田中秀夫

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田中 秀夫(たなか ひでお、1933年11月24日 - )は映画テレビドラマ作品の元監督演出家愛知大学法経学部卒業。岐阜県出身、東京都練馬区在住。

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[編集] 来歴・人物

1956年に愛知大学法経学部卒業後、東宝映画撮影所で山本嘉次郎監督に師事。数々の映画作品に助監督として携わった後、山本監督の紹介で東映テレビプロに移籍。テレビドラマの助監督として務め、1965年、31歳のときに「特別機動捜査隊」にて監督デビューを果たす。以降主に東映のテレビ作品で辣腕を振るい、刑事ドラマ、キャラクター作品問わず膨大な作品の演出をこなした名匠。

なかでも自他共に認める監督生活の代表作は「スケバン刑事」シリーズに尽きるだろう。このシリーズでは一貫してメイン監督を務め上げ、2本の長編映画も成功に導いている。ただ、1988年に一連のシリーズ最終作「花のあすか組!」終了以降はこれまでのメインの活動拠点である東映での仕事があまり手掛けられなくなったことにより監督活動の幅が狭くなったことは否めない。東映以外での他社の仕事を多く手掛けるようになるが(オリジナルの社員教育ビデオを監督したこともある)、還暦を過ぎた頃の1995年放映の高木美保主演の2時間ドラマ「北斗星一号DXロイヤルの殺意」を最後に事実上引退し、後進に道を譲った。

近年は雑誌のインタビューに答える機会が多くあり、貴重な裏話をファンに披露し続けるなど健在ぶりを見せつけてくれている。

[編集] エピソード

  • 細かいカットの積み重ねから構築するスピーディーでテンポのある作劇が得意で、アクションの纏め方にも定評がある。同業者からの評価も高く、脚本家の上原正三は田中を「職人」と評し安心して脚本を任せることが出来たと語っている。また監督兼プロデューサーの堀長文も「偉大な才能」と近年雑誌のインタビューで田中を評している。また東映・白倉伸一郎プロデューサーも筋金入りの田中ファンだったそうで、『東映ヒーローネット』インタビューにて「非常に的確だと思うんですよね、彼のカット割りにしても色彩にしてもカメラワークにしても。田中演出の『宇宙刑事ギャバン』『スケバン刑事』、それに『特捜最前線』の再放送を観なかったら東映に入らなかったですね。田中監督の演出を観てそれで”東映”という会社を認識した訳ですよ」と語っている。ただ白倉が東映に入社した時期はちょうど田中が東映を離れつつあった時期であり、両者はすれ違いとなっている。
  • スタッフの指示については頑固な監督であったことで有名。撮影技師のいのくままさおによると、「私が仕事をした中で田中は頑固さでは3本の指に入る監督」であったとのこと。いのくまが撮影手法でいろいろ提案しても、田中はそれらを殆ど拒否したという。しかし田中と共に仕事をした脚本家の長坂秀佳塙五郎によると、脚本について分からない部分があると「ここはどういう意味?」と電話で聞かれることが多くあったという。ただの頑固な性格だけではない、柔軟性も持ち合わせた演出家であったと言える。
  • 役者の指導については大変厳しい監督であったことが伝えられている。『スケバン刑事』シリーズの歴代主演女優は全員例外なく現場で泣かされたという。
  • ザ・ベストテン』で南野陽子が『スケバン刑事』のロケ先から出演したとき、ちょうど現場にいた田中もテレビに生出演している。
  • 武上純希がまだ駆け出しの頃、『スケバン刑事』シリーズでシナリオを書いてもそれを田中に床に叩き付けられ、「これのどこが面白いの? 教えてよ」と厳しくダメだしされたことを述懐している。最初は上手く仕事が出来なかったが、長い間その関係が続いた後にお互いの妥協点が見つかってその後はシナリオがスムーズに仕上がるようになったという。また田中は厳しいがそのぶん本が成功した場合とても喜ぶ監督であったという。武上はこのエピソードについては余程印象深いのか複数のインタビューで語っている。
  • 尚、上記のようなエピソードについては同じく『スケバン刑事』シリーズのライターだった橋本以蔵も語っている。橋本は自分のシナリオを田中にゴミ箱に入れられたという。
  • 田中は自身の演出したシナリオは全て自宅に所蔵しているとのこと。

[編集] 主な監督作品

[編集] テレビ

※ 本数不明 ★ パイロット監督

[編集] 映画

[編集] オリジナルビデオ

  • ブラックプリンセス 地獄の天使(1990年、東映)
  • お嬢さま刑事(1990年、日本ビデオ映画)
  • ブラックプリンセスII 地獄の天使(1991年、東映)

最終更新 2009年8月31日 (月) 01:14 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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