石谷貞清
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石谷貞清(いしがやさだきよ、文禄3年(1594年) - 寛文12年9月12日(1672年11月1日))は江戸時代の旗本。石谷政清の孫。石谷清定の三男、母は今川氏家臣の久嶋与平の娘。初名は十蔵。左近将監に任じられる。
[編集] 家系
石谷(イシガヤ)氏は藤原為憲流二階堂氏の流れを組むとされる。遠州石谷氏石谷政清の孫に当たる。また、美濃石谷(イシタニ)氏とは別系統である。
[編集] 略歴
徳川家旗本。大坂夏の陣に参戦して300石を領する。元和4年(1618年)には200石加増。島原・天草の乱において幕府から派遣された板倉重昌の副将を務める。敗北して蟄居。後、江戸北町奉行を務め、慶安の変の際には丸橋忠弥を、承応の変の際には別木庄左衛門を捕える。明暦の大火の時には、伝馬町の牢屋敷の囚人を解放してその命を救った。
慶安4年(1651年)6月18日、町奉行となり、8月16日に従五位下・左近将監に任じられた。万治2年(1659年)1月28日に職を辞し、同年7月27日に致仕した。
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最終更新 2008年10月23日 (木) 09:26 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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