皇居外苑
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皇居外苑(こうきょがいえん)は、東京都千代田区にある国民公園、及び、同公園に由来する千代田区の町名である。旧麹町区の地域内である。
郵便番号 100-0002
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[編集] 概要
皇居外苑は厳密には1969年に開園した北の丸地区(北の丸公園)と皇居前広場の皇居外苑地区それに、皇居の周り濠にそった皇居外周地区を総括的に指すが、通常は皇居前広場を中心とした地区を指す(本項ではこれを扱う)。広大な広場のほかに、桜田門と二重橋といった日本を代表する歴史的にも貴重な建築物を見ることが出来る。
- 入苑は無料。広く開放されており開苑・閉苑の概念自体ない。
[編集] 歴史
元々は皇室苑地であったところを戦後、国民公園として開放することが閣議決定され1949年に開園。 広大な芝生と黒松の木を中心とした皇居前広場に、巨大な噴水を上げている和田倉噴水公園など都心で数少ない安らぎの空間となっている。1971年に当時の厚生省から環境庁(現:環境省)に管轄が変わった。 都内の観光ツアーの訪問地の代表格でもあり、海外からのも含め観光客の姿も多い。
皇居に接している場所ということもあり、多くの事件・出来事が起こった。
- 皇居前での集団自決 1945年8月 - 第二次世界大戦での敗戦を機に、皇居前広場で多くの自決者が出た。
- 人民広場事件 1950年 - デモ隊と占領軍が皇居前広場で激突。死者は出なかったが、レッド・パージのきっかけとなった。
- 血のメーデー事件 1952年 - デモ隊と警察が皇居前広場で激突。死者2名を出した。
[編集] 地域
公園というが、遊具などはなく、広場の散策や江戸城の歴史に触れる憩いの場として見る向きが強い。また、皇居に隣接してある性質上、皇宮警察や警視庁の監視がある。
- 皇居前広場 - 皇居外苑の代表的な広場。非常に広大な広場で、都心とは思えないほどのとても開放的な雰囲気である。砂利の部分と、芝生と黒松が植わっている広場からなっている。周辺の丸の内や日比谷のオフィスビルが一望できる。広場の間を内堀通りが縦貫している。皇紀2600年を記念して現在の姿になった。戦後、左翼勢力により「人民広場」と称された時期もあった。
- 二重橋 - 皇居に架かる代表的な橋。かつて橋が二段構造になっていたので、この名がついた。普段は立ち入れず、皇居前広場から眺めることしかできない。詳細は当該項目参照。
- 桜田門 - 皇居にある代表的な門。重要文化財に指定されている。現在でも通行することができる。詳細は当該項目参照。
- 坂下門 - 現在は宮内庁の通用門として使用されている。幕府の老中であった安藤信正が襲撃された坂下門外の変はここで起きた。
- 楠正成像 - 別子銅山開山200年を記念して住友家が企画し作成され、宮内庁に献納された。1904年に完成した、都内の代表的な銅像。作成者は正成像が高村光雲、馬は後藤貞行。
- 和田倉噴水公園 - 和田倉地区にある噴水公園。今上天皇の成婚を記念し、1961年に開園。その後、現皇太子の成婚を記念して整備され、1995年に現在の姿になる。高さ8.5mまで吹き上げる大噴水やその周りを彩るの小噴水は芸術的である。夜になるとライトアップされ幻想的な雰囲気になる。特に夏場は涼を求めて多くの人が訪れる。
- 楠公レストハウス - 楠正成像のそばにあるレストラン・休憩所。
また、隣接して皇居東御苑があり、江戸城の遺構などを見ることができる。
[編集] 千代田区の町名としての皇居外苑
当地域には1967年(昭和42年)、住居表示が実施され、「千代田区皇居外苑」が正式の町名となった。前述のとおり、国民公園としての「皇居外苑」には、厳密には北の丸公園や皇居の周濠も含まれるが、町名としての「皇居外苑」の区域は皇居前広場周辺のみである。
住居表示による街区は1番から3番まで設定され、楠正成像やレストハウスのある地区が1番街区、和田倉噴水公園の所在地が3番街区、その中間が2番街区である。住居表示実施以前の旧町名は1番街区が祝田町、2番街区が宝田町、3番街区が元千代田町であった。地域内には上述の施設のほか、居住施設等は一切なく、世帯数・人口ともにゼロである。
[編集] 交通
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年11月15日 (日) 14:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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