田中新兵衛
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田中 新兵衛(たなか しんべえ、天保3年(1832年) - 文久3年5月26日(1863年7月11日)は、薩摩藩士。幕末四大人斬りの一人。諱は雄平。
出自は、鹿児島の伝承では薩摩前ノ浜の船頭とも薬種商ともされているが、史料上は島津家一門の島津織部家臣、つまり、薩摩藩では私領士という陪臣身分である。剣術に優れていたというが流派は不明である。[1]
文久2年に上京。海江田信義や藤井良節の元に身を寄せ、島田左近を暗殺する。土佐勤王党の武市瑞山と出会い、義兄弟となる。土佐藩の岡田以蔵などと共に、本間精一郎、渡辺金三郎、大河原重蔵、森孫六、上田助之丞などを暗殺したと言われる。
文久3年の朔平門外の変で姉小路公知が暗殺された際に現場に新兵衛の愛刀が残されていたことにより、新兵衛は捕縛された。また、新兵衛が負っていた傷も生き残りの証言と一致していた。(同時に仁礼源之丞等も捕縛されたが後に釈放。)
ところが新兵衛は尋問の隙をついて自刃したため真相は闇の中となった。刀は盗まれたものとの風説もあるが信憑性は薄く、死体を検分した事件生き残りも新兵衛に間違いないと証言した。近年の研究では実行犯説が有力である。[2]
[編集] 脚注
- ^ 伊藤政夫 編 「野太刀自顕流-薬丸流-」は、門弟の名に田中の名は見えないが、森山新蔵に薬丸自顕流を学んだ可能性があると推測する。
- ^ 町田明広『幕末中央政局における朔平門外の変-その背景と影響について-』(「日本歴史」第713号所収)等
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[編集] 関連作品
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最終更新 2008年9月19日 (金) 13:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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