相模線

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相模線
相模線用の205系電車(海老名駅 - 厚木駅間)
相模線用の205系電車(海老名駅 - 厚木駅間)
相模線の路線図
路線総延長 33.3 km
軌間 1067 mm
電圧 1500 V 架空電車線方式 (直流)
上の路線図では赤線が相模線、
青線が横浜線乗り入れ区間

相模線(さがみせん)は、神奈川県茅ヶ崎市茅ヶ崎駅相模原市橋本駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線幹線)。厚木市海老名市など地元沿線地域での愛称はガミ線

目次

[編集] 概要

東海道本線の茅ヶ崎から相模川に沿って北へ向かう路線。元は相模鉄道の路線であったが、東海道本線と中央本線とを結ぶバイパス路線として後に国有化された。以前は寒川駅から西寒川方面への支線(通称:西寒川支線、寒川支線)や川寒川駅への支線(同:川寒川支線)が分岐していたが、前者は1984年に、後者は1931年に廃止されている。

東京近郊区間内に含まれており、全区間でSuicaおよびこれと相互利用可能な各乗車カードが利用可能となっている。ラインカラーは相模川をイメージした濃い水色()である。

終点である橋本駅リニア中央新幹線停車駅の構想があることもあって、相模線の複線化構想もあるが、実現には至っていない。

[編集] 路線データ

全線が横浜支社の管轄である。

[編集] 運行形態

全列車が相模線用に投入された205系500番台4両編成で運転される。基本的には茅ヶ崎駅 - 橋本駅の線内折り返し運用だが、一部の列車は橋本駅から横浜線に乗り入れて八王子駅まで運転されている。また、茅ヶ崎 - 海老名駅の区間運転も行われている。

全線通しの列車は、平日日中で約20分間隔で運転している。

南側は相模川の東岸沿いを通り、北側は相模原台地の西側を築堤や切通しで登り詰める。

[編集] 車両

全列車とも205系500番台電車(国府津車両センター所属)の4両編成が使用されている。車体の帯は水色濃淡2色()である。

相模線では電化以前(少なくとも1976年以降)からドアの開閉を半自動扉で行っていたが、電化以後のこの車両では、当時としては最新型のボタン式半自動扉を採用し、通年で使用している。他にも、運転台には行路表示や運行制御を行うモニタ装置(現在のTIMSの前身的装置)を備え、前述のドアは鴨居収納式の機構となっており、座席の色も線区色のライトブルーになるなど(現在は他の205系同様緑色)、他の205系と違い、新たな試みが多数実施されている。205系の新造最終形であり、うち1編成は、大船工場(現鎌倉車両センター)で制作された最後の車両となった。

また、全駅・全列車[1]で通年・終日にわたってドア開閉をボタン方式で行っているのは、JR東日本の東京近郊区間では相模線だけであったが、2006年12月1日より川越線八高線宇都宮線の一部区間でも実施している(JR東日本管内では東北地区でも実施されている)。205系の新製配置から現在まで転入・転出・改造・廃車が何もない。これはJR東日本の205系運用線区では唯一の例である。また列車の向きを中央本線に合わせたため横浜線や東海道線とは方向が逆である(八王子方が偶数向き、横浜線・東海道本線は八王子・東京方奇数向き。これは205系500番台が当初豊田電車区所属だったため)。

号車番号などに関しては、横浜線の記事を参照のこと。

パンタグラフは2号車の4号車側に設置されている。2009年3月31日で、線内を走る13編成全ての車両のパンタグラフが菱形パンタグラフからシングルアームパンタグラフに換装された。また、ドアチャイムも全ての編成に取り付けられた(なお、R1編成については、他編成に先行して取り付けられていた)。

[編集] 過去の主な車両

相模線はJR東日本の東京近郊区間内で八高線と共に最後まで気動車が運転されていた。1991年に相模線が電化されたことにより、神奈川県は当時鉄道路線がなかった沖縄県を除けば日本で初めて入れ換え用や貨物線用以外のディーゼル機関車や気動車が存在しない(貨物専用線を除いた県内すべての鉄道旅客路線が電化されており[2]、なおかつ他線区から乗り入れる気動車列車が全くない)県となった。これは八高線の電化による東京都より5年早い。

電化前に使用されていたキハ35系(1988年頃、橋本駅)

