留萌市

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留萌市
るもいし
日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道 留萌支庁
団体コード 01212-2
面積 297.44km²
総人口 25,335
住民基本台帳人口、2009年9月30日)
人口密度 85.2人/km²
隣接自治体 留萌支庁
増毛郡増毛町
留萌郡小平町
空知支庁
雨竜郡北竜町沼田町
市の木 アカシア
市の花 ツツジ
他のシンボル -
留萌市役所
市長 高橋定敏
所在地 〒077-8601 北海道
留萌市幸町1丁目11番地
電話番号 0164-42-1801
外部リンク 留萌市

留萌市位置図(北海道)

:政令指定都市 / :市 / :町・村
特記事項:
人口は住民基本台帳による
テンプレート(ノート・解説・ウィキプロジェクト)
上空から留萌市街を望む

留萌市(るもいし)は、北海道留萌支庁にある。同支庁が所在し、留萌管内の中心都市である。昔ほどではないが今でもニシンが水揚げされ、国内最大の輸入港の留萌港を擁する。現在はニシンの魚卵であるカズノコの国内最大の加工地。主な産業は貿易などのその他商業、土木業、水産加工業である。

市名の由来はアイヌ語「ルルモッペ」(潮が奥深く入る川)から。

目次

[編集] 地理

留萌支庁南部、日本海沿岸に位置する。

  • 山: ポロシリ山 (730.5m)
  • 河川: 留萌川、セタベツ川、八線沢川、十二線川、十五線川、林の川、中幌糠川、チバベリ川、チバベリ右川、桜庭川、タルマップ川、ポンルルモッペ川、ヌルマップ川、マサリベツ川
  • 湖沼: 礼受沼、中幌ダム
  • その他: 黄金岬

[編集] 隣接する自治体

[編集] 人口

留萌市と全国の年齢別人口分布 留萌市の年齢・男女別人口分布
紫色 ― 留萌市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
1980年 36,626人
1985年 35,542人
1990年 32,429人
1995年 30,060人
2000年 28,325人
2005年 26,826人
総務省統計局 / 国勢調査2005年

[編集] 沿革

江戸時代まではアイヌ日本人が混在、明治期にニシン漁の北上に伴い漁村として日本人の村が市内に点在。

大正期に入り、各地に炭鉱(大和田炭鉱、豊平炭鉱、浅野炭鉱、達布炭鉱)が発見され隆盛をきわめる。昭和22年頃には留萌本線羽幌線天塩炭砿鉄道留萌鉄道達布森林鉄道など多くの鉄道路線が留萌駅に乗り入れしていた。

1960年代までの人口は4万人以上であったが、ニシン漁の衰退や炭鉱の相次ぐ閉山により減少に転じた。現在では公務員とその関係者が市民の半数以上を占め、企業の支店関係者を含めると8割を超す。支店経済の「斜陽の都市」である。

  • 1867年慶応3年) - ルルモッペ場所が函館奉行直轄となる。
  • 1869年明治2年) - ルルモッペを留萌(るもえ)と命名する、山口藩支配となる。
  • 1877年(明治10年) - 戸長役場を元町(川北)に建造する(留萌市の開基)。
  • 1902年(明治35年) - 留萌郡礼受村(れうけ)を編入、二級町村制施行、留萌郡留萌村。
  • 1907年(明治40年) - 留萌郡三泊村(さんどまり)を編入、一級村制施行。
  • 1908年(明治41年) - 町制施行。
  • 1910年(明治43年) - 留萌~深川間に鉄道開通。
  • 1914年大正3年) - 増毛支庁を現在の留萌市に移し、留萌支庁と改称する。
  • 1921年(大正10年) - 留萌~増毛間に鉄道開通。
  • 1945年(昭和20年) - 留萌沖で樺太引き揚げ船三隻が撃沈される。停戦後、スターリントルーマンに「留萌と釧路を結ぶ線以北にソビエト軍を進駐させる」という提案をしたが、トルーマンは拒否した。
  • 1947年昭和22年)10月1日、市制施行。
  • 1971年(昭和46年) - 留萌高等学校、夏の甲子園出場(0-1 県立岐阜商業高校)
  • 1977年(昭和52年) - 開基100年。
  • 1997年(平成9年) - 開基120年。
  • 2004年(平成16年) - コミュニティFM放送局「エフエムもえる(76.9mhz)」開局。増毛町小平町と法定の「留萌南部三市町合併協議会」を設置。
  • 2005年(平成17年) - 1月12日合併協議会の解散が決まる。

[編集] 経済

1940年代まではニシン漁にのみ頼る漁業の町で、定住人口は4万人弱、出稼ぎ労働者は3万人以上いて、歓楽街は大いに賑わっていた。

1910年代から炭鉱の開発が進み、鉱業の占有率が年々高まった。 また1950年のニシン資源の枯渇からは、水産加工業者向けに三井物産などが海外から魚卵などを輸入し、さらに市内の木材加工業者も1950年代から海外材の輸入を始めたため、1950年以降は市の経済は貿易と鉱業の2本柱となった。

