白金台
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白金台(しろかねだい)は、東京都港区にある地名。現在の住居表示では白金台一丁目から白金台五丁目まである。当地域の人口は、9,947人(2009年4月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。
郵便番号 108-0071
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[編集] 概要
港区の西南端に位置し、西部で渋谷区恵比寿・品川区上大崎・東五反田に隣接し、東部で高輪に、北部で白金にそれぞれ接する。目黒通りと外苑西通り・桜田通り(国道1号)沿いに商店・マンションが林立し、その他は大部分が閑静な住宅地となっている。町内には歴史的建造物で有名な明治学院大学があり、中でもインブリー館は、白金台の景観を語るにあたって不可欠な物となっている。近年は高所得の住民も住むようになり、その一部の女性がマスコミにより「シロガネーゼ」[1]として取り上げられた。そのため、高級住宅街として知られるようなった。また、外苑西通りは「プラチナ通り」として紹介された。
また、町名の白金台は正しくは「しろかねだい」と発音し、「しろがねだい」ではない[2]。一般にはどちらの読み方もされてきたが、
- もともと町名の起源となった白金長者(応永年間に白金地区を開墾した柳下上総介)は、白金(しろがね=プラチナ)ではなく、大量の銀(しろかね)を保有していたために白金長者と呼ばれるようになったこと
- それを裏付けるように、『小田原衆所領役帳』では「白銀」と記されていること
などの歴史的事情を考慮して、1969年(昭和44年)1月1日に白金地区に住居表示が実施された際、港区が「しろかねだい」を正式町名として採用したという経緯がある。
[編集] 歴史
- 応永年間、南朝の国司であった柳下上総介が当地を開墾、白金村を開く。(白金村は武蔵国豊島郡と荏原郡の境界線上にあったため長いこと所属が定まらず、江戸時代は入会地とされた)
- 慶安4年(1651年)、現在の目黒通り沿いに形成された町屋が白金村より分離し、白金台町一丁目~十一丁目が成立する。
- 正徳3年(1713年)、新たに町奉行支配となる。
- 明治元年(1868年)、東京府成立にともない、白金台町は東京府の所属となる。
- 明治2年(1869年)、白金台町六丁目に白金瑞聖寺門前を合併する。
- 明治5年(1873年)、白金台町一丁目~五丁目に瑞聖寺の敷地をあわせて新たに白金台町一丁目とし、白金台町六丁目~十一丁目に白金御料地をあわせて白金台町二丁目とした。
- 明治11年(1878年)、芝区の成立にともない、東京府芝区白金台町となる。
- 明治22年(1889年)5月1日、東京市の成立にともない、東京市芝区白金台町となる。
- 明治45年(1912年)、神田橋より白金火薬庫前(現・上大崎)まで東京市電が開通する。
- 昭和22年(1947年)、芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立する。それにともない町名に「芝」の冠称がつき、港区芝白金台町となる。
- 昭和42年(1967年)12月10日、白金台の都電が廃止される(5系統・目黒駅前~白金台町~永代橋)。
- 昭和44年(1969年)1月1日、住居表示実施。従来の芝白金台町に周辺の芝白金三光町・芝白金今里町・芝白金猿町・芝二本榎西町などをあわせて現在の白金台(しろかねだい)成立。
- 平成12年(2000年)9月26日、地下鉄南北線・三田線白金台駅が開業。
[編集] 住居表示実施前後の町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
|---|---|---|
| 白金台一丁目 | 1969年1月1日 | 芝白金台町一丁目、芝白金今里町 |
| 白金台二丁目 | 芝白金今里町、芝白金猿町、芝二本榎西町 | |
| 白金台三丁目 | 芝白金台町一丁目、芝白金台町二丁目、芝白金今里町 | |
| 白金台四丁目 | 芝白金台町一丁目、芝白金台町二丁目、芝白金三光町 | |
| 白金台五丁目 | 芝白金台町二丁目、芝白金三光町 |
[編集] 施設・名所
- 白金台一丁目
- 白金台二丁目
- 白金台三丁目
- 白金台四丁目
- 旧国立公衆衛生院
- 東京大学医科学研究所
- 白金台駅
- 駐日エリトリア大使館
- 白金台五丁目
- 国立科学博物館付属自然教育園
- 東京都庭園美術館
- 松岡美術館
- 駐日ジンバブエ大使館
- 台北駐日経済文化代表処
- 白金台どんぐり児童遊園
[編集] 交通
[編集] 関連項目
[編集] ギャラリー
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東京都庭園美術館正門 |
旧・朝香宮邸 |
明治学院大学 |
旧国立公衆衛生院 |
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瑞聖寺 |
スパ白金 |
桑原坂 |
[編集] 参考図書
- 『まち探訪ガイドブック』 2007年度版 港区発行
[編集] 脚注
- ^ 実際にはマスメディアが言うところの「シロガネーゼ」はほんの一部の住民か、またはほとんどいなかったとも言われている。しかし、そのようにマスコミで取り上げられたこともあり、もともと静かな住宅街であった白金台には、外苑西通り(プラチナ通り)沿いを中心にレストランやブティックなどが増えるようになり、観光客も見られるようになった。しかし、その影響による地価の急激な高騰と昨今の長期的不況により、店の入れ替わりがいっそう激しくなり、開店して1年も経たずに店が入れ替わるケースも珍しくない。また、旧白金台町は空襲の被害を受けなかったこともあり、目黒通り沿いには近年まで戦前から残る家屋が並んでいたが、地下鉄開業と目黒通りの拡幅工事によって、他の東京の地区と同様にすべてマンションやビルに変わってしまった。
- ^ 作家今東光は会話の時うっかり「芝のしろがね町の……」と発言したために、谷崎潤一郎から「芝はしろかね。白金と書いてしろかねと言うんだ」「牛込のはしろがね。白銀と書いてしろがねと発音するんだ。明治になってから、田舎っぺが東京へ来るようになって、地名の発音が次第に滅茶苦茶になってきたな」と怒鳴りつけられたことを記している(『十二階崩壊』中央公論社、1978年。p.250)
[編集] 外部リンク
- 港区高輪地区総合支所
- 白金台エリアガイド白金台のタウン情報を案内するサイト
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