田中一徳

田中一徳の最新ニュースをまとめて検索!

田中 一徳
基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県尼崎市
生年月日 1981年10月28日(28歳)
身長
体重
5' 5" =約165.1cm
156 lb =約70.8kg
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1999年 ドラフト1位
初出場 2000年4月1日(NPB)
最終出場 2004年(NPB)
経歴(括弧内は在籍年)

田中 一徳(たなか かずのり、1981年10月28日 - )は、元プロ野球選手。日本では横浜ベイスターズに所属していた。アメリカでは独立リーグのヨーク・レボリューションに所属していた。

目次

[編集] 来歴

PL学園時代に出場した夏の甲子園準々決勝の横浜高校戦では松坂大輔から4安打を放つ。1998年のAAAアジア野球選手権では一番打者として出場し、白嗟承(現サンディエゴ・パドレス)にもっとも印象に残った打者と言わしめる活躍を見せた。

1999年、ドラフト会議で1位指名受けPL学園高から横浜ベイスターズに入団。PL学園の同期に同ドラフトで横浜に指名された七野智秀(2004年退団)、近鉄に指名された覚前昌也(2003年退団)、近畿大学を経てロッテに指名された田中雅彦がいる。

1年目から一軍出場を果たし、プロ初ヒットも記録している。また、フレッシュオールスターゲームにも出場した。2002年に主にレフトや代走要員として一軍に定着、この年自己最多の112試合に出場。2004年にそれまでの両打ちをやめ左打席に専念。

2005年はチームが3年連続の最下位でチーム改革が進んだことや、野中信吾ら俊足のライバルの加入・台頭もあり、自身初のシーズン一軍出場なしに終わる。翌年も一軍出場はなく9月に戦力外通告を受け退団。同年の12球団合同トライアウトに参加するが、獲得する球団は無くアメリカに渡る。この様子はテレビ番組で特集された(後述)。

2007年、アメリカ独立リーグアトランティックリーグに加盟している「ヨーク・レボリューション」に入団。背番号は9、守備位置は主にレフトでスタメン出場も多く、最終的に110試合に出場。成績は打率.251、打点31、盗塁18を記録した。

2008年も同チームに在籍。しかし出場試合数は57試合と前年より半減。成績も打率.226、打点3、盗塁8と落としてしまった。同年11月に開催された12球団合同トライアウトに参加するが5打数でノーヒットに終わる。この時競輪選手のスカウト活動に訪れていた中野浩一には「ゴムまりのような肉体で競輪選手向きの体つき」として注目された。結局獲得する球団は現れなかったため現役引退を決意し、その旨をPL学園の先輩である桑田真澄に報告した。この様子はTBSの『NEWS23』で放映された。桑田からは「引退でもそれはマイナスということではないし、野球で学んだことを次のステップで生かしていけばいい」という言葉をかけられた。

引退後、「将来は球団オーナーになることが野望」と語っている。

[編集] エピソード

  • 高校通算本塁打は6本だが、そのうち3本はランニングホームランであった。
  • プロ野球史上稀に見る身長の低さであるが、本人はコンプレックスというよりは売りにしており、シーズンオフのテレビ番組では「ギザギザハートの子守唄」を自分の身長にあてがった替え歌にして歌うこともあった。また、2001年・2002年には落合博満臨時コーチから指導を受け、外国人選手のようなクラウチング気味のバッティングフォームを取り入れ、打席に入った際の身長はさらに低くなってわずかに130cm程度になっていた。この特異なフォームは球界で話題となり、松井秀喜やPL学園の先輩である清原和博らが笑いながら真似していた。
  • 2007年1月6日にTBSで放映された「プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」というドキュメンタリー番組で横浜を解雇されてから2度のトライアウトに悪戦苦闘する松坂世代の選手(実際にはいわゆる松坂世代より1学年下で、東京ヤクルト青木宣親阪神鳥谷敬らと同年代)として紹介された。番組終盤ではトライアウト後、どの球団からも声がかからなかった田中が桑田と会い、米球界に挑戦する旨を報告する場面もあった。また、1月8日の茨城ゴールデンゴールズ対松坂大輔率いるチームの親善試合では、松坂チームの9番打者として出場した。
  • ヨーク・レボリューションのホームページ上の選手紹介では、「ドラフトで、日本の高校生の全体1位で指名された」「松坂大輔よりも先に指名された」と書かれていたが、いずれも間違いである。(当時のドラフト制度は、高校生の指名が重複した場合クジ引きであり、誰が全体1位ということはなかった。また、松坂は田中一徳の1年前のドラフト指名・入団であった)
  • ヨーク・レボリューションでは人気選手の一人で、帽子やTシャツなどのグッズが作られていた。帰国直前には「一徳デー」と称したメモリアルゲームも組まれた。
  • 公表していた身長は「165cm」だったが、実際の身長は165cmも無かった。

[編集] 高校時代の戦績

[編集] 通算成績

年度 球団





































2000 横浜 37 25 24 5 4 0 0 0 4 0 0 2 0 0 1 0 10 0 .167
2001 68 67 50 8 11 2 0 0 13 2 2 2 7 0 10 0 11 0 .220
2002 112 198 172 23 44 3 0 1 50 8 6 6 14 0 12 0 28 1 .256
2003 61 54 51 9 10 1 0 0 11 1 4 3 2 0 1 0 9 1 .196
2004 63 32 30 13 6 0 0 0 6 2 3 1 0 0 2 0 8 0 .200
通算成績 341 376 327 58 75 6 0 1 84 13 15 14 23 0 26 0 66 2 .229

[編集] 個人記録

  • 初出場:2000年4月1日、対阪神タイガース戦。
  • 初安打:2000年4月22日、対中日ドラゴンズ戦で鈴木平投手から。
  • 初本塁打:2002年5月8日、対広島東洋カープ戦で横山竜士投手から。
  • 初打点:2001年5月10日、対阪神タイガース戦。
  • 初盗塁:2001年8月1日、対広島東洋カープ戦。

[編集] 背番号

  • 9(2000年 - 2006年)

[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月20日 (金) 11:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【田中一徳】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!