神の国

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『神の国』冒頭部分、1470年製作本

神の国』(かみのくに、ラテン語De Civitate Dei)は、5世紀初頭に書かれたアウグスティヌス後期の主要著作。 世界の創造以来の歴史を地の国とそれに覆われ隠されている神の国の二つの歴史として叙述する。全22巻より成り、前半10巻で地の国を、後半12巻で神の国を論ずる。アウグスティヌスは410年ゴート族によるローマ陥落を機に噴出したキリスト教への非難に、この著作によって応えた。

目次

[編集] 「神の国」思想

『神の国』においては、以下のような聖書を土台とした「神の国」思想がある。特に後者が、アウグスティヌスを啓発した[要出典]

今ここにある神の国
キリスト公生涯を開始した時、最初に宣べ伝えたメッセージが「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1:15)であった。ここにおける「近くなった」は「既に到来した」と言う意味での「近くなった」である。キリストの来臨、また、公生涯の開始によって「神の国」は人間の歴史の中に介入してきた。使徒パウロは、そのような「神の国」を「義と平和と聖霊による喜び」にあることを、ローマ人への手紙14:17に示した。この第一の面での「神の国」は、キリストに依り頼む者たちの信仰による現在における体験的な面である。「神の国」には、他の国のように領土があるわけではない。「神の国」とは、神の支配の及ぶところすべてである。神の支配が行き届く時、そこに出現する心の状態である。
やがて来る神の国
キリストは「主の祈り」の中で、「御国を来たらせたまえ」と祈るように弟子たちや後代のキリスト教徒に教えた。「神の国」は、この祈りによると、これから実現するもので、現在は待ち望まれているに過ぎない。信じる者たちの個人的な体験としての「神の国」が、やがてキリストの再臨という大変革の時を迎え、世界大の規模で実現する時がある。神の聖と義による支配がすべての被造物に及ぶ時である。聖書の終末論に関わっている。

[編集] マタイにおける「天の御国」との関係

マタイによる福音書では「天の御国」と言う表現を見出す。多くの学者は、ユダヤ人たちが、神の名を濫りに使用することを恐れたために、「『神』の国」を「天の御国」と置き換えたのであって、この二つの用語は同義語であって、相互に置き換えることができると考えている。

しかし、「神の国」と「天の御国」とは、重なり合いつつ、少しずつずれている概念として考えるほうが妥当である[要出典]

マタイ6:33に「先ず、神の国とその義とを求めなさい」と言う聖句がある。マタイによる福音書であっても、「神の国」と言う表現を使用しているのであれば、置き換えた得るものと言う理解に、単純には立てない[要出典]

マタイによる福音書の13章には幾つかの「天の御国」のたとえがある。そのうちの「麦と毒麦」のたとえ、また「地引き網」のたとえでは分離という概念が顕著である。麦と毒麦、良いものと悪いものとは、収穫の時期、また、この世の終わりには取り分けられる。「天の御国」は明らかに混ざり合った状態であるが、それに対して「神の国」は、麦、また、良いもののみによって構成されている。「天の御国」は「神の国」を包含するが、それよりも広い概念である。キリストに贖われた者たちによって構成される真の教会と、真に救われた者と名目上のキリスト者の双方を含む地上の教会との関係に似ている[要出典]

[編集] 文献

  • 服部英次郎、藤本雄三訳注  『アウグスティヌス 神の国』 岩波文庫全5巻
  • エティエンヌ・ジルソン、藤本雄三訳著 『<神の国>論 アウグスティヌス、平和と秩序』 行路社、1995年
文庫版訳書には「解説」は無く、実質上解説も兼ねている。
  • 『聖アウグスティヌスの哲学』 <キリスト教歴史双書15>南窓社、1995年
アルバン・イシドア・シュトルツ、藤本雄三訳著
  • 『アウグスティヌス著作集 11~15巻』 教文館、1980~83年
泉治典、岡野昌雄、松田禎二ほか訳注、「著作集」は刊行中で未完結。1979年~

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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最終更新 2009年10月7日 (水) 09:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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