福井英一

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福井 英一(ふくい えいいち、1921年3月3日 - 1954年6月26日)は、漫画家。東京都出身。

[編集] 人物

旧制郁文館中学校卒業後は、映画会社で漫画映画の製作に関わっていたが、その会社が戦後に倒産したため、漫画の執筆活動に入る[1]

1949年、急死した井上一雄の『バット君』の代筆として「漫画少年」に連載を開始し、商業デビューを果たす。1951年から「冒険王」に連載した柔道漫画『イガグリくん』で人気を得るが、「銀の鈴」に連載していた『よわむし鈴之助』を基に、「少年画報」に『赤胴鈴之助』の第1回目を描いたところで過労のため急逝。絶大な人気で日本漫画史に足跡を残したが、職業漫画家としては実働僅か5年に終わっている。

絶筆となった『赤胴鈴之助』はそのまま打ち切りにしてしまうのはあまりにも勿体ないという編集部の判断で、新人漫画家・武内つなよしに引き継がれる。

手塚治虫とはライバルであり、同時に対立関係にあったが、手塚が書いた作品は全て所有していた。手塚自身も自伝『ぼくはマンガ家』(1969年、毎日新聞社)で「福井氏の筆勢を嫉んでいた」と書いている。また同書では福井の死に際し「ああ、ホッとした」という感慨を抱き、後で自己嫌悪に陥ったとも記している。

当時少年画報社の編集者であった福元一義によると、福井は鉛筆で下絵を描いてから丸ペンで丁寧に仕上げる「昔気質の律儀なマンガ家」である上に、徹夜ができなかった。一方の手塚はGペンなどを使用して直にペンを入れ、一睡もせずに猛烈な速度で原稿を仕上げていく対照的なタイプであった。福井は手塚と同室で「カンヅメ」で執筆した際にすっかりペースを乱されてしまい、以後二度と同室では執筆しなかったという[2]

漫画評論で知られる夏目房之介は、福井の勧善懲悪タイプのスポーツ漫画が手塚治虫作品とは違う独自の世界を築いていた点を指摘しており、福井の作劇手法の影響下にある後年の漫画家の多さを示唆している(水島新司など)。さらに福井の作品世界と、後の梶原一騎作品の共通点にも言及。手塚が神格化される一方で、福井が忘れ去られそうな現状に疑義を唱えている。

[編集] 作品

復刻されているもののみ。

[編集] 脚注

  1. ^ 清水勲 『漫画の歴史』 岩波書店(岩波新書)、1991年、索引 p.16。 ISBN 4004301726
  2. ^ 岩上安身「仕事部屋から見つめた超人・手塚治虫」『エスクァイア日本版』No.136、1989年[1]

最終更新 2009年10月16日 (金) 18:10 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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