田尻稲次郎
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田尻 稲次郎(たじり いなじろう 嘉永3年6月29日(1850年8月6日) - 大正12年(1923年)8月15日)は、日本の経済学者・法学者・政治家・官僚。元東京市長。専修学校(専修大学の前身)の創始者の一人である。子爵。
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[編集] 生涯
稲次郎は薩摩藩士の三男として、薩摩藩京都上屋敷で生まれた。洋学を学び、長崎に遊学した後、上京。慶應義塾、開成学校、海軍兵学寮、大学南校に学んだ。刑部省から留学を命ぜられ、イェール大学文科で経済学、財政学を学び、イェール大学大学院に進学、経済学、財政学を学び修了。帰国し東京大学講師に就任、のちに大蔵省で彼の部下となる阪谷芳郎・添田寿一などを教え、日本初の法学博士となる。その後、大蔵省に入省し、大蔵省銀行局長、大蔵総務長官(大蔵次官)、会計検査院委員長などの要職を歴任。大蔵省時代は、特に日露戦争時に戦費調達、債務処理に功績をあげた。
退官後、東京市長を務める等政治の分野でも活躍した。蓮沼門三によって修養団が結成されると、初代団長に推されて就任している。
[編集] 人物、その他
同時代の冒険小説家・押川春浪が「硬骨学者」で「奇行に富んで居られる」と評したほど奇行で知られた人物であり、特に自動車嫌いは徹底していて、宮中に参内するとき以外は人力車さえ使わなかったという[1]。 質素を旨とし衣服にかまわぬ姿を、友人たちは「きたなり」(田尻の号は北雷)と呼んだ逸話がある。 また、読んでいない本が積み上がっている状態を指す「積読(つんどく)」という言葉の考案者とされている[2]。
[編集] 主な著書
- 財政と金融
- 欧州戦局の将来
- 財界時雨
- 財界訓蒙
- 経済学
- 経済大意
- 公債論
- 経済学応用新論
- 簡易生活
- 銀行論
- 経済史眼
- 新国富論
- 地下水利用論
- 米穀経済
- 日本財政経済論
- 日本の現在及将来
- 二十年来世界経済之景況
[編集] 脚注
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最終更新 2009年7月1日 (水) 20:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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