白河郡

白河郡の最新ニュースをまとめて検索!

令制国一覧 > 東山道 > 磐城国 > 白河郡

白河郡(しらかわぐん)は、陸奥国南部(後の磐城国)にあったである。後に白河郡(後の西白河郡)、高野郡(後に白川郡と改称、さらに東白川郡)、石川郡に分割された。

白河郡は白河国造が置かれた白河国が律令制下の評(郡)に組み入れられたもので、陸奥国南部にあって下野国から陸奥に入るときの入口で、古代には白河関が置かれた。現在の泉崎村にある関和久遺跡が7世紀末に作られた郡家とされる。10世紀に表された『和名抄』が記すは大村・丹波・松田・入野・鹿田・石川・長田・白川・小野・駅家・松戸・小田・藤田・屋代・常世・高野・依上と17を数え、陸奥国の中ではもっとも多くの郷を擁する大郡であった。

また、同書の注記に「入野・常世・高野・依上の4郷は別に高野郡を編成して、白河郡から分離する」とあり、和名抄が成立する10世紀半ばまでに南東部が高野郡として分立していた。

永承6年(1051年)、源有光は父頼遠とともに陸奥守源頼義に従って奥州に下向、前九年の役に従軍した。頼遠は厨川で戦死したが有光が父に代わって軍を指揮。康平6年(1063年)、有光はその軍功により白河郡のうち阿武隈川東岸、北東部に位置する石川郷の地を与えられて居住し、それ以来同地に一族蟠踞して石川氏を称するとともに支配を拡げ、自らの荘園・石川庄を築いた。これが後に石川郡として白河郡から分立した。

残った白河郡は明治12年(1878年)、郡区制がしかれた時に西白河郡に改称された。

最終更新 2009年10月12日 (月) 13:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【白河郡】変更履歴

ご利用上の注意

もっと調べる!