碧海郡
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碧海郡(あおみのこおり[1]・へきかいぐん)は、愛知県にかつてあった郡。
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[編集] 概要
愛知県東部、三河地方の矢作川の西側(右岸)に当たる(但し、岡崎市六ツ美地区のみ東側)。現在の碧南市、刈谷市、安城市、高浜市、知立市の全域、及び豊田市の南部、岡崎市の南部(六ツ美)および西部(矢作)、西尾市の北部(米津)が該当する。現在、刈谷市・安城市・高浜市・知立市・碧南市の5市は碧海5市と呼ばれている。
「碧海」の名前は、碧海信用金庫に信用金庫名として残っている。また、旧碧海電気鉄道線だった名古屋鉄道・西尾線の碧海古井駅が「碧海」の冠称を付けている(以前は碧海桜井駅、碧海堀内駅も存在したが、2008年6月29日にそれぞれ桜井駅、堀内公園駅に改称した)。さらに、この地方にあるケーブルテレビ局・キャッチネットワークの旧社名は「碧海キャッチネットワーク」であり、かつてのサービス範囲は碧海5市のみであった。
現在、自動車工業を中心とする工場の集積や、名古屋圏のベッドタウン化などにより、旧郡域人口はおよそ70万人、人口密度も旧三河国の8郡内で最高である。
[編集] 歴史
[編集] 碧海郡の誕生
大宝年間以前は、「青見」(あおみ)と表記された。『新撰姓氏録』には、「持統天皇の御代、参河国青海郡」と書かれている。古代木簡によれば、「青見」は青見評(あおみのこおり)にあった青見里(あおみのさと)とされているが、命名の由来は不明である。青見里は、現在の安城市付近にあった里の名前である。後に、「青見」(あおみ)から「碧海」(あおみ)へと表記が変遷した。
『和名抄』によれば、碧海郡は15の郷を有した。古代木簡には、「知利布」または「知立」(ちりゅう・知立市)、東海道の駅家だった「鳥取」(ととり・安城市)、「鷲取郷」(安城市)、「櫻井」(さくらい・安城市)、「采女」「長谷部」などの郷の名が書かれている。
また、律令制当時は矢作川は現在の川筋(江戸時代初頭に開削)ではなく、矢作古川が本流であったため、西尾と安城は陸続きであったと思われる。よって、西尾市域のうち、南中根・米津だけでなく、志貴野辺りも旧碧海郡と推定されている。碧海郡と幡豆郡の境は、八ツ面山と推定されている。
[編集] 明治維新と碧海郡の消滅
近世以降、碧海郡は「へきかいぐん」(通常は「へっかいぐん」)と呼ばれた。江戸時代末期の天保年間の石高は9万石で、当時の三河国内の8郡で最大の石高を誇った。明治以降は明治用水の開発に伴う10万石以上の収量増がなされた。明治に入ると、郡役所は知立町(現・知立市)に設置されたが、1914年に安城町(現・安城市)へ移転した。
1948年に碧南市が誕生して以降、郡内では市制施行や市町村合併により自治体数が減り、1970年12月1日に知立町・高浜町が市制を施行しそれぞれ知立市および高浜市になったのに伴い、碧海郡は消滅した。
[編集] 「碧海5市」
碧海郡が消滅した後は、安城・刈谷・高浜・知立・碧南各市が「碧海5市」と呼ばれるようになった。碧海5市間では、市民の図書館相互利用サービスのように一部分野で広域行政が進められている。消防業務も、かつて5市にそれぞれ存在した消防本部を廃止し、代わりに5市を管轄する「衣浦東部広域連合消防局」が5市の消防業務を担っている。また、5市にあった農協は1996年4月に合併し、あいち中央農業協同組合(JAあいち中央)になった。
平成の大合併の時期には、碧海5市合併による「碧海市」構想が持ち上がったが、碧南市が住民投票の結果を受けて離脱を表明して以来は進展していない。5市合併が実現すれば、東海3県では名古屋市に次ぐ50万都市となる。しかしながら、各市がそれぞれ固有の長い歴史と風土を持ち、財政等の諸条件が違い、碧海郡という概念自体も薄れており、さらには合併によるメリットも考えにくいため、一般市民の間で積極的に合併を望む声は大きいとは言えない。
[編集] 沿革
- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行に伴い、碧海郡に下記の3町56村が発足(3町56村)
- 知立町(知立市)
- 牛橋村、上重原村(知立町 → 知立市)
- 刈谷町(刈谷市)
- 下重原村(重原村 → 刈谷町 → 刈谷市 / 半高村 → 依佐美村 → 刈谷市)
- 小山村、逢妻村、元刈谷村(刈谷町 → 刈谷市)
- 境村(富士松村 → 刈谷市 / 東境村 → 富士松村 → 刈谷市)
- 一ツ木村、逢見村(富士松村 → 刈谷市)
- 小垣江村、野田村(依佐美村 → 刈谷市)
- 高浜村、吉浜村、高取村(高浜町 → 高浜市)
- 安城村、里村、箕輪村、福釜村、赤松村、今村、平貴村、古井村(安城町 → 安城市)
- 東端村、根崎村、城ヶ入村、和泉村(明治村 → 安城市)
- 長崎村(安城町 → 安城市 / 知立町 → 知立市)
