相米慎二

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相米 慎二(そうまい しんじ、1948年1月23日 - 2001年9月9日)は、日本映画監督岩手県盛岡市出身。北海道釧路江南高等学校卒業、中央大学法学部中退。

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[編集] 経歴

中央大学学園紛争を経験。日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)の活動家として、三里塚現闘団員を務めた。

大学を中退し長谷川和彦の口利きで日活に助監督として入社[1]。長谷川や曽根中生寺山修司の元で主にロマンポルノの助監督を務めた後(ただし大学中退の経歴であったため正社員ではなく、にっかつ時代は監督に昇格出来なかった)、『翔んだカップル』(1980年)で監督デビュー。本来は人気マンガを原作とし薬師丸ひろ子を主役にいただくアイドル映画だったが、長大な長回しと若者の自由かつ奔放な演技で注目される。続けて同じく薬師丸ひろ子を主役とした『セーラー服と機関銃』(1981年)を発表。大ヒットとなり、彼女がマシンガンを撃った後に吐く台詞「カ・イ・カ・ン」は流行語となる程だった。その一方で執拗な長回しや、俳優への厳しい指導によって生まれる独特の演技などの特徴的な作風は、「相米節」として定着。アイドル映画としてよりも作家主義の作品として、映画マニアから絶大な支持を受ける。

その後、『ションベン・ライダー』(1983年)や『台風クラブ』(1985年)など、少年少女を主役とする同様の路線の作品を撮るかたわら、吉村昭原作『魚影の群れ』やにっかつロマンポルノ後期の秀作『ラブホテル』(1985年)といった滋味にあふれた作品を発表。賛否両論を呼んだ。

1993年の『お引越し』において、それまでの長回しへの固執を捨て新境地を開く。1994年湯本香樹実原作の『夏の庭 The Friends』を発表。湯本に原作小説を執筆するように勧めたのも、相米であった。

1998年の『あ、春』では、新人時代に組んだ佐藤浩市斉藤由貴を久々に主演に迎えて異色のホームドラマに仕上げ、キネマ旬報ベストワンなど各賞を受賞。

2001年公開の『風花』ではまるで別な作家であるかのような落ち着きを持ち、本来の造形的なセンスを十分に開花させた円熟した作品を撮ったが、これが遺作となってしまった。

自身の故郷を描いた作品ということもあり、浅田次郎の小説『壬生義士伝』が次回作に内定していた。病室に資料を持ち込んで準備を進めていたが、その思いが成し遂げられることなく2001年肺癌のため53歳の若さで死去。その早すぎる死を悼む声は多い。生涯、独身であった。

[編集] エピソード

  • 脚本家の田中陽造と親しく、『セーラー服と機関銃』『魚影の群れ』などの作品でコンビを組んだ。『あ、春』のシナリオを執筆した中島丈博も、相米の才能を買い、再び組むことを希望していた。
  • 寺田農と親交があり、寺田はほとんどの作品に出演している。また寺田の紹介で、映画監督の実相寺昭雄とも交流があった。
  • 相米組の演出部からは榎戸耕史、細野辰興富樫森などの映画監督が育っている。
  • 前述のように演技指導が非常に厳しいことで知られ、それは旬のアイドルや若手女優でも例外ではない。薬師丸ひろ子は後に「何を気取ってるんだと何度も撮影中に怒鳴られた」と述べているほか、斉藤由貴に対しても撮影前に役作りのために減量を命じ、話題になったことがある。佐藤浩市、工藤夕貴牧瀬里穂田畑智子蒼井優らも現場で厳しい指導を受けたことを、のちに回想している。
  • 1980年代から武田泰淳富士』の映画化を企画していたが、実現することはなかった。
  • 晩年には岩松了脚本、竹中直人主演で自身の自伝的なストーリーの映画『やどかり』を構想していたが、実現することなく終わった。

[編集] 監督作品

[編集] 脚注

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  1. ^ 黒沢清の映画術 佐藤隆信 (2006年新潮社、60頁)

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年8月28日 (金) 11:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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