人見豊
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人見豊(ひとみ みのる、1946年9月22日 - )は、漢文・中国語関連参考書の著者。文学博士。また高校教師として慶應義塾高等学校にて中国語・漢文を担当。元ザ・タイガースのメンバー。京都府出身。
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[編集] 略歴
[編集] ザ・タイガース時代
1967年から1971年にかけては、沢田研二、岸部一徳らと共に人気グループ『ザ・タイガース』のドラマー、瞳みのるとして活躍。『ピー』の愛称で、「ジュリー」の愛称を持つボーカルの沢田に次ぐ人気を博し、雑誌の表紙やピンナップを何度も単独で飾った人気スターであった。当時、2大アイドル雑誌と呼ばれた「セブンティーン」「ティーンルック」の創刊号のグラビアは、両方とも沢田と人見がツーショットで飾っている。
テクニシャンではないものの、独特のリズム感や躍動感をもったドラムプレイは高く評価され、彼の影響を受けたドラマーも多い。また、ザ・タイガースのレコーディングはスタジオミュージシャンによる演奏が多かったことは有名であるが、ドラムスだけはほとんどの曲において彼自身が叩いている。
グループNO.2の人気者であり、グループの枠にとらわれることのないソロのミュージシャン、またタレントとしても大いに有望視されていたが、メンバー間の人間関係の複雑化や、自身の求めるバンドの在り方と事務所の売り出し方針とのズレに思い悩むようになる。バンドメンバーを含む関係者や芸能人仲間との交友から徐々に遠ざかり、その代わりに文化人や識者との交流を温める中で、自らが高校時代に唯一真面目に取り組む事の出来た「中国語」(かねてからインタビュー等で特技を聞かれると「中国語」と答えていた。)を極め、文学者を目指したいという思いが強まっていった。そして、プロダクションや芸能人仲間の必死の説得にもかかわらず解散後は芸能界を引退することを決意。ファンにも堂々とその意思を公表するようになる。
そして、1971年1月24日、日本人アーティストとしては初の単独日本武道館公演ともなった解散コンサート「ザ・タイガース・ビューティフル・コンサート」でグループを脱退し、芸能界完全引退。
[編集] 芸能界引退、教師へ
翌25日には京都へ帰り、その後デビュー前に3年半在籍していた京都府立山城高等学校定時制に復学したのち、慶應義塾大学文学部に進学、中国文学科を卒業。修士課程進学後に教員免許を取得。1977年より、慶應義塾高等学校にて教鞭をとる傍ら、博士課程において中国語の研究を続ける。
その後、文部省の中国への留学制度が正式にスタートしたことを受け、1981年34歳で北京大学へ2年間留学する。帰国後再び、慶應義塾高等学校にて教鞭をとる傍ら、漢文・中国語関連の参考書、テキストブックの著者および監修者として、高校中国語教育に力を注いでいる。(なお慶應義塾高校は中国語を履修する生徒数が日本の高校では最多。)
なお、慶應高校の教壇に人見が立つようになって以来、教え子の保護者に子弟を人見のクラスへの編入を懇願する者、芸能活動時代のことについて質問する者が決して少なくなかったそうだが、人見はあくまでいち教師としてのスタンスを保持、とくに芸能活動時代のことについてはどんなに懇願されても永らくの間一切沈黙していた。
解散後、ザ・タイガースの元メンバーたちとの交流は全くなく、1982年のザ・タイガース同窓会コンサートにも参加しなかったが、2009年に入って沢田研二、岸部一徳、森本太郎と、38年ぶりの再会を果たした。
近年の人見豊は、戦前に日本に入った欧米の民謡や歌曲の日本語訳、中国語訳に新たな視点から取り組み、3つの言語による正しい解釈をすることの必要性を説く。訳詩だけでなく、作詞も手がけている。
またそのような欧米の音楽の東アジアへの導入過程についての歴史を研究して、本来の音楽への関心から、音楽的な知識と、教師としての中国語研究の成果を一つにしようと心がけ新境地を開こうとしている。
[編集] 『Long Good-by』秘話
ザ・タイガース解散後に森本太郎、岸部一徳、沢田研二によるTEA FOR THREEが結成された際、岸部と沢田の作詞、森本の作曲による彼に捧げた作品「Long Good-by」(作詞:岸部一徳/沢田研二 作曲:森本太郎)が制作されている。この楽曲はタイガース解散直前、日劇ウエスタンカーニバルの舞台裏で人見が岸部に語った「一緒に京都へ帰ろう」という会話に基づいて作られている。2人は中学の同級生でもあり、メンバー内でも特に親交が深かった。
この楽曲は長く音源化されず、森本率いる「森本太郎とスーパースター」の1月ライブ(ライブ自体は毎月行われているが、例年1月はタイガース解散記念ライブとなっている)でのみ披露されていた。
しかし沢田が還暦を迎える2008年、森本太郎とスーパースターのアルバム「J.S.T. ROCK'N'ROLL」と沢田のアルバム「ROCK'N ROLL MARCH」にそれぞれのバージョンで収録された。
また、沢田はNHK総合テレビジョンの『SONGS』に出演した際に『Long Good-by』を歌唱した。そして、前述のとおり2009年に沢田、岸部、森本と人見は38年振りの再会を果たしている。
[編集] 著書
- 你好!中国語
- センター試験短期完成国語I・II〈古典〉(98年) 東書の大学入試シリーズ
- カセットブック中国語発音編
- 中文Step Up
- 中文Step by Step
- 中文Jump!
[編集] 映画出演
- ドリフターズだよ!前進!前進!また前進!1967年 東宝
- ザ・タイガース 世界はボクらを待っている1968年 東宝
- ザ・タイガース 華やかなる招待1968年 東宝:江田浩 役
- ザ・タイガース ハーイ!ロンドン1969年 東宝
- 喜劇・右向けェ右!1970年 東宝
[編集] 参加アルバム
- ザ・タイガース・オン・ステージ 1967年(1967年8月22日東京・大手町「サンケイホール」でのライヴ盤)
- ザ・タイガース・チャリティー・ショー 1968年(オープンリールテープ、1967年12月31日東京・大手町「サンケイホール」でのライヴ盤)
- 世界はボクらを待っている 1968年(ザ・タイガース初主演映画のサントラ盤)
- ヒューマン・ルネッサンス 1968年(日本初のトータル・コンセプト・アルバム)
- トラ70619 1970年(サリー&シローのアルバム、マザー・ネイチャーという曲の作詞をした。)
- ザ・タイガース・アゲイン 1970年(シングルベスト盤)
- 自由と憧れと友情 1970年(後期ザ・タイガース唯一のオリジナル・アルバム)
- ザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム 1971年(1970年8月22日東京・田園調布「田園コロシアム」でのライヴ盤、2枚組)
- ザ・タイガース・フィナーレ 1971年(1971年1月24日、日本武道館における解散コンサートライヴ盤、2枚組)
[編集] 関連項目
- ミュージシャン一覧 (グループ)
- ザ・タイガース
- 沢田研二
- 岸部一徳
- 加橋かつみ
- 森本太郎
- 岸部シロー
- ドラマー(日本のドラマー一覧)
- 慶應義塾高等学校
- 中国語
- 人見元基→元VOW WOWボーカル。同姓で、トップミュージシャンから高校教師への転身という点でも共通している。
[編集] 外部リンク
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