過去には以下の車両を使用していた。以下に示すのはすべて気動車である。

  • キサハ04-200番台
  • キハ10系
    • 気動車の首都圏色(朱色5号一色)は、1976年に当線で運用されていたキハ10 61に施されたのが初めてである[3]。首都圏色はその後日本全国に波及した。
  • キハ20系200番台 1969年まで運用
  • キハ35系
    • 気動車において地域別のカラーリングを採用したのは、1986年に当線で運用されていたキハ30 25に対して、クリーム1号地に青20号の帯というデザインが施されたものが初めてである[4](このカラーリングは、茅ヶ崎駅の乗り換え専用跨線橋の内装デザインにも使われている)。1991年の電化完成で運用を終了した。寒冷地仕様の500番台車が1986年まで、ステンレス車の904が1991年まで運用されていた。
  • キハ30系 寒冷地仕様車の500番台とあわせて1991年まで運用

相模鉄道時代の車両は以下の項目を参照。

[編集] 歴史

[編集] 開業前

  • 1915年大正4年): 会社設立が計画され、10月21日に最初の定款が作成される。当初の計画では、茅ヶ崎駅 - 寒川駅 - 厚木駅 - 原当麻駅 - 久保沢(城山町)付近 - 相原駅へ向かう路線であった。
  • 1916年(大正5年)6月26日 : 相模鉄道の発起人鳥越一之助ほか36名に対して茅ヶ崎駅 - 寒川駅間の軽便鉄道敷設免許が交付される。
  • 1917年(大正6年)12月18日 : 相模鉄道の創立総会が高座郡茅ヶ崎町茅ヶ崎の伊藤里之助(当時の茅ヶ崎町長)宅にて開催。資本金は60万円、本社所在地は茅ヶ崎町茅ヶ崎5573-2に置かれた。
    • 初代社長に衆議院議員でもあった岡崎久次郎が就任
  • 1918年(大正7年)1月4日 : 相模鉄道株式会社の設立登記がされる。
  • 1919年(大正8年)7月10日 : 相模鉄道が日本鋼管との間に軌条約8km分の購入契約を結ぶ。
    • 7月11日 : 国鉄茅ヶ崎駅付近(茅ヶ崎駅を出て左カーブの左側)に本社事務所と機関庫が完成 。
    • 7月19日 : 寒川駅 - 川寒川駅間の砂利採取支線の敷設許可がおりる。
    • 7月22日 : 砂利採取、販売兼営認可がおりる。
    • 当時は、手掘りにて砂利を採取し、鉄道開通以前であったため、狭い専用線を茅ヶ崎から敷設して、トロッコに積んで馬力で茅ヶ崎停車場に運搬し、ここから東海道線の貨車に積み替えて目的地まで運ぶというものであった[5]。敷設された専用線は、鉄道用地ではなく県道を借用していたとの記述もある。
    • 11月10日 : 一期工事の土木工事の入札を行う
    • 11月21日 : 香川駅停車場予定地付近にて軌道敷設起工式を開催。線路予定地から反対運動も起き、さらに鋼材が高騰し資金不足で会社設立から起工式まで2年も掛かった
  • 1920年(大正9年)1月10日 : 茅ヶ崎駅への乗り入れ連絡が承認される。乗り入れ工事は鉄道院によって施工。
    • 5月末 : 乗り入れ工事完成。工事期間中に茅ヶ崎停車場共同使用願及び連帯輸送開始願を鉄道院に提出。
    • 7月 : 砂利の採取地を寒川村一之宮、宮山及び神田村田村(現・平塚市田村)と決める。
  • 1921年(大正10年)5月29日 : 茅ヶ崎駅 - 寒川駅間5.0kmにて試運転。貨車3両を連結して寒川駅 - 川寒川駅間試運転。開業に向け、鉄道省からテンダー式蒸気機関車4両、4輪客車2両、4輪無蓋車11両、4輪緩急車3両の計18両の払い下げを受けた。以上のように書かれた資料もあるが、当時の話では2両しか機関車がなかった(1924年参照)とされ、払い下げが記述通りに行われたのか、記憶違いかは不明である。
    • 9月12日 : 鉄道係員服務規則、鉄道係員懲罰規定、旅客及び貨物運輸規則、貨物運賃および料金規則、貨物営業マイル程、運賃割引準則、増運賃規則、列車運転時刻などの諸規則が認可される

