石嶺和彦

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石嶺 和彦
中日ドラゴンズ コーチ #75
基本情報
国籍 日本
出身地 沖縄県那覇市
生年月日 1961年1月10日(48歳)
身長
体重
175cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 外野手捕手
プロ入り 1978年 ドラフト2位
初出場 1981年4月6日 近鉄戦(日生)
最終出場 1996年10月5日 横浜戦(横浜)
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
コーチ歴

石嶺 和彦(いしみね かずひこ、1961年1月10日 - )は、日本沖縄県那覇市出身のプロ野球選手外野手捕手)、野球指導者、野球解説者。選手時代は阪急ブレーブス→オリックス・ブルーウェーブ阪神タイガースで活躍した。阪急・オリックス時代の愛称は「サッサ」。現在は中日ドラゴンズの打撃コーチを務めている。

目次

[編集] 来歴

[編集] プロ入り前

豊見城高校1977年から1978年に春夏連続して甲子園大会に出場。2年生の頃すでに4番を打っていた。

1978年のドラフト会議阪急ブレーブス広島東洋カープから指名され、抽選により阪急に2位指名で捕手として入団する。

[編集] プロ入り後

[編集] 阪急・オリックス時代

入団後はひざの故障により指名打者および外野手に転向。1986年にレギュラーに定着して打率.300、33本塁打を記録した。同年には4月29日から7月25日にかけて56試合連続出塁のプロ野球記録(当時)を達成。1987年9月2日から9月10日にかけて6試合連続本塁打のパ・リーグ最多タイ記録を達成。1990年打点王のタイトルを獲得した。

[編集] 阪神時代

1994年FA権を行使して阪神タイガースに移籍した(阪神の選手としては初の年俸1億円プレイヤー)。このFAに対しては中日からもオファーがあり、ほぼ決まりかけていた中での阪神選択だったと当時、谷沢健一が「プロ野球ニュース」で明かしている。古巣のオリックスは石嶺の背番号3を1997年にクリス・ドネルスが入団するまで欠番にした。阪神では左翼手として出場したが、守備走塁の負担から試合終盤には同じ年に阪神に移籍した南牟礼豊蔵と交代(出塁時は代走、守備時は守備固め)することが多かった。1994年は全試合出場し、打率は2割5分を切りながらチームトップの打点77を記録するが、1995年は本塁打9本と期待されたほどの結果を残すことが出来なかった。1996年はさらに成績を落とし、同年引退。

[編集] 引退後

その後は毎日放送スポーツニッポン野球解説者を務めた。2004年中日ドラゴンズ監督に就任した落合博満に現役時代の内角をうまくさばくバッティングが高く評価されたため、打撃コーチとして中日に入団(元々、落合とはプロ入り同期という程度のつながりしかなく、特に交友は無かった)。

[編集] エピソード

  • 内角打ちについては、工藤公康があるインタビューで「厳しい内角を上手くさばいてヒットにするのは落合さんか、好調の時の石嶺さんだけ」と評している。
  • 若い頃の痛飲がたたり、1987年には急性肝炎となるが点滴を打ちながら試合に出場していた。
  • 怪我の影響もあって守備・走塁面は非常に不得手であり(ただし、元捕手であったからか、守備機会のわりに補殺は多い)、通算盗塁数もわずか13盗塁である。ただし、通算1065盗塁の福本豊が1度しか成功していないホームスチールを2度成功させている。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1981 阪急
オリックス
36 46 42 3 9 1 1 2 18 5 0 0 0 0 4 0 15 0 .214 .283 .429 .711
1982 66 84 76 9 19 2 1 4 35 10 0 0 1 0 5 2 22 1 .250 .313 .461 .774
1983 59 144 129 15 29 4 0 6 51 18 0 1 3 1 10 1 28 3 .225 .284 .395 .679
1984 44 120 108 13 25 6 0 6 49 14 0 0 0 0 7 5 19 9 .231 .308 .454 .762
1985 77 174 149 22 45 7 0 14 94 34 0 0 0 0 21 4 28 3 .302 .402 .631 1.033
1986 126 510 454 62 136 19 2 33 258 96 3 1 1 3 50 2 64 11 .300 .369 .568 .938
1987 127 543 495 65 157 24 0 34 283 91 1 0 0 3 37 8 69 10 .317 .372 .572 .944
1988 128 515 469 54 139 18 0 22 223 76 0 1 1 4 33 8 56 13 .296 .350 .475 .826
1989 130 534 487 55 135 29 1 20 226 77 1 1 0 3 42 2 69 13 .277 .335 .464 .799
1990 130 545 473 72 129 8 1 37 250 106 0 2 0 6 64 2 83 16 .273 .358 .529 .886
1991 130 553 490 63 132 28 3 21 229 85 0 1 0 11 48 4 53 18 .269 .333 .467 .800
1992 130 549 506 56 135 17 0 18 206 68 2 2 0 2 37 4 66 17 .267 .321 .407 .728
1993 130 549 495 56 135 21 2 24 232 77 4 1 0 3 48 3 65 15 .273 .339 .469 .807
1994 阪神 130 502 467 39 115 17 1 17 185 77 1 1 0 9 22 4 82 14 .246 .281 .396 .677
1995 97 318 287 24 69 17 1 9 115 33 1 1 0 7 21 3 42 16 .240 .292 .401 .693
1996 26 70 62 6 10 0 0 2 16 8 0 0 0 0 7 1 15 1 .161 .257 .258 .515
通算:16年 1566 5756 5189 614 1419 218 13 269 2470 875 13 12 6 52 456 53 776 160 .273 .335 .476 .811
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更

[編集] 盗塁阻止率

年度 試合 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1981 15 11 9 2 .182
1982 14 4 4 0 .000
1983 39 23 16 7 .304
通算 68 38 29 9 .237

[編集] タイトル・表彰・記録

  • 打点王:1回(1990年)
  • ベストナイン:3回(指名打者:1986年、1987年、外野手:1990年)
  • オールスター出場:4回(1986年、1987年、1990年、1991年)
  • 6試合連続本塁打(1987年9月2日 - 9月10日)
  • シーズン代打本塁打6本(1985年)
  • 56試合連続出塁(1986年4月29日 - 7月25日)
  • 894試合連続出場(1988年8月15日 - 1995年7月12日)※当時史上5位
  • 通算1000試合出場:1991年7月18日(295人目)
  • 初出場・初打席:1981年4月6日 対近鉄戦(日生) 9回、吉沢の代打。柳田の前に三振
  • 初安打・初打点:1981年4月23日 対近鉄戦(西京極) 6回、橘健治から適時打
  • 初本塁打:1981年7月11日 対西武戦(西宮) 6回、杉本正から2ラン

[編集] 背番号

  • 55(1979年 - 1982年)
  • 29(1983年 - 1987年、1994年 - 1996年)
  • 3(1988年 - 1993年)
  • 75(2004年 - )

[編集] 解説者としての出演番組

※いずれも、毎日放送(MBS)。

[編集] 関連項目


最終更新 2009年11月27日 (金) 11:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【石嶺和彦】変更履歴

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