白倉伸一郎

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白倉 伸一郎(しらくら しんいちろう、1965年8月3日 - )は、日本のテレビドラマ映画プロデューサー東京都出身。東京大学文学部第3類(現・言語文化学科)卒。現在は東映東京撮影所長代理を務めている。

目次

[編集] プロフィール

[編集] 作風

特撮ドラマの場合、従来の特撮ヒーローが持っていた善悪二元論、勧善懲悪的な論法に対し非常に懐疑的であり、プロデュース作品には「ヒーローであっても俗物である(『超光戦士シャンゼリオン』の主人公、涼村暁など)」あるいは「そこには正義も悪もない。人間が生きている、ただそれだけのこと(『仮面ライダー555』の企画書より)」といった、ヒーロー的な「正義」の概念を否定する要素が含まれることが多い。

『仮面ライダー555』以降の作品に見られるように、「設定を固めてこじんまりと綺麗にまとめるよりも、リアルタイムのテレビ番組ならではのライブ感を重視したい」というのが持論であり、話を盛り上げるためには多少の強引なストーリー展開や、基本設定の矛盾も省みない。

諸般の事情によりシリーズ中盤からの参加となった『仮面ライダー響鬼』では、白倉就任直後から作風に大きな変化が起きたとしてその是非を巡り議論が発生、インターネットコミュニティ間などに大きな物議を醸した(詳細はプロデューサー交代騒動の項を参照)。

[編集] 人物

コンピュータ関係に詳しく、1996年に東映テレビ部門のウェブサイトが開設されると初代ウェブマスターに就任。彼がプロデュースに携わっていなかった『仮面ライダー剣』の東映公式サイトも作成したようである。 一時は本業と並行して専門誌にプログラミング関係の論文を投稿していた他、「cron」のHNでMS-DOSプラットフォームフリーソフトウェアも制作しており、これらはベクターのダウンロードサイトで入手が可能である。

仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーディケイド』までの平成仮面ライダーシリーズ作品(『仮面ライダー剣』『仮面ライダーキバ』を除く)で、プロデューサー(チーフ、サブ、P補問わず)として参加している。特にチーフプロデューサーとして参加した『仮面ライダーアギト』『仮面ライダー龍騎』『仮面ライダー555』の初期3作品はいずれも高い人気を得たが、『555』開始当初の雑誌のコメントで「1年限りだからできる激務を結果的に3年続けてしまった。このスタッフ(白倉、脚本の井上敏樹、演出の田崎竜太ら)で作るライダーはこれが最後」と発言し、その発言通り翌年からライダーのテレビシリーズ製作から一旦は離れた。とは言え、その後も前述の通り一部の作品を除いてライダー制作には参加しており、前述の井上、田崎らとも共働している。

一度つきあったスタッフを大事にし、重用するのも特徴で、特に演出家では長石多可男、田崎竜太、石田秀範金田治雨宮慶太、脚本家では井上敏樹、小林靖子米村正二、イラストレーター(キャラクターデザイナー)では出渕裕篠原保韮沢靖、作曲家では安川午朗佐橋俊彦蓜島邦明と非常に懇意にしている。また『シャンゼリオン』以来、特撮ドラマでは、後輩プロデューサーである武部直美と組むことが多い。

[編集] エピソード

  • 東映入社以前から筋金入りの「東映作品マニア」であったとインタビューにて度々語っている。「東映ヒーローネット」インタビューによると、なかでも『特捜最前線』、『スケバン刑事』シリーズ、宇宙刑事シリーズには多大な影響を受けたそうで、それら全作に携わっていた監督の田中秀夫、そして小林義明のファンでもあったという。
  • 『仮面ライダーBLACK RX』を見て、誰かが東映を立て直さなければいけない、と思ったのが東映入社のキッカケであると語っている。
  • ファンの間でまことしやかに語られている逸話として、「入社時の面接試験で、岡田茂社長を初めとする当時の役員を前に既存の仮面ライダーシリーズを批判しつつ、熱い思いを語った」というものがあるが、白倉自身は後年これを否定し、「スポンサーを初めとする外部と制作現場の調整をするような仕事をしたい。現場を守りたい」と面接の際に語ったことが、前述の逸話として伝わったようであると述べている[1]。ただしこのエピソードは本人が書籍『シャンゼリオンメモリアル』で直接語っている内容であるので、どちらが正しいかはわからない。
  • 恐竜戦隊ジュウレンジャー』の第11話『ご主人さま!』(渡辺勝也のデビュー作品でもある)のプロット会議にて「アラジンの魔法の怪人を出そう」というアイデアで最初盛り上がったが、そこに脚本家・杉村升がやって来てその話を聞き、「子供の夢を壊していいのか? 子供番組の制作者だったら何やってもいいってことじゃないだろ!」と大激怒したという。これは白倉にとって「正に痛恨の一撃」の出来事であったようで、非常に勉強になったと語っている。後年杉村が急逝したときはプログにて追悼文を記している。
  • 白倉が2009年現在最後に携わった戦隊作品『五星戦隊ダイレンジャー』だが、『東映ヒーローMAX』インタビューにて「今でも一番面白い戦隊だと思う」と白倉は語っている。また同インタビューにて第47話で空をバックに登場人物たちの映像シーンが流れるが、「試写でひっくり返ったんですよ、『ありえねぇって!』、脚本には書かれてないのにね、死んでる人間と生きてる人間が全員纏めて映像で流れるんですよ。死んでねぇよ!って」とそのシーンの演出を痛烈に批判している(この回の演出は小笠原猛)。
  • 書籍『シャンゼリオンメモリアル』で語られていることだが『超光戦士シャンゼリオン』にてチーフプロデューサーで上司でもある吉川進と第5話のあたりでかなり激しい大喧嘩をしたという。その後吉川と白倉は一切口を利かなくなったそうだが、しかしその衝突の原因についてはいまだオフィシャルに理由は明かされていない。
  • 前項の「人物」でも述べられているが一度付き合ったスタッフは大切にしている。『美少女戦士セーラームーン』序盤部の後、東映を離れた田崎竜太フジテレビトムス・エンタテイメント制作による『エクスマージュ』の企画に参加した。2004年10月より半年間放送される予定で雑誌に告知記事が先行掲載されたりもしたが、制作会社が突如制作を断念。企画が頓挫したことを田﨑は旧知の白倉にメールで報告したところ、白倉は「東映で作ります」と田崎に持ちかけた。結果、放送局はフジテレビからテレビ朝日、放送期間は半年から1クール、その他放送開始日やキャストなどの変更といった紆余曲折を経て2005年1月より『Sh15uya』として放送されることになった。

[編集] 主な作品

[編集] テレビドラマ

[編集] チーフプロデューサー作品

[編集] サブプロデューサー/プロデューサー補作品

[編集] オリジナルビデオ

[編集] 映画

[編集] 著作

  • ヒーローと正義(寺子屋新書刊、2004年)

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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最終更新 2009年11月30日 (月) 11:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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