福本藩
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福本藩(ふくもとはん)は播磨国神東郡周辺を領有した藩。江戸時代中期より後期の間は交代寄合。藩庁として福本(兵庫県神崎郡神河町福本)に福本陣屋が置かれた。
[編集] 略史
山崎藩主であった池田輝澄はお家騒動を咎められ、鳥取藩領鹿野に堪忍料1万石を与えられていた。その子の政直は寛文2年(1662年)1万石の領地を播磨国内(神東郡・神西郡・印南郡)に与えられ立藩した。以後、当藩は鳥取藩の支藩的立場となった。
寛文5年(1665年)政直は嗣子なく没したため、弟の政武に7千石が与えられ交代寄合となった。三男の政済には3千石が分与され旗本となった。貞享4年(1687年)政武が没し嗣子の政森には6千石が与えられ、次男の政親が1千石を分与され旗本となった。以後、各家とも明治維新まで存続した。
7代喜通は安政2年(1855年)藩校「乾々館(けいけいかん)」を開いた。慶応4年(1868年)6月、鳥取藩蔵米3,500石を与えられ、また、石高直しにより10,573石となり再び立藩した。明治2年(1869年)に藩校は移設され名も「時習館」と改称された。
明治3年(1870年)11月、藩財政困窮のため鳥取藩に併合され廃藩となった。
[編集] 歴代藩主
- 池田(いけだ)家
外様 10,000石→7,000石→6,000石→10,573石 (1662年~1665年、1868年~1870年)
- 政直(まさなお)〔従五位下、能登守〕
- (政武(まさたけ)分知により7,000石、交代寄合となる)
- (政森(まさもり)分知により6,000石)
- (喜以(よしもち))
- (喜生(よししげ))
- (喜長(よしなが))
- 喜通(よしみち)〔従五位下、但馬守〕加増により10,573石、再び立藩
- 徳潤(のりまさ)〔従五位下、但馬守〕
[編集] 関連項目
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