[編集] 開業後

  • 1921年(大正10年)9月28日 : 相模鉄道線 茅ヶ崎駅 - 川寒川駅間(4.0mi.≒6.44km)開業。香川駅、寒川駅、川寒川駅開業。当時は28kgレールを使用していた。
  • 1922年(大正11年)5月10日 : 砂利支線(貨物線・後の西寒川支線)寒川駅 - 四之宮駅間(1.2M≒1.93km)が開業。四之宮駅開業。同支線は本線開業時から存在していた。
  • 1923年(大正12年)2月5日 : 東河原駅(後の西寒川駅)開業。
  • 1924年(大正13年)3月28日 : 会社定款を一部変更し、軽便鉄道から地方鉄道法による鉄道に変更。
  • 「大正12・13年頃の機関区には機関士3人、機関助手3人、技工1人、炭水夫1人、主任1人しかいなかった。機関車も101号と102号の2両しかなく、その2両で寒川まで運行していた」と相模鉄道社内報(1977年10月)に当時の話として載っている。
  • 1925年(大正14年)7月8日 : 茅ヶ崎駅 - 寒川駅 - 四之宮駅間に対する政府補助金の申請が許可される。この前後に茅ヶ崎駅構内に機関庫1棟、川寒川駅・四之宮駅に貨物扱所、寒川駅 - 川寒川駅間の四之宮分岐点に信号所などを新設する
    • 7月 : 自社施設として汐留駅に砂利荷揚場新設。震災復興資材として砂利供給の拠点となった。
  • 1926年(大正15年)1月25日 : 寒川駅 - 厚木駅間の起工式開催。工区は2区に分けられ倉見駅までを先行工区とし、併せて厚木駅までの線路用地及び停車場用地の買収も進めた。
    • 4月1日 : 寒川駅 - 倉見駅間(2.3mi.≒3.70km)延伸開業。倉見駅開業。
    • 7月15日 : 倉見駅 - 厚木駅間(3.7mi.≒5.95km)延伸開業。社家駅、厚木駅開業。
    • 7月30日 : 厚木駅 - 橋本駅間の工事起工式開催。
    • 11月 : 工事区間の用地買収・全補償問題完了。
  • 1927年(昭和2年)4月1日 : 資本金を増資。目的には、茅ヶ崎 - 寒川間の複線化、28kgレールを30kg以上へのレール交換などが含まれていた[6]
  • 1930年(昭和5年)4月 : 厚木起点5.6kmまでの区間で軌条敷設・砂利散布、つき固め工事完了。
    • 4月1日 マイル表示からメートル表示に変更(茅ヶ崎駅 - 厚木駅 9.1mi.→14.6km、寒川駅 - 川寒川駅間 0.9mi.→0.9km、寒川 - 四之宮間 1.2mi.→2.0km)。
  • 1931年(昭和6年)11月 : 厚木起点5.6km以北から橋本駅までの区間で軌条敷設・橋本駅連絡工事、通信設備、駅などの諸工事も完了。
    • 1月30日 : 厚木駅 - 橋本駅間の工事が完成するも工事代金未払いのため引き渡しを受けれられず、日本興業銀行から借入支払いを行う。
    • 4月29日 : 厚木駅 - 橋本駅間 (18.7km) 延伸開業し全通。上今泉停留場(現在の井戸坂踏橋本側にあたる)、座間新戸駅(現在の相武台下駅)、下溝駅、原当麻駅、上溝駅(現在の番田駅)、相模横山駅(現在の上溝駅)、作ノ口停留場開業。
    • 7月1日 : 宮山停留場、門沢橋停留場、本座間停留場開業。
    • 11月1日 : 貨物支線 寒川駅 - 川寒川駅間 (0.9km) 廃止。川寒川駅廃止。
      • 川寒川駅があった場所は、寒川浄水場(第一浄水場 : 昭和8年3月工事着手)の建設予定地内であったため廃止されたと思われる。
  • 1932年(昭和7年)5月 : 原当麻駅 - 橋本駅間に対して鉄道省から補助金の交付を受ける。昭和6年度上期から欠損があり、日本興業銀行に対する未払い利息が25万9300円に達するほど経営状況が悪化していた。
    • 6月 ガソリン自動客車を導入。導入当時の話として「ボディーが高く、すぐに脱線してしまう。寒川駅の分岐点から少しでも入ると脱線してしまう。これではとても本線を走ることができない、何度やっても脱線する。そこで、機関区でボディーの高さを2センチほど低くしたら脱線しなくなった。」と相模鉄道社内報(1977年10月)に当時の話として載っている。
    • 6月1日 : 円蔵停留場、上磯部停留場開業。
    • 11月1日 : 中新田停留場、大河原停留場(現在の南橋本駅)開業。
  • 1935年(昭和10年)6月23日 : 入谷駅開業。当初、貨物停車場として開業。
    • 8月20日 : 座間新戸駅構内側線を1.0km延長した。
    • 10月16日 : 重油動力併用認可を受ける。
    • 11月2日 : 汽車製造会社と共同開発の日本初の電気式気動車キハ1000形流線型ディーゼル電動客車を購入、軽油を燃料に茅ヶ崎駅 - 橋本駅間で運転を開始。
    • 11月7日届出 : 相模横山駅を本上溝駅に改称。
    • 12月24日 : 国鉄横浜線に乗り入れ、八王子駅までの直通運転の承認を受ける。
  • 1936年(昭和11年)1月15日 : 国鉄八王子駅へ直通運転開始。同時に運転本数を増やし、スピードアップを行う。
  • 1937年(昭和12年) : 厚木駅構内に小田急連絡線(小田急独身寮 - 坂本祭典間にあたる)が設置される。
  • 1938年(昭和13年)9月29日届出 : 座間新戸駅を陸士前駅に改称。
  • 1939年(昭和14年)10月1日届出 : 東河原駅を昭和産業駅に改称。
  • 1940年(昭和15年) : 陸士前駅を相武台下駅に、大河原停留場を相模町停留場に改称。
    • 2月1日 : 日東駅(現在の北茅ヶ崎駅)開業。
    • 4月20日 : 寒川駅 - 昭和産業駅間の旅客営業を開始。
    • 11月25日 : 円蔵停留場移転。
  • 1941年(昭和16年)3月3日 : 香川台停留場開業。
    • 4月1日届出 : 相模町停留場を駅に変更。
  • 1942年4月 : 海軍が昭和産業の工場を買収。当線での軍需輸送が始まる。
    • 10月30日届出 : 昭和産業駅を四之宮口駅に改称。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 : 神中鉄道と相模鉄道の合併により、相模鉄道相模線となる。
    • 4月 : 相模海軍工廠発足し、さらに軍事輸送が本格化する。
    • 10月1日 : 香川台停留場、中新田停留場、上今泉停留場、上磯部停留場、作ノ口停留場休止。
    • 1月21日 : 陸運統制令により運輸通信省との間に買収協定を締結する。買収は茅ヶ崎 - 橋本間及び寒川 - 四之宮間の35.3kmで、その価格は390万円であった。

