甲府市

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甲府市
こうふし
日本
地方 中部地方甲信越地方
関東地方
都道府県 山梨県
団体コード 19201-5
面積 212.41km²
総人口 198,223
推計人口、2009年8月1日)
人口密度 933人/km²
隣接自治体 山梨県甲斐市山梨市笛吹市
北杜市中央市中巨摩郡昭和町
西八代郡市川三郷町身延町
南都留郡富士河口湖町

長野県南佐久郡川上村

市の木 カシ
市の花 ナデシコ
市の鳥 カワセミ
甲府市役所
所在地 〒400-8585 山梨県
甲府市丸の内一丁目18番1号
甲府市役所
電話番号 055-237-1161
外部リンク 甲府市ホームページ

甲府市位置図(山梨県)

:市 / :町・村
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甲府市
甲府城より北側を撮影
甲府城より南側を撮影

甲府市(こうふし)は、山梨県中部に位置する都市で同県の県庁所在地特例市

目次

[編集] 概要

市域は山梨県の中央を三日月形に縦断しており、中心部は甲府盆地の中央北寄りに位置する。山梨県は首都圏整備法上の首都圏に属する県であり、その位置関係から東の関東地方への志向性が強い。

2000年11月1日に特例市に指定された。近年では、宝石産業が盛んである。

甲府という名称は、1519年永正16年)に武田信虎が居館を石和(現在の笛吹市石和町)、次いで川田(現在の甲府市川田町)から躑躅ヶ崎館(現在の武田神社・甲府市古府中町)へ移した際に、甲斐国府中という意味から甲府と命名したことに始まる。戦国時代には大名領国を形成した武田氏の本拠地となり、武田氏滅亡後は徳川氏や豊臣系大名浅野氏の甲斐国経営の中心となり、国中地域や甲斐国の政治的中心地と位置付けられる。江戸時代には江戸の西方の守りの要として重要視され、また甲州街道宿場町としても盛えた。

[編集] 地理

甲府盆地の中央部を縦断する形で位置する。1939年の一時期、市内に住んだ太宰治は、著書「新樹の言葉」の中でその地形を「シルクハツトを倒(さか)さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば、間違いない」と表現した。気候は中央高地式気候

[編集]

金峰山、愛宕山

[編集] 河川

笛吹川、荒川、貢川、相川、濁川

[編集] 湖沼

千代田湖、能泉湖

[編集] 景勝地

昇仙峡甲斐風土記の丘

[編集] 歴史

[編集] 先史時代の甲府市域

市域に旧石器時代の遺跡は見られないが[1]、相川河床からは県内で二例目となるナウマンゾウの臼歯化石が発見されている。

縄文時代の遺跡は荒川上流域にあたる市域北部の山間地域から中部の沖積低地にかけて散在し、同じく山間地である早川流域や芦川流域と共通した特徴を持つ。県内において縄文遺跡は早期から盆地南部の曽根丘陵(旧中道町域)や八ヶ岳山麓など山麓、丘陵地域を中心に分布しており、丘陵地形の未発達な市域では縄文遺跡は少ないが、市域北部では早期からの遺跡や遺物が見られる。

南部低地への本格的な定住は弥生以降であると考えられているが、中期の高町遺跡はこの時期に特徴的な集落遺跡で、祭祀遺構や遺物、墓域などが見られず短期間に存続した小規模な集落遺跡が分布する特徴を持つことから、南部低地へ進出した勢力の拠点集落であると考えられている。南部低地は長年の洪水による土砂の堆積や市街化により遺跡分布の把握が不十分であるが、微高地上に立地する上石田の上石田遺跡は安定した定住痕跡が見られ、漁業に用いられた土錘なども出土している。

弥生時代の遺跡は隣接する甲斐市南部(旧敷島町域)にある弥生中期から後期の金の尾遺跡が県内ではじめて発見された大規模弥生集落として知られるが、市域では把握が不十分であるものの弥生時代の遺構には乏しく断片的に発見されている遺物が中心となっている。県内では弥生前期から弥生文化の伝来があり、市域では荒川扇状地の榎田遺跡が弥生後期の集落遺跡として知られ、住居跡や方形周溝墓などが検出されている。遺物は自然堤防や微高地上に分布し、東海系や北陸系などの様々な特色をもった土器が発見されていることから複数経路で導入されたと考えられている。水田跡などは検出されていないが、増坪遺跡から炭化米が発見されている。

