神奈川県立横浜平沼高等学校

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神奈川県立横浜平沼高等学校
校舎概観
過去の名称 神奈川県高等女学校
神奈川県立高等女学校
神奈川県立横浜第一高等女学校
神奈川県立横浜第一女子高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 神奈川県
設立年月日 1900年10月
創立記念日 5月7日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 2学期制
高校コード 14104G
所在地 220-0073
神奈川県横浜市西区岡野1-5-8
電話番号 045-313-9200
FAX番号 045-311-0519
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
  

神奈川県立横浜平沼高等学校(かながわけんりつよこはまひらぬまこうとうがっこう)は、全日制普通科の高等学校。所在地は神奈川県横浜市西区岡野。

目次

[編集] 概要

神奈川県で最古の高等女学校として創立。戦前は「県下一の才媛学校」として、県内各地から優秀な女子生徒を集めていた。戦後は男女共学化と小学区制の導入により、徐々にそうした特色は薄れていったが、女子生徒の比率が高い傾向は現在まで続いている。横浜駅より徒歩10分という好立地にあり、入学希望者が神奈川県全域から集まるため、受験倍率は例年高い。かつては通信制も設置されていたが、湘南高校通信制と統合され、2008年4月より神奈川県立横浜修悠館高等学校に移管された。

[編集] 沿革

  • 1900年 - 神奈川県高等女学校の設立が認可される。
  • 1901年 - 神奈川県立高等女学校と改称。
  • 1907年 - 女子師範学校を併置(1927年まで)。
  • 1910年 - 付属小学校を併置(関東大震災で焼失)。
  • 1913年 - 『心の掟』[1]制定
  • 1916年 - 校歌制定。
  • 1923年 - 関東大震災で校舎が倒壊。
  • 1928年 - 二代目校舎が完成。
  • 1930年 - 神奈川県立横浜第一高等女学校と改称。
  • 1945年 - 横浜大空襲により、臨時の救護病院となる。
  • 1948年 - 神奈川県立横浜第一女子高等学校と改称。教育通信部(後の通信制課程)を併置。
  • 1949年 - 県立横浜保育園を併置(1990年まで)。
  • 1950年 - 男女共学化に伴い、神奈川県立横浜平沼高等学校[2]と改称。校歌の歌詞を改定。小学区制が導入される。
  • 1951年 - 女子バスケットボール部がインターハイで準優勝。
  • 1954年 - 平翠戦[3]が始まる。
  • 1963年 - 中学区制導入。本校は希望ヶ丘桜丘戸塚の各校とともに、横浜中部学区に所属する。
  • 1981年 - 学区改編。縮小された横浜中部学区に所属する。
  • 1992年 - 三代目校舎(現在の校舎)が完成。
  • 2000年 - 創立100周年を迎える。
  • 2008年3月 - 通信制閉講。

[編集]

  1. ^ 教育勅語の精神を本校の教育の中に生かすことを目標とした、校則ともいうべきもの。終戦後に廃棄される。
  2. ^ 実は当時の職員会議で地名に因み「横浜岡野高校」案に固まったが、生徒側が「横浜平沼高校」案を主張し生徒総会で論戦を展開、結局は生徒案に決まった。
  3. ^ 神奈川県立横浜翠嵐高等学校との間で行われた体育対抗戦。正式名称は「平沼・翠嵐体育対抗戦」、横浜翠嵐では「翠平戦」と呼ばれた。途中二度の中断をはさんで1980年まで続けられ、25戦で横浜平沼の12勝13敗だった。

[編集] 部活動

運動部
サッカー部
陸上部
剣道部
ソフトテニス部
野球部
バスケットボール部
ハンドボール部
弓道部
ソフトボール部
バレーボール部
柔道部
ダンス部
テニス部
応援団
バドミントン部
文化部
放送部
華道部
合唱部
写真部
演劇部
茶道部
無線部
軽音楽部
吹奏楽部
オーケストラ部
美術部
漫画研究部
かるた部
同好会
ボランティア同好会
Handmade
文芸同好会


[編集] 著名な出身者

[編集] 全日制

[編集] 通信制

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年7月29日 (水) 17:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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