[編集] 国有化後

  • 1944年(昭和19年)6月1日 : 戦時買収私鉄に指定され国有化、運輸通信省鉄道総局の管轄の相模線となる。
    • 停留場を駅に変更。日東駅を北茅ヶ崎駅に、上溝駅を番田駅に、本上溝駅を上溝駅に、相模町駅を南橋本駅に、四之宮口駅を西寒川駅に改称。円蔵停留場、本座間停留場廃止。休止中の香川台停留場、中新田停留場、上今泉停留場、上磯部停留場、作ノ口停留場廃止。四之宮駅を西寒川駅に併合し廃止 (-0.5km)。厚木駅が茅ヶ崎方に0.4km、原当麻駅が茅ヶ崎方に0.3km移転など一部で改キロ。
  • 1946年(昭和21年)4月25日 : 社家駅 - 厚木駅間に山王原信号場を開設。
  • 1949年(昭和24年)3月2日 : 山王原信号場廃止。
  • 1949年(昭和24年)6月1日 : 日本国有鉄道が発足。国鉄相模線となる。
  • 1954年(昭和29年)10月1日 : 寒川駅 - 西寒川駅間の旅客営業を廃止。1946年頃から旅客列車の運転はなかった。
  • 1957年(昭和32年):茅ヶ崎機関区煤煙問題で神奈川県が国鉄に抗議を行う(問題そのものは戦後からあった)
  • 1958年(昭和33年):相模線ディーゼル化される(茅ヶ崎市文化資料館による)
  • 1960年(昭和35年)11月15日 : 寒川駅 - 西寒川駅間旅客営業再開。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 : 相模線管理所発足。
  • 1964年(昭和39年) : 相模川での砂利採取が禁止になる。
  • 1965年(昭和40年):キハ30形5両が茅ヶ崎機関区に配置
    • 8月15日 : 神奈川新聞 「湘南・相模版」には、年度内に茅ヶ崎機関区の蒸気機関車を廃止するという記事あり。蒸気機関車10両、ディーゼル機関車2両が稼働している様子と、戦後、相模線と横須賀線の人員・物資の輸送をするために占領軍の命令で、茅ヶ崎機関区への蒸気機関車増加配置が行われて以来、20年にわたる操車場近隣の煤煙公害の惨状も紹介されている。
    • 同年夏、国鉄茅ヶ崎機関区でこれまで相模線や東海道線で貨車・客車などの牽引、入れ替え作業に従事してきた蒸気機関車の引退式が盛大に行われた。
    • 同年前後に、相模線の担当機関区が茅ヶ崎→八王子に移管された。1979年当時も気動車は八王子機関区所属
  • 1966年(昭和41年)3月25日 : 蒸気機関車運転廃止。この時点では貨物列車や入換作業のみに使用されていた。国鉄から蒸気機関車の営業列車がなくなる9年前のことである。
  • 1981年(昭和56年)4月29日 : 相模線全線開通から50年目をむかえ、記念のヘッドマークを掲出。
  • 1984年(昭和59年)3月31日 : 寒川駅 - 西寒川駅間支線廃止に伴うさよなら列車を寒川 - 西寒川間で運転。
    • 4月1日 : 支線 寒川駅 - 西寒川駅間 (1.5km) 廃止。西寒川駅廃止。
  • 1986年(昭和61年)3月3日 : ダイヤ改正で試行列車として運転されていた22本が定期列車になる。
    • キハ30 25・49を皮切りに朱色一色からクリームと青の相模線カラーに塗装変更された。
  • 1987年(昭和62年)3月21日 : 海老名駅開業。