甲府盆地における古墳文化の流入は東海地方経由での波及が考えられており、弥生以来の方形周溝墓群などが分布する盆地南部の曽根丘陵において定着した。古墳の築造は4世紀にはじまり曽根丘陵では有力首長層の古墳が出現し、4世紀後半には畿内のヤマト王権の影響を受けた前方後円墳である甲斐銚子塚古墳を最大に古墳中期まで栄えた中道勢力が台頭する。5世紀代に中道勢力が衰退すると古墳の築造は盆地各地へ広まり被葬者層も拡大し、6世紀代には市域を含む盆地北部など各地で中小規模の古墳が築造され、横穴式石室も出現する。

市域を含む盆地北部では出土遺物の特徴として、弥生以来の中央高地特有の土器と東海地方特有のS字かめの混在状態が見られ、市域東部の和田町・川田町では4世紀中半代の方形周溝墓が分布する桜井畑遺跡があるが、前期古墳は和戸町に所在していたという琵琶塚古墳が消滅しているが銅鏡の出土した前方後円墳である可能性が考えられている程度で、本格的な古墳の出現は古墳後期にはじまる。

6世紀には湯村の万寿森古墳は笛吹市八代町の荘塚古墳とともに盆地最古の横穴式石室を持つ円墳として知られ、市域東部の里垣・甲運地区や西部の湯村・千塚など山麓地域を中心に中小規模の古墳が分布する群集墳が出現する。この頃には盆地北西部において甲斐市の赤坂台古墳群など盆地北西部勢力が台頭するが、市域の加牟那塚古墳はこの盟主墳と考えられており、6世紀後半代の甲府盆地では盆地北西部勢力と笛吹市八代町の姥塚古墳を盟主墳とする八代勢力の対立構造が想定されている。盆地北部において活動した渡来人に関連する遺跡が分布しているが、市域では横根町から桜井町にけての横根・桜井積石塚古墳群が渡来人が群集墳であると考えられている。

[編集] 古代の甲府市域

律令制下には巨麻郡山梨郡に属する。古代甲斐国の有力豪族は早くから畿内王権と関わりをもち、甲府盆地東部では仏教文化を導入し、寺本廃寺(笛吹市、旧春日居町)など古代寺院が建立されているが、甲府市域には川田町の川田瓦窯跡や桜井町の上土器遺跡など近隣の森林資源を活かした土器や瓦を生産していた施設があり、甲斐国分寺をはじめ盆地東部の古代寺院へ屋根瓦が供給されていたと考えられている。また、市域にも和戸町の桜井畑遺跡には8~9世紀の小規模寺院跡が発見されており、盆地西部へも仏教文化が浸透していた。また、霊山として知られる市域北端の金峰山には山岳信仰を示す信仰遺跡があり、平安時代中期には末法思想の影響から上積翠寺町の一の森山頂などで経塚造営が行われた。

[編集] 中世の甲府市域と武田城下町の成立

常陸国から配流された源清光の子孫が甲斐各地に拠り甲斐源氏として発展するが、市域では板垣郷に拠った板垣氏や一条郷に拠った甲斐一条氏や飯田氏、塩辺氏、小松氏らが勢力基盤とした。中世には一条や板垣らが治承4年(1180年)には源頼朝の挙兵に呼応して活躍するが、頼朝によって排斥されて勢力は衰亡し、市域南部の稲積荘には加賀美氏や小笠原氏らが進出する。また、中世には市域南部の低湿地の開発が進む。

戦国時代には武田氏が国内統一を進め、武田信昌は市域東部の川田へ居館を構え、石和市部宿と複合城下町を形成した。永正16年(1519年)には武田信虎が古府中に躑躅ケ崎館を築き、家臣団を集住させて新たに城下町が形成された。古府中は信虎、信玄、勝頼と3代にわたり領国拡大を進めた武田氏の本拠地となる。天正9年(1581年)には武田勝頼が韮崎に新府城を築き府中を移転させるが、武田滅亡により新たな城下町の建設は行われず、織田氏徳川氏の統治時代にも府中として機能した。