また、このころ市内の水産加工業者が数の子を黄色く加工し、贈答用に売り出したところ、空前の大ヒットとなり、1950年代の留萌港の国内における数の子輸入のシェアはほぼ100%であった。 この成功から稚内、岩内、紋別などの道内の漁港に貿易船を派遣し、国内交易によりタラコを集積した上で、真っ赤に加工し、贈答用に売り出した。 こちらも大ヒットし、1950年代のタラコ加工の国内における留萌市内の水産加工会社のシェアは60%を超えていた。

1960年代に炭鉱が閉山となり、私鉄も相次いで解散し、1960年代以降は貿易と工業の2本柱となった。

しかし、大消費地に近い札幌や首都圏の工場に数の子、タラコのシェアを奪われ、市内の水産加工業は年々衰退したため、1970年代には地場企業の首切り、賃金カットが進み、歓楽街の衰退、小売店の閉店、企業の支店の撤退を招いた。 その頃より市の行政は「官依存」に傾倒して行き、政界も革新から保守へのシフトが進み、中央への陳情による土建行政が始まった。

1980年代には市内の失業者を受け入れるために港湾、道路、ごみ処理場の整備をはじめ、高額所得法人の上位を土建業者が占めるようになり、市債の発行が急激に膨らんだ。

1990年代には木材加工業者が廃業、あるいは海外進出し、市内での経済活動がほとんどなくなり、木材輸入業者も市内から撤退した。 頼みの「官」も留萌海運局の旭川への移転、留萌海上保安局の小樽への統合など撤退が相次ぎ、商店街はかつてない不安定な状況に立たされた。 90年代以降の市内の経済は公務員の給与と、公共工事に依存する典型的な官依存の都市となった。

2000年の国勢調査による従事者数の割合は公務員を含む第三次産業だけで全従事者数の7割以上を占め圧倒的に高く、第二次産業が3割。第1次産業は3%余りを占めるに過ぎない。

細目ではサービス業26.28%、卸売・小売・飲食店20.28%、建設業16.42%、製造業12.04%、その他(分類不能)公務員11.78%、運輸・通信業6.23%、金融・保険業2.50%、農業1.76%、漁業1.18%、電気・ガス・熱供給業0.61%、林業0.55%、工業0.16%の順となっている。

うち公務員について「その他公務員」11.78%に各産業別公務員(市立文化センター職員は「サービス業」に分類など)の合計10.55%を含めると全体の22.3%を占めている。

[編集] 立地企業

[編集] 農協・漁協

  • 南るもい農業協同組合(JA南るもい)
  • 新星マリン漁業協同組合

[編集] 郵便

  • 留萌郵便局(日本郵便留萌支店併設)
  • 幌糠郵便局

[編集] 公共機関

[編集] 警察

[編集] 行政

[編集] 概要

近年、税収の減少と、90年代の箱物行政の影響で財政が急激に悪化している。

[編集] 歴代市長

[編集] 市議会

[編集] 概要

定数は16人。

[編集] 構成

会派 議席数
民主・市民連合 4
萌政会 4
萌芽クラブ 5
公明党 2

2007年平成19年)6月9日現在)

[編集] 姉妹都市・提携都市

[編集] 教育

(統合・廃止された高等学校)

[編集] 交通

[編集] 空港

[編集] 港湾

[編集] 鉄道

[編集] バス

[編集] 道路

[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

[編集] 文化財

[編集] 重要有形民俗文化財

  • 留萌のニシン漁撈(旧佐賀家漁場)用具

[編集] 史跡

  • 旧留萌佐賀家漁場

[編集] 市の文化財

  • 星兜残欠 他2件 - 海のふるさと館蔵
  • 黄金岬の日和山烽火台跡
  • 三泊漁港遺跡

[編集] 名所・旧跡

[編集] 観光スポット

[編集] 祭り

  • るもい呑涛まつり(7月下旬)
  • 萌っ子春待里(3月上旬)

[編集] 郷土芸能

  • 礼受神楽

[編集] 名産品

  • ニシン - にしん糠漬け(糠にしん)、身欠きニシン切り込み
  • 数の子…旧来の塩カズノコに加え、醤油漬・親子マリネ・子持ち昆布風など新商品の開発が進められている。
  • その他各種水産加工品…エビ・イカなどの沖漬(鮮魚を調味液に漬けたもの)や塩辛、タラコ(紅葉子)ほか
  • にしんそば
  • にしんパイ

[編集] 出身の有名人

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

公式

観光

その他


最終更新 2009年10月23日 (金) 13:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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