相生橋
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| 相生橋 | |
|---|---|
| 原爆ドームより | |
| 所在地 | |
| 長さ | 東西方向:129m、南北方向:53m |
| 形式 | 東西方向:5径間連続鋼鈑桁橋 南北方向:単純鋼箱桁橋 |
| 素材 | 上部工:鋼橋、下部工:RC構造、基礎工:? |
| 橋の分類 | |
| 形式 - 国 | |
| 一覧 | |
| 橋の一覧 | |
相生橋(あいおいばし)は、広島市中心部を流れる本川(旧太田川)と元安川の分岐点に架かる、相生通りと広島電鉄が通る併用橋。全国的にも珍しいT字型の橋である。
目次 |
[編集] 概要
橋名の由来は、2つの橋が「相合う」ことから(詳細は下記歴史参照)。
原爆ドームと広島平和記念公園を結ぶ橋の一つであり、その中で最も北に位置する。上流側に城南通り(広島市道中広宇品線)の空鞘橋、本川下流側に本川橋、元安川下流側に元安橋がある。
東西方向(長手)に架かる橋は、国道183号・国道261号と広島電鉄本線が通る併用橋。南北方向(短手、市道中2区1号線)に架かる橋は「連絡橋」と呼ばれ、長手の橋中央で二叉し橋脚ではなく長手の橋桁に直接掛かっている。現在の橋は1983年に架けなおされたもの。
昭和初期から現在の形になり、広島名所として戦前の絵はがきで紹介されている。上空からも目立つため、広島市への原子爆弾投下の際には目標点とされた。実際の爆心地である島病院上空から300mに位置する橋である。
被爆当日に被爆者がこの橋付近で特に多く亡くなっており、元安川下流側で毎年8月6日夜に犠牲者を弔う灯篭流しが行われている。
[編集] 歴史
[編集] 被爆前
藩政時代、防衛のため城下には架橋規制が引かれており、西部や北部から広島城への道は、本川橋から元安橋を渡るルートのみであった。
明治時代になり規制は解かれ、1877年(明治10年)この付近の富豪により、猿楽町(現在の紙屋町)から中島町の北たもと「慈仙寺鼻」(現在の連絡橋の平和公園側)を経由し鍛冶屋町(現在の本川町)を結ぶ、「くの字型」の木橋が架けられた。当時、2つの橋が相合う様から「相合橋」と名がついた。また、渡るときにその富豪が金を徴収したことから別名「銭取り橋」とも言われた。交通の要所として、西方向から広島城鎮台や兵練場(現在の広島市民球場の位置)を結ぶ重要な橋となった。
1912年(大正元年)11月、広島駅から紙屋町を経由し相生橋まで伸びる「広島電気軌道」が開通。これに伴い、くの字型の木橋のやや上流(現在の併用橋の位置)に木橋の電車軌道専用橋が併設された。その後、水害により落橋してしまったため、1932年(昭和7年)に鋼鈑桁の道路・軌道併用橋に架け直された。ふうまくん
1934年(昭和9年)、併用橋から慈仙寺鼻に向かって鉄筋コンクリート桁の連絡橋が完成、従来の相生橋と合わせて「H字型」の橋となった。1938年(昭和13年)、木橋は撤去され現在の「T字型」となった。
南側に広がる中島本町は、幕末から明治・大正初期へかけて市内でも有数の繁華街であったが、大正中期に入ると繁華街の中心が市の東部へ移りはじめたので、往年の盛り場の雰囲気はなくなり、木造平屋の民家が広がる庶民的な街となった。このころ、橋の東詰には産業奨励館(現在の原爆ドーム)や商工会議所・日本赤十字社広島支部、西詰には本川小学校が存在していた。
[編集] 被爆後
1945年(昭和20年)8月6日、被爆。この橋のT字型が上空からも目立つため、原爆投下目標点とされた。
周りは火と煙が充満し全滅状態、橋の上には死骸が累々と横たわった。火熱から逃れ川まで避難してきた被爆者が力尽きて息絶え、特にこの橋の下では川の水も見えないほどであった。
原爆により発生した衝撃波はこの橋に7万パスカルもの圧力をかけ、橋は板バネのように大きく曲がり、桁は変形した。コンクリート製高欄の柱に埋め込まれていたI型鋼はせん断され、高欄は橋の両側に押し広げられ北側のものは川に落下した。川面に反射した衝撃波により橋の下からも圧力を受け、併用橋歩道部床版が約2メートルほど吹き上げられた。
だが落橋には免れ、本川橋が渡れない状況となったため、西部あるいは北部へ向かって、多数の人々が渡って逃げた。
同年9月に上陸した枕崎台風と同年10月の阿久根台風による水害により本川が相次いで増水、下流側の本川橋・新大橋(現在の西平和大橋)・住吉橋が落橋してしまい、市の西部から中心部への道はこの橋のみとなった。被爆後から復旧工事を開始、1949年(昭和24年)まで4年以上の歳月かけて行われた。同年、広島平和記念都市建設法が公布・施行、その後市内交通網が整備された。
老朽化に伴い1983年(昭和58年)10月、併用橋は新しく鋼鈑桁橋で、連絡橋は鋼箱桁橋で架け替えられた。このとき撤去された旧橋の桁の一部が現在広島平和記念資料館に保存されている。また、広電の架線柱がT字型に変更されている。
2008年(平成20年)4月1日、道路管理者が国土交通省から市に移管され、国道54号から国道183号に変更された。
[編集] 周辺
東詰に原爆ドーム・広島市民球場・広島商工会議所・広電原爆ドーム前駅などがある。護岸整備されており、こちら側のみ橋の下をアンダーパスで歩いて通れる。上流側は市民球場跡地再開発に伴い、再整備が予定されている。道沿いにそのまま東へ進むと市内中心部である紙屋町交差点となる。
西詰に広島市立本川小学校・広電本川町駅などがある。南詰は広島平和記念公園へと続く。
[編集] 関連項目
- 平和公園へ向かう橋
- 広電筋の橋
[編集] 外部リンク
- 相生橋(平和記念資料館)- 上空からの位置関係および被爆し変形した桁を見ることができる。
- 広島原爆戦災誌 第二巻第二編PDF(広島市)
- 締切間近!第1回「ひろしま通」認定試験(広島市) - 橋名の由来
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