[編集] 甲府城下町と近世の市域・近現代

一条小山の甲府城築城は徳川氏の関東転封に伴い、豊臣氏の大名である加藤氏浅野氏等に引き継がれる。甲府城は慶長5年(1600年)に完成し、城下町も建設されて新府中(下府中)が形成され、内郭部には武家が集住し、外郭部には町人地となる。古府中(上府中、元府中)には商人町や職人町となる。甲府城下町は上府中26町、下府中23町で構成され、中心は人口の集中する下府中であった。町政は町奉行のもと、町人を代評する町年寄にあたる検断が町政運営を担い、各町を代表する長人(名主)がその指揮に従った。

江戸時代には徳川家康の9男徳川義直徳川家光の弟の徳川忠長、家光の三男の徳川綱重、六代将軍となる徳川家宣等徳川氏の一族が領主となった。例外として五代将軍徳川綱吉側用人である柳沢吉保吉里父子が領主となった。甲府は各支配者により整備され城下町として発展するが、享保9年に将軍吉宗の主導する享保の改革の一環として甲斐一国の天領化が実施され、甲府勤番城の守護と城下の政務を担うと、武家人口の低下や在方経済の伸長の影響を受けて、江戸中期には甲府の人口は減少している。

明治には初代公選知事として赴任した藤村紫朗が、殖産興業と並行して甲府市街の開発を行い、勧業製糸場をはじめ「藤村式建築」と呼ばれる擬洋風建築で統一された諸施設が整備された。

戦後には市域へも工業団地の造成が進み、高度経済成長期には機械工業都市としても発展する。また、交通機関の整備により観光が主用産業となり、自然や歴史的資源など観光資源に着目した町づくりを行っている。

[編集] 地域

[編集] 地名

  • 相生
  • 青沼
  • 青葉町
  • 朝気
  • 朝日
  • 愛宕町
  • 荒川
  • 飯田
  • 猪狩町
  • 池田
  • 伊勢
  • 岩窪町
  • 後屋町
  • 右左口町
  • 大里町
  • 太田町
  • 大津町
  • 大手
  • 落合町
  • 音羽町
  • 小曲町
  • 梯町
  • 金竹町
  • 上阿原町
  • 上石田
  • 上今井町
  • 上帯那町
  • 上小河原町
  • 上条新居町
  • 上積翠寺町
  • 上曽根町
  • 上町
  • 上向山町
  • 川窪町
  • 川田町
  • 北口
  • 北新
  • 貢川
  • 貢川本町
  • 国玉町
  • 黒平町
  • 国母
  • 小瀬町
  • 寿町
  • 古府中町
  • 小松町
  • 幸町
  • 酒折
  • 酒折町
  • 桜井町
  • 里吉
  • 里吉町
  • 塩部
  • 下飯田
  • 下石田
  • 下今井町
  • 下帯那町
  • 下鍛冶屋町
  • 下河原町
  • 下小河原町
  • 下積翠寺町
  • 下曽根町
  • 下向山町
  • 白井町
  • 心経寺町
  • 新田町
  • 城東
  • 砂田町
  • 住吉
  • 住吉本町
  • 善光寺
  • 善光寺町
  • 草鹿沢町
  • 高成町
  • 高畑
  • 高町
  • 高室町
  • 武田
  • 竹日向町
  • 大和町
  • 千塚
  • 中央
  • 長松寺町
  • 塚原町
  • 天神町
  • 塔岩町
  • 東光寺
  • 東光寺町
  • 徳行
  • 富竹
  • 中小河原
  • 中小河原町
  • 中町
  • 中畑町
  • 中村町
  • 七沢町
  • 西油川町
  • 西下条町
  • 西高橋町
  • 西田町
  • 羽黒町
  • 東下条町
  • 平瀬町
  • 富士見
  • 古上条町
  • 古関町
  • 堀之内町
  • 増坪町
  • 丸の内
  • 美咲
  • 御岳町
  • 緑が丘
  • 南口町
  • 宮原町
  • 宮前町
  • 向町
  • 元紺屋町
  • 屋形
  • 山宮町
  • 湯田
  • 湯村
  • 横根町
  • 蓬沢
  • 蓬沢町
  • 若松町
  • 和田町
  • 和戸町


