神奈川県立小田原高等学校
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| 過去の名称 | 神奈川県第二中学校 神奈川県立第二中学校 神奈川県立小田原中学校 小田原高等小学校女子補習科 小田原町立小田原女学校 小田原町立小田原高等女学校 神奈川県立小田原女子高等学校 神奈川県立小田原城内高等学校 |
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| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 神奈川県 |
| 併合学校 | 神奈川県立小田原高等学校 神奈川県立小田原城内高等学校 |
| 設立年月日 | 1900年4月25日 (神奈川県第二中学校設置認可) |
| 開校記念日 | 4月28日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 定時制課程 |
| 単位制・学年制 | 単位制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 2学期制 |
| 高校コード | 14157H |
| 所在地 | 〒250-0045 |
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神奈川県小田原市城山3-26-1
北緯35度15分11.7秒東経139度8分56.5秒 |
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| 電話番号 | 0465-23-1201 |
| FAX番号 | 0465-23-6144 |
| 外部リンク | 公式サイト |
神奈川県立小田原高等学校(かながわけんりつおだわらこうとうがっこう)は、神奈川県小田原市城山にある県立高等学校。略称は「小田高(おだこう)」。
目次 |
[編集] 概要
小田原藩校「集成館」を淵源とし、旧制神奈川県第二中学校を起源とする、神奈川県西部代表する伝統校・進学校。2006年度入学者選抜からは後期学力検査の国語、数学、英語において学校独自作成問題が導入されている。また2007年には、神奈川県教育委員会が県立高校の進学実績向上という目標を明確化するため「学力向上進学重点校」10校を指定し、小田原高校もそのうちの1校に選ばれた。
[編集] 沿革
[編集] 経緯
小田原高校では、前身となる神奈川県第二中学校が創立された1900年を以って正式な創立年としているが、さらにその前身は、1822年に小田原藩が創設した藩校「集成館」(稽古所ともいう)であり、実質的には神奈川県内最古の高等学校といえる。
[編集] 年表
- 1822年 - 小田原藩が藩校・集成館を創設。場所は現在の小田原市立三の丸小学校(小田原市本町・小田原城の南側)のある所。
- 1900年 - 集成館を前身に、神奈川県第二中学校が神奈川県内二番目の旧制中学校として設置認可。
- 1901年 - 神奈川県第二中学校開校。初代校長吉田庫三(吉田松陰の甥、松下村塾卒)。所在地は緑町(現在の小田原駅付近)。現在小田原駅東口に「小田原高等学校発祥之地」の石碑が建っている。4月28日に開校式を実施したことからこの日が開校記念日となる。
- 1901年 - 神奈川県立第二中学校と改称。
- 1913年 - 神奈川県立小田原中学校と改称。
- 1914年 - 小田原駅開設(1920年開業)に伴い、小田原城址であり宮内省の御料地でもあった八幡山(現在地)へ移転。
- 1923年 - 関東大震災により校舎半壊。
- 1927年 - 神奈川県第二中学校開校から3代目となる新校舎落成。
- 1948年 - 神奈川県立小田原高等学校と改称。
- 1964年 - 4代目となる新校舎落成。
- 2004年 - 神奈川県立小田原城内高等学校と統合、単位制高等学校となる。
- 2007年 - 5代目となる新校舎落成。
[編集] 教育方針
[編集] 教育目標
[編集] 授業
- 単位制を導入しており、生徒の希望する進路にむけた授業を組み立てることができる。そのため、組み立てたプランしだいでは他学年と一緒に授業を受けることもある。
- 授業は(総合学習・LHRを除き)1コマ90分の授業で展開されている。90分授業展開のメリットとして、単位制独特の移動教室の負担を軽減させる目的もある。
- 総合学習・LHRは4時限目に割り当てられ、その際は14時30分~15時15分となる。
- 2007年度新校舎完成に伴い、学校のシステムのほとんどを移転させた(一部南館を使用)。また一足制を導入し、校舎の利用は基本的に土足のままである。さらに前述のとおり同年度より90分授業(総合的な学習、LHRは45分)を導入し、より大学を意識した校風へと変わりつつある。
