真行寺君枝

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真行寺 君枝(しんぎょうじ きみえ、1959年9月24日 - )は、日本の女優。現在フリーランス。東京都大田区出身。身長156cm、体重 43kg。スリーサイズは、B78cm、W57cm、H83cm。血液型AB型。東京都立大崎高等学校卒業。

1976年に資生堂秋のキャンペーン「ゆれる、まなざし」で本格デビュー。以降、モデル・女優・アーティストとして、舞台・映画・テレビなどで活躍。2008年10月には、自らの半生を記した著書『めざめ いのち紡ぐ日々』を発表した。

目次

[編集] 来歴・人物

  • 中学時代、ポーラ化粧品のCFで、担当したワダエミにより森の妖精に扮して踊る役に抜擢。この時のヘアーメイクが渡辺サブロオであった。
  • 1975年、高校1年の夏、真行寺を覚えていた渡辺サブロオの仲介により、西武デパートのモデル出演。撮影は稲越功一
  • 女性自身』のグラビアで、女優に変身する仕事を行う。
  • 1976年、16歳でその年の資生堂の秋のキャンペーンモデルに選ばれ、圧倒的なデビューを飾る。カメラマンは十文字美信、アートディレクターは鬼沢邦、「ゆれる、まなざし」のコピーライターは小野田隆雄、キャンペーンソング担当は小椋佳
  • ちなみに当時、資生堂とカネボウのキャンペーン競争の加熱は、社会現象に発展するほど激しく、資生堂はこの広告の制作費に、当時としては破格の三億円を投入したと言われる。
  • フランスにおける日本年(1979年)では、ルーブル美術館で資生堂の写真史が展示され、もちろんこの真行寺の「ゆれる、まなざし」も含まれていた。
  • 高校卒業後、三船プロダクションに所属。森谷司郎監督作品「聖職の碑」に出演するも、飛び入りで台詞もなかった。
  • テレビドラマ「必殺からくり人」に出演。これは、うさぎ役の高橋洋子病気で降板したためであった。ザルを武器にするという設定には本人は馴染めなかったそうであるが、沖雅也に目線の流しを教えてもらったそうである。
  • 1979年、真行寺のテレビにおける代表作である、TBSの金曜ドラマ「沿線地図」(原作・脚本:山田太一)の主役・藤森道子を演じる。藤森道子の両親役は、岸惠子河原崎長一郎、同棲相手の松本志郎役は広岡瞬、そしてその家族に、児玉清河内桃子笠智衆など。主題歌はフランソワーズ・アルディ「もう森へなんか行かない」。
  • この頃仕事は順調であったが、テレビドラマの仕事には満足感が得られず、また、同棲を始めた相手が、同棲開始後に妻子ある身と知り苦しめられるなど、精神を衰弱させる。
  • 所属していた三船プロダクションに内紛騒動が勃発、田中寿一が半ば強引に三船プロから独立、田中プロモーションが発足。さらに分裂し、アクターズプロモーションが設立。この分裂に伴い、アクターズプロモーションに移籍。
  • 1981年、「風の歌を聴け 」(原作:村上春樹、監督:大森一樹、制作:ATG)に出演。この作品は本人自身が「私の代表作」「大変な低バジェットでしたが、あれほどに楽しかった撮影は後にも先にもこの一本に尽きます」と述べている。
  • アサヒミニ樽シリーズのCMに二年間出演。風間杜夫たこ八郎柄本明平田満シティーボーイズ高田純次という個性派を相手に、真行寺の「バカ」という台詞で落ちになるパターンが好評を博す。広告批評の広告ベストテン CM部門第三位入賞。
  • 「階段の上の暗がり」(演出:木村光一、主演:八千草薫)で初舞台を経験。衣装担当は植田いつ子。真行寺はこの舞台の仕事を、「私は演者としてここにやっと息をつき、納得して仕事に従事できる場を発見しました」と語っている。
  • 1983年10月15日、元『ザ・テンプターズ』のドラマー大口広司と結婚。大口が家庭に入ることを希望したため、事務所に休暇を申し入れる。
  • この頃より、シビラ(長野県伊那市高遠町芝平)の借家に通うようになり、大自然への興味を深める。
  • 1984年、夫の大口が大麻所持容疑で逮捕される。執行猶予付きの有罪判決を受け、会社から解雇された大口に対して資金援助を行い、服飾会社「プラクティス・オブ・サイレンス」を創設。追って家庭に入り、陶芸や生け花にも興味を深める。
  • 1986年、長男の弦人(現・ミュージシャン)を出産。
  • 経営していた会社「プラクティス・オブ・サイレンス」が経営難に陥ったため、仕事を再開。
  • 1991年、「プラクティス・オブ・サイレンス」が倒産。また、大口がC型肝炎を罹患し、高額の治療費が必要になり、経済的に苦しい生活が続く。
  • 1993年、沢渡朔の協力により、念願の『シビラの四季』を出版。アクターズプロモーションより独立。
  • 1995年、原宿クエストホールの十周年企画として『Kimieの部屋』と題したインスタレーション・ライブを行う。『フォーカス』誌の取材記事で、「ベルベットアンダーグラウンド&ニコを彷彿とされるステージ」と評される。
  • 1997年、「一家のために一肌脱がねば」という決意で、夫大口撮影によるヘアヌード写真集『Made in Love』を企画・出版。この企画を携えて、古巣のアクターズプロモーションに復帰。舞台の仕事が入るようになり、家庭生活の諍いが増加。夫婦関係の修復が不可能な状況に陥る。
  • 2000年10月、住まいを失うことになり、2001年、大口との別居生活に入る。
  • 2002年、無一文になった生活の打開策として、再びヌード写真集の企画が持ち上がり、家族の許可を得て、沢渡朔撮影による『I LOVE YOU』を出版。
  • 2005年6月、大口との離婚が成立。10月にアクターズプロモーションを離脱。なお、アクターズプロモーションは、2007年5月に破産申請。
  • 2006年8月、破産宣告。
  • 2007年1月、『第一哲学 不死なるもの』をサイトで発表。
  • 現在、清水博が設立し所長を努める NPO法人場の研究所研究員。

