に吊るし、空腹に耐えかねて自分から肥桶に落ちるまで晒し者にした。
    • また、手かせ足かせを着けて、単純に晒し者にする方法もとられた。
  • タール羽の刑
    • 欧州とアメリカで行われた刑罰。受刑者の全身にタールを塗り、ニワトリの羽を振りかけて羽だらけにし、見せしめにしたもの。アメリカ西部では20世紀前後まで行われた。

[編集] 財産刑

財産刑は、受刑者の財産を没収する刑罰である。

[編集] 追放刑

追放刑は、受刑者の居住地域を制限する刑罰である。

流刑
被刑者を辺地や離島に追放する刑。日本の遠島や旧ソ連シベリア収容所など。
所払い
被刑者を特定の都市・場所から追放する刑。 中世ヨーロッパでは、共同体から森の中へ追放された罪人は「狼人間」と呼ばれ、故人として社会から抹殺された。アイヌは、罪人のアキレス腱を切断して原野に追放した。
ガレー船送り
18世紀ドイツで行われた。罪人を追放し、ガレー船の漕ぎ手として強制労働させる。経費がかかりすぎるのと効果が余りあがらなかったことで、数年間しか続かなかった。

[編集] 身分刑

非人手下(ひにんてか)
被刑者を非人という身分に落とす刑。(1)姉妹伯母姪と密通した者、(2)男女心中(相対死)で、女が生き残った時はその女、また両人存命の場合は両人とも、(3)主人と下女の心中で、主人が生き残った場合の主人、(4)三笠附句拾い(博奕の一種)をした者、(5)取退無尽(とりのきむじん)札売の者、(6)15歳以下の無宿(子供)で小盗をした者などが科せられた。
この非人という身分は、江戸時代、病気・困窮などにより年貢未納となった者が村の人別帳を離れて都市部に流入・流浪することにより発生したものと(野非人)、幕藩権力がこれを取り締まるために一定の区域に居住させ、野非人の排除や下級警察役等を担わせたもの(抱非人)に大別される。地域によってその役や他の賤民身分との関係には違いがあるが、特に江戸においては非常に賤しい身分とされ、穢多頭弾左衛門の支配をうけ、病死した牛馬の処理や、死刑執行の際の警護役を担わされた。市中引き回しの際に刺股(さすまた)や袖絡(そでがらみ)といった武器を持って囚人の周りを固めるのが彼ら非人の役割であった。当時の斬首刑を描いた図には、非人が斬首刑を受ける囚人を押さえつけ、首切り役の同心が腕まくりをして刀を振りかぶっているような図が見える。
なお、従来の研究では、非人は「士農工商えたひにん」の最下位に位置づけられることから、非常に賤しい存在とされ、非人手下という刑の酷さが強調されてきたが、非人と平人とは人別帳の区分の違いであること、非人は平人に復することができたことなどから、極刑を軽減するためにとられた措置であるという見方もある。

[編集] そのほか

手鎖(てぐさり)
江戸期日本で行われた刑罰の一つ。
叱り(しかり)
江戸期日本で行われた刑罰の一つ。

[編集] 付加刑

晒し、不義密通により公衆にさらされる男女『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版
市中引き回し、『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版

他の刑罰に付加される刑罰。単独では成立しない。

獄門(ごくもん)
江戸期日本の死罪の付加刑。
晒し(さらし)
人通りの多い場所に罪状を書いた高札などと共に長時間放置される刑罰。心中の未遂や生き残りの本来の刑罰は非人手下だが、その前に晒されるのが普通だった。
市中引き回し
江戸期日本の死罪以上の罪人に行われた付加刑で、罪人を馬に乗せ、罪状を書いた捨札などと共に刑場まで公開で連行していく。
時代劇で「市中引き回しの上打ち首獄門」などと言われる物である。
労働の付加
自由刑の付加刑で、囚人は苦役を義務付けられる。日本佐渡金山送りヨーロッパガレー船送りなどがある。また寄場送り(よせばおくり)も同様であるが、本来の人足寄場は無宿者の授産施設であり、犯罪者の更生を目指す施設としては世界で最も初期に作られたものである。その後、油絞りなどの重労働で作業ノルマが科せられるようになると苦役と変わらなくなった。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年9月8日 (火) 10:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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