相馬健一
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相馬健一(そうま けんいち、1931年8月13日)は、日本の実業家。山形新聞社相談役。山形県出身。
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[編集] 略歴
- 1953年10月、山形新聞入社
- 1954年3月、山形大学文理学部経済科卒業
- 以降、報道部長、東京支社次長、編集局長等を歴任する。
- 1975年 - 取締役就任
- 1983年 - 常務取締役就任
- 1985年 - 専務取締役就任
- 1991年 - 副社長就任
- 1993年 - 代表取締役社長就任
- 2005年 - 代表取締役会長就任
[編集] 人物
1993年、山形新聞社長就任。在任は、12年におよびその間、新聞の新電子システム(CTS)の稼動、新社屋山形メディアタワーの一期工事の竣功等を実現させた。
2005年には、会長に就任し、グループ統括の任務を担当することとなり、社長には黒澤洋介専務が昇格した。
[編集] 「山形の首領」への反論
朝日ジャーナルが、1985年7月19日号より、3回にわたって、「AJ人国記 山形の首領」と題し、服部敬雄と山形新聞・山形交通グループに対する批判記事を掲載した。これを受け、8月9日号において、当時、常務取締役編集局長であった相馬が、「山形の首領への反論」を寄稿し、同誌に全文が掲載されている。 以下、その要旨
山形新聞・山形交通グループが、花笠まつりを私物化し、カネ儲けのためにやっているかの印象を記事より受けるが、取材不足ではなかろうか。山新グループは、花笠まつりのため、多額の経費負担、労力を提供し、まつりには、年間1千万近く出費をしている。花笠の夏は、本当に憂鬱なのか、まつりの期間中お出になり、幅広く、関係者の声を聞いて頂きたい。
山形美術館は、服部敬雄館長の「戦後の荒廃した人心にうるおいを」の発案により、1963年設立、翌年開館した。すでに20年が経過し、老朽化し手狭となったため、1984年より新館建設に着手した。山形県、山形市当局も、新館建設に賛同した上で、補助金の支出を決定している。
蔵王県境事件は、記事において、「ひと口で言えば、県境が動いたのである。」としているが、山形地検の捜査段階、1,2審の審理、無罪確定まで一貫して、事件を担当した記者として、結論を申し上げると、「県境は、動かなかった」というより、「動かされなかった」と思っている。
何をどのような視点で取り上げようとも、またどのように批判しようとも貴誌の責任において行うことは、自由ですが、一方に偏した取材にならないようご配慮いただきたい。
[編集] 主な役職
- 山形放送相談役
- 東北オフセット取締役会長
- 山新観光代表取締役会長
- 山形アドビューロ代表取締役会長
- 山新広告社代表取締役会長
- 財団法人山形美術館理事長
- 山形県経営者協会会長
- 山形県自家用自動車協会会長
- 山形県日中友好協会会長
- 日赤紺綬有功会・協議会会長
[編集] 外部リンク
[編集] 参考文献
最終更新 2009年11月17日 (火) 13:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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