甲西町 (山梨県)
甲西町 (山梨県)の最新ニュースをまとめて検索!
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
甲西町(こうさいまち)は、山梨県中西部に存在した町である。
平成の大合併以前の山梨県における町の中で白根町,櫛形町,敷島町,上野原町,白州町,河口湖町とともに数少なく「まち」と読む自治体であった。(この7町も合併で消滅したが、河口湖町だけは富士河口湖町となり現在も県内で唯一「まち」を名乗っている。)
[編集] 歴史
中世には甲斐源氏の勢力が及び、甲西町域から増穂町域を含む大井庄に武田氏の一族が拠り大井氏を称し、戦国時代には国人領主化する。大井信達・信業期には西郡(盆地西部)一帯に勢力を及ぼしており、町域には古長禅寺など大井氏に関わる史跡が分布する。信達は国内統一をめざす武田信虎と抗争するが、永正14年に和睦して娘を信虎正室として姻戚関係を結ぶ。大井氏の敵対は駿河国今川氏の侵攻を招き、大永元年(1521年)には今川方の武将福島正成が河内路(駿州往還)を甲斐へ侵攻し、戸田にあったという富田城を占拠し府中へ迫った。
また、大師には鎌倉時代の大師東丹保遺跡があり、当時の生活や精神文化を窺える膨大な木製品が出土した遺跡として知られる。
荊沢宿は甲府と駿河を結ぶ駿州往還(河内路)の鰍沢宿と、甲府から信濃へ向かう甲州道中の韮崎宿を結ぶ駿信往還の宿場として栄え、荊沢や古市場村においては市が立った。西郡の他地域と同様に釜無川増水による水害の常襲地であったが町域でも治水は遅れ、昭和30年の滝戸川改修工事により解消される。
[編集] 関連項目
最終更新 2008年7月10日 (木) 10:16 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【甲西町 (山梨県)】変更履歴


