白木秀雄

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白木 秀雄(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康、1933年1月1日 - 1972年8月)は、日本のジャズドラマー

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[編集] 経歴

神田の酒屋に生まれる。錦城中学校を経て東京芸術大学音楽学部打楽器科に入学(のちに中退)。この年の打楽器科入学生は2名で、もう1人は指揮者岩城宏之であった。芸大在学中にキジ西村の勧めでブルー・コーツに参加し、ジャズ・ドラマーとしてのキャリアを開始する。

レイモンド・コンデとゲイ・セプテット、河辺公一とゴールデン・チャリオティアーズを経て、1953年に初のリーダーバンド、白木秀雄トリオを結成するが間もなく解散。その後、小野満とフォアブラザーズ、与田輝雄とシックス・レモンズを経て、渡辺プロダクションに所属し、1957年4月に白木秀雄クインテットを結成。1959年水谷良重と結婚し(1963年離婚)、時代の寵児としてマスコミを賑わせた。

1965年10月、ヨアヒム・ベーレント(en)の招きで白木クインテットとしてベルリン・ジャズ・フェスティバル(de)に出演するが、帰国後、白木のわがままに耐え切れなくなったメンバーが次々に脱退。新メンバーを迎えたものの仕事数が激減し、1968年5月に解散。同時期に渡辺プロダクションからも解雇された(メンバーチェンジ以降赤字続きだった)。

白木クインテットの解散後はジャズ界から離れる。1972年9月1日、赤坂のアパートの自室で腐乱死体となって発見された。死因は睡眠薬中毒で、晩年はかなり荒れた生活を送っていたという。

[編集] 白木秀雄クインテット

上述のような脱退の影響もありメンバー経験者は多い。トランペットでは福原彰、小俣尚也、仲野彰、日野皓正テナーサックスでは宮沢昭松本英彦、村岡建、稲垣次郎、ピアノでは八城一夫、世良譲大野雄二ベースでは栗田八郎、稲葉国光などが参加していた。

2000年代半ばに再評価の機運が高まり、主要盤はほぼ再発売された。

[編集] ディスコグラフィ

[編集]  アルバム 

  • 祭りの幻想
  • プレイズ・ボッサ・ノバ
  • 白木秀雄リサイタル
  • プレイズ・ホレス・シルヴァー
  • ファンキー!登場
  • さくらさくら
  • ステレオ・ドラム
  • ブラック・モード

最終更新 2009年10月26日 (月) 22:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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