福助
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| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 市場情報 | 非上場
|
| 本社所在地 | 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目27番8号 京セラ原宿ビル4階 |
| 電話番号 | 03-6418-1400(本社代表) |
| 設立 | 1919年 |
| 業種 | 繊維製品 |
| 事業内容 | 足袋の製造、卸売、小売 靴下、肌着、ストッキング、ベビーシューズの卸売、小売 |
| 代表者 | 代表取締役社長 吉野哲 |
| 資本金 | 7億9,000万円 |
| 従業員数 | 314名 |
| 主要株主 | 豊田通商(株) 75.2% |
| 主要子会社 | KBフクスケ(株) 四国フクスケ(株) 福助ロジスティクス(株) |
| 外部リンク | http://www.fukusuke.co.jp/ |
| 特記事項:民事再生法適用前の旧本社は、大阪府堺市南安井町2-1-1に所在した。 | |
福助株式会社(ふくすけ)は、東京都渋谷区に本社を置く足袋・靴下・ストッキング・下着などの製造販売をおこなう企業である。
大阪・堺で創業した足袋の老舗として、高い知名度を誇るが、2003年以降は東京に経営基盤が移っている。
目次 |
[編集] 概要
創業者の辻本福松が、1882年に大阪・堺で足袋の製造販売をおこなう「丸福」を創業させる。しかし丸に福を入れただけの商標は、すでに他の業者が商標として登録していたこともあり、伊勢詣での際に福助人形を見つけたことから、これをもとに挿絵化、1900年に「福助印堺足袋」として商標登録をおこなう。またその間の1895年には足袋用のミシンを開発し、足袋の大量生産化を成功させる。
創業者・辻本福松の死後、後を継いだ辻本豊三郎は、販路を拡大すべく東京へ向かうが、当時東京では「足袋は手縫い」が常識となっていたため、販路の拡大に苦戦する。しかし徹底した売り込みを重ねると共に、新聞への広告掲載や、看板・ポスターなどの設置に心血を注ぎ、やがて福助の名は全国に広がってゆく。パブリシティによって福助の知名度が上がることを知った辻本豊三郎は、1923年に博多、1928年には大阪・道頓堀、東京・浅草に巨大広告塔を設置。これを発端として、戦後サトウハチロー、三木鶏郎の手によるテレビやラジオでのCMソングなどによる宣伝につながってゆく。
1930年代から靴下、下着に進出を開始。また1950年代にはズック靴なども生産していたこともある。しかし足袋・靴下以外では、他の部門の業績に目立った伸びは見られず、1980年代には森英恵、三宅一生などのデザイナーズブランドを積極的に取り入れたが、言うほどの改善は見られなかったこともあり、次第に経営は傾斜化してゆく。
2003年6月21日、倒産、その後民事再生法から、同年10月1日に企業再生ファンド、MKSパートナーズにより設立された新会社へ、事業、商号、ブランドを含めた営業の一切を譲渡し、創業者・辻本一族は経営から退くことになった。変わって伊勢丹の名バイヤーとしてその名を知られる藤巻幸夫が社長に就任し、新たに経営基盤も東京へと移り、新生福助としてスタートを切ることになった。2007年5月17日、豊田通商との資本・業務提携により同社の持分法適用会社となった。2009年10月には豊田通商がMKSパートナーズの保有株式の全株を取得し連結子会社化した。
[編集] 沿革
- 1882年 - 大阪府堺市(現・堺市堺区)で足袋の製造・販売を行う「丸福」として創業。
- 1900年 - 「福助」を商標登録し、「福助印堺足袋」のブランドで全国展開を図る。
- 1919年 - 「福助足袋」として株式会社法人を設立する。
- 2003年 - 経営悪化のため倒産。その後伊勢丹のカリスマバイヤーとして名を馳せた藤巻幸夫を社長として招聘し経営再建を開始。
- 2003年 - 創業地だった堺市を離れ、東京都渋谷区に本社を移転し今日に至る。
- 2004年 - 吉野哲が社長に就任
- 2006年 - 蛯原友里と押切もえのプロデュースによるストッキングMOTESTOが発売された。
- 2007年5月17日 - 豊田通商と資本・業務提携契約を締結。発行済株式総数の23.2%を豊田通商が取得。
- 2007年10月 - MOTESTOと同様に蛯原と押切のプロデュースによるストッキングKOKOZOが発売。
- 2008年10月 - 蛯原友里×ANA×TBS「王様のブランチ」との共同プロデュースによるストッキング、f*ing BIZWALK(エフィング・ビズウォーク)を発売。
- 2009年10月 - 豊田通商がMKSパートナーズの保有株式を全株取得し同社の連結子会社となった。
[編集] 関連項目
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など




