福岡県立育徳館中学校・高等学校

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福岡県立育徳館中学校・高等学校
過去の名称 福岡県立豊津高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 福岡県
併合学校 福岡県立豊津高等学校
福岡県立豊津女子高等学校
校訓 文武両道・質実剛健
設立年月日 1768年
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 40105G
所在地 824-0121
福岡県京都郡みやこ町豊津973
電話番号 0930-33-2033
FAX番号 0930-33-5037
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
  

福岡県立育徳館中学校・高等学校(ふくおかけんりついくとくかんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、福岡県京都郡みやこ町豊津にある高等学校である。

小倉藩藩校として始まり、「文武両道」「質実剛健」 を教育の柱としている。校風は牧歌的ながらも歴史を踏まえた、所謂「硬派」で厳しい伝統はあったが、近年では中高一貫化と前後して単一的な進学校としての指針が強まって来ている。

なお、九州で、1758年(宝暦8年)設立の福岡県小倉藩の思永斎(しえいさい)より以前に設立された学校で、現在まで存続しているのは、1670年(寛文10年)設立の長崎県大村藩の五教館(ごこうかん、現・長崎県立大村高等学校)のみである。九州において藩校を淵源とする高等学校としては、他に1773年(安永2年)の薩摩藩造士館(ぞうしかん、現・鹿児島県立甲南高等学校)、1781年(天明元年)の佐賀藩弘道館(こうどうかん、現・佐賀県立佐賀西高等学校)、1783年(天明3年)の久留米藩の明善堂(めいぜんどう、現・福岡県立明善高等学校)、1784年(天明4年)の福岡藩の修猷館(しゅうゆうかん、現・福岡県立修猷館高等学校)がある。

またこの学校の校歌を作詞したのは、夏目漱石の門下生として知られる小宮豊隆である。

目次

[編集] 沿革

  • 1758年(宝暦8年)5月1日 小倉藩小笠原忠総により,藩校思永斎が開校する。その後、思永館として城内に学館を興す。
  • 1866年(慶応2年)長州征伐(小倉戦争)にて、小倉藩高杉晋作、山縣狂介(維新後山縣有朋)ら率いる奇兵隊、報国隊を主力とする長州藩に破れる。この時、小倉城と共に思永館焼失 。小倉藩と共に香春町をへて豊津町(現・みやこ町)へ移り(小倉城のあった企救郡は長州藩預りとなる)、藩名を(豊津藩)とし、藩校も思永館→文武館→育徳館→育徳学校と改称する。  
  • 1874年(明治7年)育徳学校は閉校、第35番中学育徳学校として再興される。
  • 1876年(明治9年)10月29日 秋月の乱が起き、秋月党に決起を求め来るも、豊津藩士これに呼応せず。逆に乃木希典率いる小倉鎮台兵と共に秋月党と戦う。このとき校舎破損。補修の為、38日間の休校になる。
  • 1879年(明治12年)9月9日 県立となり豊津中学校と改称する。
  • 1887年(明治20年)3月31日 豊津中学校は廃校となるが、同年5月5日 県立豊津尋常中学校として再建許可。
  • 1901年(明治34年)5月4日 福岡県立豊津中学校と改称する。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 学制改革により県立豊津高等学校となる。翌年、県立豊津女子高等学校と統合して福岡県立豊津高等学校となる。
  • 1989年(平成元年)8月26日 旧講堂「思永館」福岡県文化財に指定される。
  • 1998年(平成10年)10月24日 創立240周年記念式典を行う。
  • 2004年(平成16年)中高一貫校としてスタート。
  • 2007年(平成19年)4月 校名を福岡県立育徳館高等学校に変更

[編集] 施設

  • 思永館 明治初期の洋館建築で、かつての講堂。福岡県文化財。
  • 小笠原文庫 小倉藩(小笠原藩)の貴重な歴史的資料を所蔵している。宮本武蔵の資料もある。
  • 黒門 藩校時代の校門で、東大の赤門に対しこう呼ぶ。

[編集] 名物

  • 角帽 
  • 茶摘
  • The・座(現在は解散)
  • 錦稜音楽祭(現在は廃止)

[編集] 主な著名人

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

最終更新 2009年11月25日 (水) 20:59 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【福岡県立育徳館中学校・高等学校】変更履歴

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