石田靖

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いしだ やすし
石田 靖
生年月日 1965年12月10日(43歳)
出生地 日本 兵庫県伊丹市
血液型 O
職業 タレント
活動期間 1987年 -
公式サイト 石田靖 公式サイト「なんでやねん!」

石田 靖(いしだ やすし、1965年12月10日 - )は、兵庫県伊丹市出身のお笑いタレント。血液型はO型。兵庫県立伊丹高等学校京都産業大学経営学部卒業。所属事務所吉本興業(東京)。

なんばグランド花月」の吉本新喜劇の前座長、現在は「ルミネtheよしもと」喜劇・石田班の座長を務める。

目次

[編集] 経歴

[編集] デビュー

京都産業大学在籍中の1987年オーディションで吉本入りし、「オ組」でデビュー。大学時代はアマチュアレスリング部に所属。アントニオ猪木に憧れ、夢はプロレスラーになることだったが、母親に反対されたので諦め、芸能界入りを決めた。

同年11月にスタートした圭・修司会の夕方の帯番組「素敵!KEI-SHU5」(関西テレビ)のレギュラーに抜擢される。翌年10月に「KEI-SHU5」の出演メンバー強化目的によるダウンタウン司会の帯番組「4時ですよーだ」のレギュラー出演者との掛け持ち制移行の見返りとして、130Rとともに「4時ですよーだ」のレギュラーへ移る。「4時ですよーだ」末期では、ダウンタウンが東京での仕事が増え、出演時間が少なくなったための穴埋めとして今田耕司東野幸治と共に司会を務めることとなる。このときのトリオ名は「3ばか大将」と呼ばれた(しかし、ダウンタウンの司会降板以後視聴率的に振るわなくなったことから、後にダウンタウンが司会に復帰した)。この頃、松本人志から食べかけのハンバーガーを蹴られ、「そんなん食ってるからおもろないんじゃ!」「KEI-SHU5に帰れ!」と言われたという(もちろん松本流の愛情表現であるが)。

[編集] 吉本新喜劇入団

1989年、「4時ですよーだ」の終了とともに今田らと「やめよッカナ?」キャンペーンを展開していた吉本新喜劇に入団。持ちギャグはなく、当初は2枚目役を演じていた。石田を知る同級生達からは、「なんで普段みたいに面白いことやらへんの?」と問われていたという。その後、持ちギャグを作ってみるようアドバイスを受けた事もあって、持ちギャグをいくつか作って舞台上で披露したが、そのいずれもがスベリ芸で面白くない物ばかりであったために、不評を買った。この事から、持ちギャグ(持ちギャグの研究・開発及び使用)を禁止された。その代わりに、プロレス技以外で数少ないネタ的なものとして、他の共演者のギャグをパクることが多い。

やがて、NGKの舞台で、島田珠代山田花子を筆頭に先輩後輩問わず数々の芸人を相手に、石田本人が本来やりたかった芸という暴力的な仕切りツッコミでのしあがり、1995年にはニューリーダーに、1999年には座長に就任。現在でも舞台上では、プロレス技まがいの暴力的な仕切りツッコミだけで十分ウケをとっている。

大学時代に習得したプロレス技は主に花子や浅香あき恵相手に遺憾なく発揮される。ハイヒールリンゴを骨折させるなど、プロレス技は非常に強力。持ち技としてはジャイアントスイングドロップキック踵落としなどがある。特に踵落としは池乃めだか高橋靖子の頭を超えるほど踵が上がり、かなりの柔軟性を持つ。さらに、新喜劇の舞台上で持ち技を決めたときは武藤敬司のポーズをとり、自己陶酔する。舞台で花子から水着をはぎ取り、裸にしたことがある。こうした数々の暴挙に対する批判に対して、石田はブログで「(同様にプロレス経験者でもある花子に対しては)あくまでネタなんで…ネタやったら何やってもええんか!とお怒りの方もおられますが信頼関係があってやってることなんで…是非、見て笑ってください」と理解を求めている。だが、批判する新喜劇ファンは多く、手加減できないのか、という声も多い。

2001年、東京新宿にルミネtheよしもとがオープン。ルミネでも東京の芸人を中心とした新喜劇が上演されることになり、本場NGKから数名の芸人が送りこまれ、石田もその一人としてルミネ新喜劇の座長に就任。その後はNGKメンバーとしての新喜劇出演はスペシャルや全国ツアーのみになり、ルミネでの活動をメインにし、生活の本拠地も東京に移した。

その後2004年春から3年ぶりにNGK新喜劇に座長として復帰したものの、引き続き東京ベースの活動であり、他の座長に比べテレビ出演や地方ロケに出かけることが多く、「素人をうまくイジれる数少ない芸人」として番組関係者からの需要が高まっていたことからテレビ出演が増え、新喜劇への出演回数は座長・端役を問わず特に大阪NGKで激減し(数ヶ月に1週、しかも途中休演がある)、NGK座長退任はスタッフから特に知らされることなく自然解消の形であった(CASTY生配信での答えによる)。座長を務めるのは再びルミネのみに限定された。

[編集] テレビ・映画への進出

1995年のニューリーダー就任の頃からテレビの仕事が増え、他の座長に比べて新喜劇出演は減ることとなる。この間「探偵!ナイトスクープ」の探偵となり、知名度を上げる。「よしもと新喜劇」や「日曜笑劇場」の舞台収録や、関西ローカル番組以外でのテレビ出演は新喜劇メンバーとしてはかなり多い。テレビにはよく長原成樹と一緒に出演しており、ともに出演しているレギュラー番組は多い。

1991年には島田紳助が監督した映画『風、スローダウン』に主役で出演を果たしているが、この作品の共演者に結婚を申し込むも相手の両親に反対され叶わなかった(これは笑い話の類いではなく本人は相当なショックを受けたようである。この話については、ニューリーダー制のころに新喜劇の台本を担当していた畑嶺明の著書「笑わしたろか!」に詳細の記述がある)。

キューバ音楽をテーマにした映画「ミュージック★クバーナ」に出演。東京ツアーに来た主人公率いるバンドをステージ上で紹介する前説的な役どころ。「タモリ倶楽部」(2006年8月20日放送分)で紹介され、タモリガダルカナル・タカ等に「なんで石田が??」とツッコまれていた。このほか、釣りバカ日誌シリーズ第18作にも出演。

女優の南野陽子と通っていた小学校(伊丹市立伊丹小学校)が同じだった(石田が南野の2年先輩)。南野の全盛期、自分が出演していた様々な番組で「南野からバレンタインデーにチョコレートをもらったことがある」というウソを吹聴し、後に南野のラジオ番組に呼ばれた際に彼女から叱責を受けた(叱責と言っても心底怒ったわけではない)。だがその際に本当にチョコレートをもらうことができ、石田本人はとても喜んでいた。

[編集] 出演

[編集] テレビ番組

[編集] 2009年現在

レギュラー
不定期

[編集] 過去のレギュラー番組

[編集] テレビドラマ

[編集] 映画

[編集] 受賞歴

[編集] インターネット

『ひかりナイトバラエティ』

  • 「石田靖・さとう珠緒の上っ面トーク」(2007年10月24日の最終回にて終了)
  • 「石田靖と意外な仲間達」(水)21:00~24:00または22:00~24:00(生放送)

[編集] その他

2008年、伊丹市から、伊丹市をPRする「伊丹大使」の委嘱を受けている。

[編集] 外部リンク


最終更新 2009年11月18日 (水) 02:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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