番場嘉一郎

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番場 嘉一郎(ばんば かいちろう、1909年10月28日 - 1989年5月30日)は会計学者。一橋大学名誉教授。青山学院大学教授。元千葉商科大学学長(1975年~1987年まで)。

弟子に中村忠山浦久司・三澤一・中川美佐子・河野正男・森薗英輔・桝岡源一郎・佐藤宗弥・佐藤倫正・松吉定男等がいる。

[編集] 出身地

東京都渋谷区初台生まれ。

[編集] 来歴

昭和9年に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業。学部では太田哲三博士のゼミで経営分析を研究する。卒業後ダイヤモンド社の記者を経て、東京商科大学の教授となる。戦後、巣鴨高等商業学校(現在の千葉商科大学)・横浜市立経済専門学校(現在の横浜市立大学)を経て、一橋大学助教授・一橋大学教授(昭和48年まで)となる。一橋大学を定年退官後は青山学院大学教授を経て、千葉商科大学の学長を務める。 1989年5月30日渋谷区の日赤医療センターで肝性脳症の為死去。享年79。叙従三位

[編集] 人物

黒澤清と共に企業会計審議会で企業会計原則原価計算基準などの制定に携わる。また企業会計審議会の部会長・会長を歴任する。

  • 専門は原価計算・管理会計であったが、財務会計・税務会計・監査など会計学全般に守備範囲を持つ学者であった。

門下生の1人、中村忠教授はご自身の著書『会計学こぼれ話』の中でこう述べている。

「先生の研究態度は厳正の一言に尽きる。万巻の書物を読み漁り、和書・洋書を問わず買い集めた。そのためにどんなに時間や費用がかかろうと、人に迷惑がかかろうと構わない」と。

また先生の弟弟子でもある、新井益太郎教授はご自身の著書『私の知る会計学者群像』でこう述べている。

「万巻の著作を丹念に読み、何時間も、何日も掛けて考える。自分で納得しなければ一行も一字も書かない。二百字詰め原稿用紙一枚を埋めるのにどれ程の時間をかけるか想像もつかない。(中略)。『棚卸資産会計』(博士の学位論文)を書くのにどれ程の時間をかけたか、国元書房専務の国元 誠さんが殆ど日参されていたが、難しい箇所になると「今日は二枚」、「今日は一枚」というようにして原稿を貰って帰ったのが何回もあった」と。

更に門下生の1人、桝岡源一郎教授はこう述べている(千葉商大新聞:1989年6月号より)。

「(番場嘉一郎)博士は初めてお会いした頃から、ものすごく怖い先生でした。マスター(青山学院大学の修士課程)の時など勉強してこないとボロクソに怒られ、何度も初台の自宅から泣きながら帰ったことを覚えています」と。

学位論文でもある『棚卸資産会計』(昭和38年、国元書房)は1236ページにも及ぶ大著で、これを超える書物は現れないであろうと言われている。

学位論文を完成した直後から、新井清光教授の勧めでゴルフに没頭するようになる。そのチーム名は、ゴルフのバンカーと先生の番と嘉と一の字の組み合わせを文字って「バンカークラブ」と呼ばれた(新井清光著『会計諸基準側面誌』より)。

最終更新 2009年10月19日 (月) 12:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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