[編集] 市外局番

  • 固定電話の市外局番は古関町と梯町(いずれも上九一色北部地区)を除く全域が055(200~216・218~309)で甲府MAに、古関町と梯町は0555(20~99)で吉田MAにそれぞれ属する。
  • 甲府MA(市外局番055)のうち、古関町と梯町を除く甲府市内では、市内局番は220~255・266・287が使用されている。(266は笛吹市境川町と共有)なお、笛吹市(石和町・八代町・御坂町・境川町・芦川町のみ)、甲斐市(竜王地区・敷島地区のみ)、中央市(全域)、南アルプス市(全域)、中巨摩郡昭和町(全域)、西八代郡市川三郷町(市川大門地区・三珠地区のみ)と同一MAである。
  • 吉田MA(市外局番0555)のうち、古関町と梯町では、市内局番は88が使用されている。なお、富士吉田市南都留郡富士河口湖町西桂町忍野村鳴沢村と同一MAである。
  • 1998年12月31日までは甲府MAの市外局番は0552(20~99)だったが、番号枯渇対策を行うため、1999年1月1日から市外局番が1桁ずらされ、現在の055(200~309※現在は217を除く)になった。
  • 市外局番055は沼津MA(静岡県沼津市三島市など)でも使用されているが、単位料金区域(MA)が異なるため、相互間の通話は市外通話となる。(沼津MAの市内局番は700~709・790~799・900~916・918~999)市外通話であるので、市外局番からダイヤルしなければならない。
  • 天気予報の番号は0552-177である。(市外局番変更の際、一旦は055-177に変更されたが、静岡県東部の天気予報の所在地である沼津MAの市外局番を055にした際、市外局番が重複するため、沼津MAの市外局番変更当日の2002年2月2日に現在の番号に戻された。なお、静岡県東部の天気予報は0559-177である。)この変更については市外局番の項目も参照。この変更に伴い、市内局番217が割り当て市内局番から除外された。
  • なお、古関町と梯町の市外局番を055に変更する(所属MAを甲府MAに変更する)計画は現時点で公表されていない。しかし甲府MAは市内局番に余裕があるため、0555-88-FGHJだけを055-2DE-FGHJなどに移すか、055-588-FGHJに変更することで解決可能である。

[編集] 人口

甲府市と全国の年齢別人口分布図(比較) 甲府市の年齢・男女別人口分布図
紫色は甲府市
緑色は日本全国
青色は男性
赤色は女性
1980年 204,654人
1985年 207,695人
1990年 205,896人
1995年 206,393人
2000年 201,710人
2005年 199,749人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 行政

[編集] 組織・議会

  • 行政機構
市長:宮島雅展(2003年2月3日就任、現在2期目)
  • 組織
甲府市役所を参照。
  • 市議会

定員は32名。2008年現在の党派別議員数は以下の通り。

[編集] 財政

2006年の甲府市の財政力指数0.781未満であるため地方交付税交付金を受けており、さらに実質公債費比率20.8パーセントと新規公債を自由に発行できる値である18パーセントを超えているために発行するには山梨県の許可が必要という状況が続いている。

このように甲府市が財政難に陥っている理由として甲府市に本社を置く企業が少ない(2007年現在、甲府市に本社を置いている東証一部上場企業は山梨中央銀行のみ)上に市内の商業施設や工場の閉鎖が相次いだため法人税収入が減少し、また市街地の地価下落が止まらず(1992年以降下降し続けている)固定資産税も減少、さらに人口も減少しているため住民税も減少するという負のスパイラルに陥っているのに対し、雇用対策や人口流出対策、商店街活性化事業などによる各種補助制度の乱発や不況下においても職員の賃金引き上げを行なってきたため財政を圧迫させてしまっている。

[編集] 産業

[編集] 商業

かつて、甲府市の中心市街地はJR甲府駅を中心に賑わいを見せていた。特に南口にある丸の内地区中央地区山梨県庁甲府市役所といった行政施設をはじめ、百貨店やオフィスビル、多くの商店街が現在も立ち並んでいる。

戦前は「甲府会館」や「岡島百貨店」などの老舗店舗が軒を連ね、戦後は平和通りの整備と共に「甲府西武」や「ダイエー」が進出し、駅北口も丹下健三設計の「山梨文化会館」が開業するなど整備が行なわれていった。中心市街地の全盛期は1980年代であり、「かいじ国体」や「こうふ博'89」開催に関連して甲府駅の改修とあわせて「エクラン」が開業し、「山交百貨店」の新築や「パセオ」の開業、「かすがもーる」の整備などバブル景気の波に乗り地価も上昇し、中心部は順調に発展していく。

