祇園精舎
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祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)、正式名称祇樹給孤独園 精舎(ぎじゅぎっこどくおん しょうじゃ、サンスクリット:Jetavana Anathapindadasya-arama)は、中インドのシュラーヴァスティー(舎衛城)にあった寺院で、釈迦が説法を行ったとされる場所。天竺五精舎(釈迦在世にあった5つの寺院)の一つ。
目次 |
[編集] 名称の由来
名称の意味は「祇陀(ジェータ)太子の森(Jetavana)」と、「身寄りのない者に施しをする(Anathapindada)」という言葉を並置した物であり、以下の由来による。
インドのシュラーヴァスティーにスダッタ(須達多)という、身寄りのない者を憐れんで食事を給していたため、人々から「給孤独者(anathapindada)」と呼ばれていた富豪がいた。
ある日、スダッタは釈迦の説法を聞いてこれに帰依し、彼に説法のための寺院を寄付しようと思い立った。 そして見つかった土地が、ジェータ太子の所有する森林であった。その土地の譲渡を望むスダッタに対して、ジェータ太子が「必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろう」と戯れで言った。しかしスダッタが本当に金貨を敷き詰め始めたため、ジェータ太子は驚いて、そのまま土地を譲渡し更に自らも樹木を寄付して、寺院建設を援助した。
これ故、この僧園はジェータ太子と給孤独者スダッタ両者の名を冠して祇樹給孤独園と呼ばれ、そこに建てられた精舎を祇樹給孤独園精舎と称するようになった。
[編集] 徳川家伝来「祇園精舎図」
江戸幕府三代将軍・徳川家光は、長崎のオランダ語の通訳・島野兼了に仏教の聖地「祇園精舎」の視察を命じている。 その頃カンボジアのプノンペンの日本人町の人達は、祇園精舎がアンコール・ワットだと誤認していた為、その誤った情報が日本にも伝えられ、大勢の日本人が祇園精舎の参詣としてアンコール・ワットへ出かけて行た。
島野兼了も誤った情報により、そこが天竺(インド)の「祇園精舎」であると思い込んだままアンコール・ワットを視察し、一枚の「見取図」を作成した。 それが当時の長崎奉行・藤原忠義によって正徳5年(1715)に模写され、その後所有者の変遷はあったものの『祇園精舎図』と題された古地図は、今も彰考館(茨城県・水戸市)に保存されている。 明治末期になって、建築史学者の伊東忠太がこの見取図を鑑定した結果、全体構造から推してアンコール・ワットであることが判明した。
[編集] その他
『平家物語』の冒頭で「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」と詠われている所から、特に日本ではよく知られている。
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯(ただ)春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に(ひとえに)風の前の塵(ちり)に同じ』
また、京都の有名な花街である祇園は、もと祇園社と称した八坂神社の門前町であることからその名を得た。八坂神社が祇園社と称した由来は、観慶寺の別名の祇園寺からとされる。
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月25日 (水) 03:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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