- 高棚村(依佐美村 → 安城市 / 榎前村 → 明治村 → 安城市)
- 桜井村(桜井町 → 安城市)
- 小川村、三ツ川村(桜井村 → 桜井町 → 安城市)
- 大浜町(碧南市)
- 北大浜村(新川町 → 碧南市)
- 棚尾村(棚尾町 → 碧南市)
- 志貴崎村(旭村 → 碧南市 / 伏見屋村 → 旭村 → 碧南市)
- 鷲塚村(旭村 → 碧南市)
- 西端村(明治村 → 碧南市)
- 矢作村、中郷村、本郷村、長瀬村、志貴村(矢作町 → 岡崎市)
- 藤野村(桜井村 → 桜井町 → 安城市 / 志貴須香村 → 矢作町 → 岡崎市)
- 占部村、中島村(六ツ美村 → 六ツ美町 → 岡崎市)
- 糟海村(六ツ美村 → 六ツ美町 → 岡崎市 / 中井村 → 六ツ美村 → 六ツ美町 → 岡崎市)
- 阿乎美村(合歓木村 → 六ツ美村 → 六ツ美町 → 岡崎市 / 上青野村 → 六ツ美村 → 六ツ美町 → 岡崎市)
- 畝部村、寿恵野村、枡塚村、上野村、和会村(上郷村 → 上郷町 → 豊田市)
- 駒場村、若園村、竹村、堤村(高岡村 → 高岡町 → 豊田市)
- 米津村(明治村 → 西尾市)
- 1890年(明治23年)10月20日 - 高棚村から榎前村が分立(3町57村)
- 1891年(明治24年)
- 8月8日(3町59村)
- 志貴崎村から伏見屋村が分立
- 藤野村から志賀須香村が分立
- 8月14日(3町61村)
- 境村から東境村が分立
- 下重原村が半高村、重原村に分割
- 11月10日(3町62村)
- 阿乎美村が合歓木村、上青野村に分割
- 8月8日(3町59村)
- 1892年(明治25年)8月1日 - 北大浜村が町制施行、改称し新川町となる(4町61村)
- 1893年(明治26年)2月19日 - 矢作村が町制施行、矢作町となる(5町60村)
- 1896年(明治29年)6月11日 - 糟海村から中井村が分立(5町61村)
- 1900年(明治33年)7月9日 - 高浜村が町制施行、高浜町となる(6町60村)
- 1901年(明治34年)4月4日 - 本郷村から渡村が分立(6町61村)
- 1906年(明治39年)5月1日(7町9村)
- 高浜町、吉浜村、高取村が合併し、新たに高浜町となる
- 知立町、牛橋村、上重原村、長崎村の一部が合併し、新たに知立町となる
- 安城村、里村、箕輪村、福釜村、赤松村、今村、平貴村、古井村、長崎村の一部が合併し、安城町となる
- 桜井村、藤野村、小川村、三ツ川村が合併し、新たに桜井村となる
- 米津村、西端村、東端村、根崎村、城ヶ入村、和泉村、榎前村が合併し明治村となる
- 高棚村、小垣江村、野田村、半高村が合併し依佐美村となる
- 刈谷町、重原村、小山村、逢妻村、元刈谷村が合併し、新たに刈谷町となる
- 境村、東境村、一ツ木村、逢見村が合併し富士松村となる
- 志貴崎村、伏見屋村、鷲塚村が合併し旭村となる
- 畝部村、寿恵野村、枡塚村、上野村、和会村が合併し上郷村となる
- 駒場村、若園村、堤村、竹村が合併し高岡村となる
- 占部村、糟海村、中井村、中島村、合歓木村、上青野村が合併し六ツ美村となる
- 矢作町、中郷村、本郷村、渡村、長瀬村、志貴村、志賀須香村が合併し、新たに矢作町となる
- 1924年(大正13年)1月1日 - 棚尾村が町制施行し棚尾町となる(8町8村)
- 1948年(昭和23年)4月5日 - 大浜町、新川町、棚尾町、旭村が合併、碧南市となり郡より離脱(5町7村)
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 刈谷町が市制施行、刈谷市となり郡より離脱(4町7村)
- 1952年(昭和27年)5月3日 - 安城町が市制施行、安城市となり郡より離脱。(3町7村)
- 1955年(昭和30年)4月1日(2町4村)
- 1956年(昭和31年)
- 1958年(昭和33年)10月15日 - 六ツ美村が町制施行し六ツ美町となる(5町1村)
- 1960年(昭和35年)1月1日 - 旧矢作町の一部が安城市に編入
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 上郷村が町制施行し上郷町となる(6町)
- 1962年(昭和37年)10月15日 - 六ツ美町が岡崎市に編入(5町)
- 1964年(昭和39年)3月1日 - 上郷町が豊田市に編入(4町)
- 1965年(昭和40年)9月1日 - 高岡町が豊田市に編入(3町)
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 桜井町が安城市に編入(2町)
- 1970年(昭和45年)12月1日 - 碧海郡消滅
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
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