白洲文平

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兵庫県三田市心月院にある白洲文平夫妻の墓。

白洲 文平(しらす ふみひら、1869年(明治2年) - 1935年(昭和10年)10月23日)は日本の実業家である。

[編集] 略歴

兵庫県に生まれた。父は白洲退蔵、子に白洲次郎がいる。

築地大学校(一致学校、現・明治学院大学)卒業後、ハーバード大学ボン大学に留学。帰国後は三井銀行鐘紡に勤めるが中途で退社。

その後、神戸市栄町に貿易会社白洲商店を創業し綿貿易により発展して巨万の富を築いた。豪放ながら傲慢な性格で、周囲からは『白洲将軍』と畏れられた。建築が趣味で多くの邸宅を次々に建て、それらは『白洲屋敷』と呼ばれた。伊丹に建てた邸宅は4万坪の敷地にコローモネマティスピカソなどの作品を収めた美術館煉瓦造給水塔などを備えたものだったという。

白洲商店は1928年(昭和3年)に昭和金融恐慌により倒産。その後は阿蘇山麓の大分県竹田市荻町に洋館を建てて移り住み、その地で死去した[1]

なお、現在、名前は「ふみひら」として広まっているが、史料には「Mr B.P. Shirasu」と見えるものもあるようであり、「ぶんぺい」であった可能性が高い。

[編集] 脚注

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[編集] 関連項目

最終更新 2009年11月6日 (金) 21:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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