[編集] 民営化後

  • 1987年(昭和62年)4月1日 : 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道が承継。日本貨物鉄道が茅ヶ崎駅 - 厚木駅間、南橋本駅 - 橋本駅間の第二種鉄道事業者となる。厚木駅 - 南橋本駅間の貨物営業を廃止。
  • 1989年平成元年)3月6日 : 電化工事着工。
  • 1990年(平成2年)南武線用205系で電化に伴う訓練列車運転。
  • 1991年(平成3年)3月16日 : 全線電化。205系500番台電車運転開始。
    • 相模線電化により、茅ヶ崎運転区が茅ヶ崎運輸区となる。
    • キハ30・35形気動車使用終了。茅ヶ崎運輸区等に留置される
  • 1997年(平成9年)7月1日 : 日本貨物鉄道の南橋本駅 - 橋本駅間の第二種鉄道事業 (2.0km) が廃止。
  • 1998年(平成10年)9月28日 : 茅ヶ崎駅 - 厚木駅間の貨物列車がこの日で運転終了。

相模線を国有化した理由は、戦時体制のもと、都心が攻撃された場合にそなえ八高・横浜・相模線の迂回ルートを確保するためであったとされる[7]

国鉄分割民営化以前に元の運営者である相模鉄道が当路線の譲受を検討したことがあった。詳細は相模鉄道の項を参照。

2008年6月現在、厚木駅経由の相模鉄道への甲種輸送などは、昼間に貨物列車のダイヤ設定がなくなったため、深夜帯に臨時貨物列車として運転されている。

元々は貨物輸送に重点が置かれ、旅客輸送に関してはローカル線であったが、全線電化によるスピードアップ、及びダイヤ改正による運行本数の増加、海老名駅の開業、横浜線との直通運転開始、橋本駅への京王相模原線乗り入れなどによる利便性の向上により、通勤通学での利用客が増加し、現在は通勤・通学路線として定着している。

[編集] 駅一覧

  • 全駅神奈川県に所在。
  • 全列車各駅停車(全駅に停車)。
  • 列車交換 … ◇・∨・∧:交換可、|:交換不可
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 列車交換 所在地
茅ヶ崎駅 - 0.0 東日本旅客鉄道東海道線湘南新宿ライン 茅ヶ崎市
北茅ヶ崎駅 1.3 1.3  
香川駅 2.1 3.4  
寒川駅 1.7 5.1   高座郡
寒川町
宮山駅 2.1 7.2  
倉見駅 1.4 8.6  
門沢橋駅 1.4 10.0   海老名市
社家駅 1.6 11.6  
厚木駅 2.6 14.2 小田急電鉄小田原線
相模鉄道厚木線(貨物線)
海老名駅 1.7 15.9 小田急電鉄:小田原線
相模鉄道:本線
入谷駅 3.0 18.9   座間市
相武台下駅 1.7 20.6   相模原市
下溝駅 2.9 23.5  
原当麻駅 1.3 24.8  
番田駅 2.1 26.9  
上溝駅 1.5 28.4  
南橋本駅 2.9 31.3  
橋本駅 2.0 33.3 東日本旅客鉄道:横浜線(一部時間帯は八王子駅まで直通運転)
京王電鉄相模原線