[編集] 姉妹校
国際教育推進の一環として下記の学校と姉妹校交流を実施している。
[編集] 学校行事
- 6月 - 小田高祭(文化祭)
- かつては10月に行われていたが、大学共通一次試験の開始に伴い1979年より6月開催に変更された。一般的な模擬店ではなく、各クラス「演劇」をする(2-3年。1年生は壁画の展示)。
- 7月 - 前期スポーツ大会
- 9月 - 体育祭
- 12月 - 後期スポーツ大会
- 3月 - 合唱コンクール
- 小田原城内高校で盛んに行われていた行事を「統合のシンボル」として継承。
[編集] 生徒会活動・部活動など
[編集] 運動部
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[編集] 文化部
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[編集] 同好会
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[編集] 交通
[編集] 主な関係者
[編集] 教職員
- 吉田庫三(初代校長、吉田松陰の甥、松下村塾卒)
- 阿部伝(阿部宗孝)(第2代校長、後に東京府立第六中学校(現:東京都立新宿高等学校)初代校長)
- 佐々木信太郎(後に大日本報徳社副社長、二宮尊徳研究で有名)
- ジョン・M・アリソン(外交官、駐日アメリカ大使)
[編集] 出身者
- 閑院宮春仁王(皇族、陸軍少将)
- 河野一郎(農林大臣、建設大臣、総理大臣の有力候補)
- 小金義照(郵政大臣、商工省局長)
- 内藤誉三郎(文部大臣、文部事務次官、大妻女子大学学長)
- 河野謙三(参議院議長、河野一郎の弟)
- 戸澤政方(衆議院議員、厚生事務次官、全国国民健康保険組合協会会長)
- 永山時雄(通商産業省官房長、昭和石油社長、経団連副会長 、 白州次郎との「通商産業省」創設のやりとりが知られている)
- 近藤道生(国税庁長官、博報堂社長)
- 相田二郎(歴史学者)
- 所澤保孝(教育学者、関東学院大学人間環境学部教授)
- 山田亮(大阪大学大学院基礎工学研究科准教授)
- 尾崎一雄(芥川賞作家)
- 大田黒元雄(音楽評論家)
- 北原武夫(作家)
- 牧野信一(作家)
- 川崎長太郎(作家、中退)
- 山田太一(脚本家)
- 新谷保志(日本テレビアナウンサー)
- 小澤康喬(NHKアナウンサー)
- 久能靖(フリーアナウンサー)
- 原田悦志(日本国際放送 チーフ・プロデューサー)
- 瀬戸薫(ヤマト運輸社長)
- 大橋一彦(フジクラ社長)
- 伊藤裕造(東日本放送社長)
- 山本忠人(富士ゼロックス社長)
- 山口学 (関電工社長)
- 石塚正孝 (東海旅客鉄道副社長)
- 普川茂保 (日本信託銀行社長・会長)
- 青木淳(建築家)
- ヨコミゾマコト(建築家)
- 真船一雄(漫画家)
- 野口吉昭(コンサルタント)
- 郷田ほづみ(俳優)
- 平光琢也(俳優)
- 合田雅吏(俳優)
- 小宮孝泰(俳優)
- 巻上公一(歌手)
- 柳家三三(落語家)
- 内野正雄(元サッカー選手)
- 加藤 憲一(小田原市市長)
- 山本富士雄(元サッカー選手)
- 石川雄規(プロレスラー)
- 青木智史(元プロ野球選手)
[編集] その他
- 小田原駅北西の八幡山にあり、ほとんどの生徒が長い階段(通称「百段坂」)を上って通学する。
- 所在地一体は八幡山と呼ばれる場所で、中世には小田原城が存在した場所である。
- 5代目新校舎建設の際、建築予定地から中世の堀跡など城の遺跡が発見されたため、建築が延期になった。一部市民団体などから校地の遺跡公園化を求める声も聞かれたが、現地での新校舎建築が決まった。
- 会議室内には横山大観の絵がある。体育館には晩年を小田原で過ごした山縣有朋の「至誠無息」・東郷平八郎の「堅忍不抜」と書かれた扁額が飾られて、校歌の歌詞にもなっている。
- 1970年代までは、定員に占める男子比率が常に9割を超えていた。
- 校地の南側には、シラカシ、クスノキ等から成る数少ない残存照葉樹林が広がり、1971年3月30日に「神奈川県立小田原高等学校の樹叢(じゅそう)」として神奈川県の天然記念物に指定されている。[2]
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年12月5日 (土) 13:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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