田中忠三郎

田中忠三郎の最新ニュースをまとめて検索!

田中 忠三郎(たなか ちゅうざぶろう、1933年 - ) は、日本の民俗学者・民俗民具研究家著述家

渋沢敬三に傾注し、民具の調査・収集に奔走してきた在野学者で、私有する2万点以上に及ぶ民具・衣服などの貴重な日本のアンティークコレクションでも有名。これらコレクションは柳宗悦青山二郎白洲正子らの流れを汲む「用の美」を体現するものとして、寺山修司黒澤明都築響一らが作品制作のために借り受けた。またこの他に所有する古書近世文書のコレクションも1万点を超える。歴史学者はもとより棟方志功高橋竹山ら芸術家・文化人との交流も深い。

目次

[編集] 来歴・人物

1933年(昭和8年)青森県下北郡川内町(現・むつ市)生まれ。

20代の頃から青森県で下北アイヌの調査や、縄文遺跡の発掘調査を私的に始め、縄文中期(約4500年前)・縄文晩期(約3000年前)の遺跡を中心に調査を行う。

その後昭和40年頃より考古学から民俗・民具に調査の対象を広げ、以降40年以上にわたり集落の姥や古老から昔の話を聞き取るフィールドワークを行う。

伴って江戸時代明治大正昭和に至るまで各時代の衣・食・住にかかわる衣服や民具(生活用具)を収集・保存する活動を行う。

結果、田中忠三郎のアンティークコレクションは2万点に及ぶ膨大なものとなり、現在そのうち津軽・南部の刺し子着786点が国の重要有形民俗文化財に、紡績用具と麻布520点が青森県有形民俗文化財に指定された。

1975年には寺山修司の「田園に死す」、1990年には黒澤明「夢」に両監督たっての希望で、田中忠三郎コレクションから衣裳や民具等を撮影用に提供したことから長期間のロケに帯同(「田園に死す」の舞台となった古民家は田中忠三郎の所有、小道具には田中コレクションを使用。「夢」では農民衣裳を提供)。

近年では、田中忠三郎コレクションのなかの裂織・ぼろ布の芸術性に注目し、ぼろを優れたテキスタイルデザイン・フォークアートとして、消費文化の対極にある本物のエコロジーとして、とらえた写真集「BORO」(都築響一撮影・2009年1月出版)の発行や、東京上野の森美術館、京都思文閣美術館、旭川国際染織博物館、東京青山ブックセンターでの「田中忠三郎コレクション 『BORO』」展が行われた。

また田中忠三郎氏が20~30代にかけて発掘した縄文遺跡の考古学資料約1万点は、現在のコレクションから別れて、国立歴史民俗博物館に提供されており、合わせて民俗資料を含む約2万点が同博物館に所蔵されている。また同じくアイヌ資料も現在のコレクションから別れて国立民族学博物館アイヌ民族博物館に所蔵されている。


  • 北海道東北民具研究会会長
  • 日本民具学界理事・国立民族学博物館国内調査委員 歴任
  • 東津軽郡平内町教育委員会文化財担当・小川原湖民俗博物館勤務・財団法人稽古館(青森市歴史民俗展示館)館長 歴任
  • 青森中央学院大学非常勤講師
  • 青森ねぶた祭奨励委員会委員長歴任
  • 青森県芸術文化報奨・川内町文化功労者賞(1979年)
  • 紺綬褒章(1983年)
  • 青森市教育文化彰(2000年)

[編集] 映画(衣裳協力)

[編集] 著書

  • 『みちのく民俗散歩』北の街社
  • 『私の蝦夷ものがたり』北の街社
  • 『南部のつづれ菱刺し模様集』北の街社
  • 『下北 忘れえぬ人々』荒蝦夷社
  • 『津軽・南部の刺し子着』民俗民具研究所
  • 『サキオリから裂織へ』民俗民具研究所

ほか

[編集] 共著

  • 『博物館づくりと地域おこし』
  • 『甦る縄文の思想』

ほか学会誌・雑誌・タウン誌等多数に執筆

[編集] コレクション

[編集] 参考文献

  • 『津軽こぎんと刺し子』(はたらき着は美しい)INAX出版、1998年
  • 国指定、重要有形民俗文化財『津軽、南部のさしこ着』(有)民俗民具研究所、2000年
  • 『BORO』~つぎ、はぎ、いかす。青森のぼろ布文化、アスペクト、2009年

最終更新 2009年11月26日 (木) 05:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【田中忠三郎】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!