[編集] 廃止区間

括弧内は起点からの営業キロ。

支線

  • 寒川駅 (0.0km) - 西寒川駅 (1.5km) - 四之宮駅 (2.0km)
  • 寒川駅 (0.0km) - 川寒川駅 (0.9km) (貨物線)

[編集] 廃駅・廃止信号場

#廃止区間にある駅を除く。括弧内は茅ヶ崎駅起点の営業キロ

  • 円蔵停留場 : 1944年廃止、北茅ヶ崎駅 - 香川駅間(1940年の移転前は2.0km、移転後は不明)
  • 香川台停留場 : 1943年休止、北茅ヶ崎駅 - 香川駅間
  • 山王原信号場 : 1949年廃止、社家駅 - 厚木駅 (12.9km)
  • 中新田停留場 : 1943年休止、社家駅 - 厚木駅間 (13.9km)
  • 上今泉停留場 : 1943年休止、海老名駅 - 入谷駅間 (17.3km)
    • 井戸坂踏切の橋本寄りの東側にあった。現在でも不自然な空間があり駅のホームがあった場所が見てとれる
    • 郷土出版社「目で見る大和・座間・海老名・綾瀬の100年」に上今泉駅の写真が1枚掲載されており、40m程のホームがあったことが画像から分かる。  
  • 本座間停留場 : 1944年廃止、入谷駅 - 相武台下駅間 (19.7km)
  • 上磯部停留場 : 1943年休止、相武台下駅 - 下溝駅間 (22.6km)
  • 作ノ口停留場 : 1943年休止、上溝駅 - 南橋本駅間 (30.2km)

[編集] その他

  • 相模線内各駅の発車メロディは、他線区にはない2種類の曲のみとなっている(ただし、茅ヶ崎駅は発車ベル、上溝駅は「せせらぎ」のフェードアウト版)。1曲は石丸電気の旧CFソングに近い感じの曲で(以前総武本線佐倉駅で使用されていた曲のバージョン違い)、南橋本駅・番田駅・下溝駅・相武台下駅・厚木駅・社家駅・倉見駅 - 北茅ヶ崎駅間の各駅で使用されている。もう1曲は学校のチャイムのような曲で、使用しているのは、橋本駅・原当麻駅・入谷駅・海老名駅・門沢橋駅の各駅。電化され駅自動放送が導入された際には、茅ヶ崎駅・上溝駅以外の全駅がこれに統一されていた。また、駅自動放送は上溝がユニペックス型放送、茅ヶ崎駅がATOS、海老名駅・原当麻駅・橋本駅が東海道型放送、それ以外の駅は仙石型放送である。なお、以前は全駅とも東海道型放送が使われていたが、放送装置更新や、駅舎リニューアルなどに伴い、現在の形になっている。
  • 相模線沿線の茅ヶ崎市・高座郡寒川町・海老名市は東海地震に対する地震防災対策強化地域に含まれており、東海地震の警戒宣言が発令された場合、相模線では茅ヶ崎駅 - 橋本駅間の全区間で列車の運転が中止されることになっている[8]
  • 電化開業前の試運転では、南武線の205系4両編成も使用されていたことがある。

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ 直通先の横浜線内では車掌の一括操作によりすべてのドアが開閉する。橋本駅では八王子行も含めて相模線ホームに発着のため半自動扱い。
  2. ^ この条件は神奈川県より先に奈良県1984年に、大阪府1989年に満たしていたが、1991年当時は両府県とも他県から気動車が直通していた。
  3. ^ 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』通巻637号 p22
  4. ^ 交友社『鉄道ファン』通巻302号 p128
  5. ^ 『相鉄70年史』p.17
  6. ^ 『相鉄70年史』
  7. ^ 福田行高・山田俊明「相模線」『鉄道ピクトリアル』289号、P64 - 65、67。
  8. ^ 東海地震の情報と対策 神奈川県

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ

最終更新 2009年11月13日 (金) 19:09 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【相模線】変更履歴

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