生田正治
生田正治の最新ニュースをまとめて検索!
生田 正治(いくた まさはる、1935年1月19日 - )は、日本の実業家。勲等は旭日大綬章。株式会社商船三井社長・会長、日本郵政公社初代総裁(2003年 - 2007年)を歴任。
[編集] 来歴
- 愛媛県立松山北高等学校を経て、
- 1957年(昭和39年):慶應義塾大学経済学部卒業、三井船舶(現・商船三井)入社。
- 1987年(昭和62年):大阪商船三井船舶取締役
- 1994年(平成6年):同代表取締役社長(1999年、ナビックスラインと大阪商船三井船舶が合併し、商船三井発足)
- 2000年(平成12年):商船三井会長、経済同友会副代表幹事
- 2003年(平成15年):経済同友会副代表幹事、商船三井会長退任。日本郵政公社総裁就任。
- 2007年(平成19年):日本郵政公社総裁退任、商船三井相談役就任。
- 2008年(平成20年):旭日大綬章
- 2009年(平成21年):観光庁有識者委員会「観光庁アドバイザリー・ボード」委員
[編集] 人物
経営者としてのバランス感覚に優れ、商船三井時代には国際規格のコンテナの推進者として活躍した。
2000年~2003年の間、経済同友会において副代表幹事を務める。その間、元日本銀行総裁の福井俊彦、オリックスの宮内義彦やザ・アールの奥谷禮子と親交を結ぶ。特に宮内義彦とは、1935年生まれの財界人の親睦会「初亥会」のメンバーとして近しい関係にある。
コーポレートガバナンスについて一家言持っている経営者として知られている。「私個人としては、市場経済であるわけですから、競争というものは善であると思っています。」と本人が言うように、いわゆる規制緩和などによる市場原理主義について肯定的論者とされる。
日本郵政公社総裁への就任に当たっては、小泉政権時、複数の委員などを兼ねており官僚の組織防衛に対する過剰な意識を熟知していたため、郵政公社総裁就任要請を断り続けていたが、数ヶ月にもおよぶ度重なる要請の電話についに折れ、総裁就任となった。総裁就任後の経営にあたっては、赤字累積していた郵便部門を黒字化するなど、堅実かつ確実な実績を上げており、郵政事業の「中興の祖」との評価がある。他方、金融ビジネスについてはきわめて冷淡であり、在任中、郵政事業にとっての稼ぎ頭とも言える郵便貯金、簡易生命保険の資産残高は一貫して縮小を続けた。郵政事業にとっての利潤の根源である金融ビジネスが縮小を続ける中、雇用維持力の乏しい国際物流事業に傾斜した経営判断の妥当性については賛否が分かれるところである。
日本郵政公社の資産のスリム化を進める点から、同公社の遊休不動産の処理を強力に推し進めた。具体的にはバルクセールという手法を用い、かんぽの宿を含む多くの不動産を任期中に大量売却した。また、社員の意識改革にも力を入れ、ザ・アールなどの人材研修ノウハウを有する企業を積極的に社員研修に導入した。2007年3月には任期満了に伴い日本郵政公社初代総裁としての任を終えている。
2009年に観光庁アドバイザリーボード委員に任命された際の任命権者である観光庁長官は、日本郵政公社時代の部下であった本保芳明である。
[編集] 参考文献
- 生田正治 『郵政改革の原点 生田正治・日本郵政公社初代総裁4年間の軌跡』 財界研究所 2007年 355頁 ISBN:9784879320520
最終更新 2009年8月2日 (日) 19:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【生田正治】変更履歴