しかし、バブル景気が終焉を迎えた1990年代に入ると状況は一変、右肩上がりだった地価は急激に下がるとともに中心街の売上げも急激に落ち込む。さらにこの時期から郊外にショッピングセンターが相次いで開業し、中心街の客足を次々と奪っていったためその影響から中心街に多くある商店街がシャッター通り化した。大型店舗も例外ではなく、1998年には「甲府西武」が、1999年には「ダイエー」から業態転換していた「トポス」が閉鎖した。このように目に見える衰退が続いたことから2000年PHP研究所が発行するTHE21の特集「全国自治体ランキング」において最下位の評価を受けるなど経済界からも見放される結果となった。

衰退の最大の原因として駐車場不足が挙げられている。中心街は建物がひしめき合っている状況で、商業施設はおろか官公庁ですら駐車場の確保が困難な状況に陥っている。確保しているところもほとんどが有料駐車場であり、無料で駐車できる郊外型ショッピングセンターに太刀打ちできずにいる。岡島百貨店や山交百貨店などは一定金額の買い物をすれば無料券が配布されるが、駐車時間等の制約があるため周辺施設へ立ち寄ることは難しい。

活性化策として商工会や商店街は無料送迎バスの運行ややまなし映画祭などのイベントで集客を図ろうとするが歯止めがかかっていない。その一方で駐車場の確保などを含めた甲府市中心市街地活性化基本計画による再開発が本格化しつつある。

[編集] 商業施設

岡島百貨店
百貨店
大型商業施設

[編集] 商店街

  • 甲府中央商店街
    • かすがもーる
    • エル西銀座
    • 甲府銀座
    • 春日あべにゅう
    • 桜通り
    • コリドー通り
    • ベルメ桜町通り
    • 弁天通り
    • 春桜会通り
  • オリオン通り
  • 朝日通り


[編集] 伝統工芸

伝統工芸では宝石研磨や印鑑彫刻、印伝が主なもので、特に宝石産業は甲府の半独占産業でもある。また、水晶細工と印伝は、経済産業省の伝統的工芸品に指定されている。

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 日本国内

[編集] 日本国外

[編集] 教育

[編集] 学校教育

[編集] 大学・短期大学

[編集] 専門学校

[編集] 高等学校

公立

私立

[編集] 中学校

[編集] 小学校

[編集] 社会教育

[編集] 公園

山梨県立美術館

[編集] 博物館

[編集] 図書館

[編集] スポーツ

[編集] スポーツ施設

[編集] プロスポーツチーム

[編集] 交通

[編集] 交通史

江戸時代には甲州街道宿場町として、江戸京都を結ぶ内陸ルートの幹線の一角であった。又、富士山南麓に当たる駿河国への交通路としては駿州往還(身延街道、河内路)や中道往還、若彦路が、信濃国への街道は隣の韮崎市から佐久往還・諏訪往還が分岐していた。

[編集] 鉄道

甲府駅(エクラン)
中心駅
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
広範囲連絡(甲府駅基準、およその時間)

[編集] バス

路線バス

系統や行先などについては甲府駅バスターミナルを参照。

高速バス

運行会社や本数などについては当該項目を参照。

[編集] 道路

[編集] 空港

山梨県内には空港がないので、現状では甲府市との往来に定期航空便を利用する場合は近隣都県にある以下の空港を利用することが多いが、甲府から公共交通機関を用いた場合、信州まつもと空港富士山静岡空港羽田空港成田空港を利用することになる。

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集] 自然景観・観光

[編集] 寺社・歴史的建築物

甲府市域には、寺社は武田氏により保護され、城下町整備において計画的に創建や移転が行われたため数多くの寺社が分布しており、現在では武田氏に関係する歴史的観光資源としても機能している。代表的なものでは、浄土宗甲斐善光寺、時宗寺院の一蓮寺、臨済宗寺院の円光院、長禅寺東光寺法泉寺曹洞宗寺院の、大泉寺や恵雲院、日蓮宗寺院の信立寺がある。

[編集] 祭事・催事

[編集] 出身有名人

[編集] 脚注

  1. ^ ただし、合併した旧中道町域には立石遺跡など旧石器時代の遺跡が見られる。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

公式

観光

最終更新 2009年9月12日 (土) 06:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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