[編集] 主要な活動

[編集] 映画

  • 聖職の碑 (1978年)
  • 蘇える金狼 (1979年)
  • ピーマン80(1979年)
  • 小さな胸の五円玉(1980年)
  • 風の歌を聴け (1981年)※…風の歌を聴けの作者、村上春樹は真行寺がお気に入りであるという噂があり、氏の短編小説に出てくる吸血鬼が血の美味そうな女性として真行寺を推すくだりがあったりする。
  • 空海 (1984年)
  • 天国の駅 (1984年)
  • 櫂 (1985年)
  • ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け (1986年) - 1986年第1回高崎映画祭主演女優賞受賞
  • バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ第一話「泊まったら最後」(1991年)
  • 未来の想い出 Last Christmas (1992年)
  • 人間交差点・道 (1993年)
  • 女帝 (1995年)
  • 鮫肌男と桃尻女 (1999年)
  • EUREKA (2001年 青山真治監督)
  • 世界の終わりという名の雑貨店 (2001年 濱田樹石監督)
  • ミックスマシン (2006)

[編集] 舞台

  • 階段の上の暗がり(三越劇場)
  • クリスティーヌ・その愛のかたち(アトリエフォンテーヌ) 地人会第一回作品
  • ラヴ(三越劇場)
  • 美しきものの伝説(本田劇場)
  • 阿Q外伝(紀伊國屋ホール)
  • ラヴ・レターズ(パルコ劇場)
  • ラ・テラス(パルコ劇場)
  • 陽ざかりの女たち(新国立劇場) 兵庫舞台芸術
  • 谷間の女たち(ベニサンピット)

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティ番組

[編集] CM

  • 資生堂 秋のキャンペーン「ゆれる、まなざし」(1976年)
  • アサヒビール アサヒミニ樽シリーズ(広告批評CM部門第三位)
  • カゴメ リゾット~ひとり立ち編~
  • 味の素 パルスィート

[編集] 著書

  • シビラの四季(1992年 河出書房新社)
  • 福原義春 サクセスフルエイジング対談 美しい暮らし、変わりゆく私(共著)(1996年 求龍堂)
  • めざめ いのち紡ぐ日々(2008年 春秋社)

[編集] 写真集

  • 『Made in Love』(撮影:大口広司、1997年 ぶんか社)
  • 『I LOVE YOU』 (撮影:沢渡 朔、2002年 ぶんか社)

[編集] エピソード

  • 1965年、バレエ教室「鎌田・藤井舞踏研究所」に入所。発表会で踊った「青い花」が真行寺を芸術へと誘う導入になった作品である。なお、そのバレエ教室の先生であった藤井友子氏はワダエミ氏と知人であった。[1]
  • 通学していた西六郷小学校は、全国合唱コンクールで優勝する合唱の有名校で、NHKの子供音楽番組「歌はともだち」に月一度レギュラー出演をしていたが、アイドルグループフォーリーブスのメンバーに「可愛いね」と言われたが、そのことが学校中の噂となり、当時あまりにもフォーリーブスが人気グループだったために、妬みにより問題児扱いされてしまった。[2]
  • 来日して日本に興味を持ったジョニー・デップが、日本の映画を何本か鑑賞し、米国のテレビのインタビュー番組で真行寺君枝とコンタクトを取りたいと言っていたそうである。またジョニーは、真行寺の夫である大口広司のバンド「ウォッカコリンズ(Vodka Collins)」にも興味を示し、レコードを持っているとのことである。[3]
  • 2009年1月25日に元夫の大口が肝臓癌のため58歳で亡くなるが、その1か月前の2008年12月、真行寺は長男の弦人(現・ミュージシャン)と3人で、病室で元夫の見舞いに訪れていた。しかもその病室で、大口と再婚した女性と初めて出会ったが、その女性は真行寺の知り合いだったという。大口が亡くなった当日も、真行寺は既に危篤状態の元夫を見舞っていたが、病室を出た数時間後に息を引き取った。その後真行寺は、会見で記者陣に対し「沢山の事を学び、色々な事を体験できた」と、大口との想い出を涙ながらに語っていた。

[編集]

  1. ^ 『めざめ いのち紡ぐ日々』(P19、P31)
  2. ^ 『めざめ いのち紡ぐ日々』(P28-29)
  3. ^ 『めざめ いのち紡ぐ日々』(P230)

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年11月26日 (木) 12:21 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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