秋村謙宏
秋村謙宏の最新ニュースをまとめて検索!
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | 山口県 |
| 生年月日 | 1966年2月26日(43歳) |
| 身長 体重 |
177cm 85kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1989年 ドラフト外 |
| 初出場 | 1990年4月7日 |
| 最終出場 | 1996年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
|
|
|
この表について
|
|
秋村 謙宏(あきむら のりひろ、1966年2月26日 - )は、プロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。山口県出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
宇部商業高校時代は2年生夏と3年生の春夏に甲子園出場。豪速球投手として注目を集めた。3年生の夏の甲子園では、三回戦で仙台商業の萩原満(のち巨人)から本塁打も放っている。
卒業後は法政大学、日本石油を経て1990年ドラフト外で広島東洋カープに投手として入団。その後日本ハムファイターズに移籍し、主に中継ぎで重用された。中日の森田幸一投手にプロ入り初打席初本塁打を献上する珍しい記録もあった。
引退後の1999年、パシフィック・リーグ審判部入局。背番号は2003年まで10[1]で、2004年以降1。奇しくも、彼の前に「1」をつけていた五十嵐洋一元副部長と入替わりで入局しており、かつ秋村は五十嵐の法政大の後輩、という間柄である。また、最初につけていた「10」の先人・斎田も、法政大の先輩である。
2008年終了時の出場試合数は816。一年目の1999年に早くも一軍試合初出場を果たし、2003年には入局5年目にしてオールスターゲーム第1戦(7月15日・大阪ドーム)で球審を務める。2006年にはパ・リーグ審判員奨励賞を受賞した。なお、現在パ・リーグ審判員は球審時に肘にサポーターをつけるのが主流となっているが、最初に採用したのが秋村だと思われる。
2007年、念願の日本シリーズ初出場を果たし、第3戦で球審を担当している。9年目での日本シリーズ出場は異例の早さである。2007年8月、『四番、ピッチャー、背番号1』(横尾弘一著)で、その歩みが取り上げられた。
2008年5月17日の試合で、タフィ・ローズを退場処分にした理由について「何かいっていたけど、それは英語で分からない。そのときの顔が侮辱行為と感じた」と説明している。
楽天の山崎武司[要出典]やドミンゴ・グスマン[2]とは因縁とも言われ、野村克也監督は「今日は審判も敵」「岩隈は審判に負けた」(2008年7月6日の試合後の会見)とストライクゾーンの判定に不満を表明している。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年度 | 所属 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安 | 被本 | 与四 | 与死 | 奪三 | 失点 | 自責 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1990 | 広島 | 33 | 1 | 1 | 1 | .500 | 233 | 57.0 | 42 | 4 | 28 | 0 | 45 | 24 | 23 | 3.63 |
| 1991 | 10 | 1 | 2 | 0 | .333 | 72 | 17.0 | 14 | 5 | 7 | 0 | 21 | 10 | 10 | 5.29 | |
| 1992 | 39 | 1 | 2 | 1 | .333 | 240 | 57.1 | 52 | 5 | 18 | 2 | 59 | 27 | 24 | 3.77 | |
| 1993 | 48 | 6 | 4 | 0 | .600 | 334 | 75.0 | 83 | 14 | 35 | 1 | 58 | 43 | 36 | 4.32 | |
| 1994 | 27 | 0 | 1 | 1 | .000 | 159 | 38.1 | 35 | 6 | 14 | 2 | 24 | 20 | 20 | 4.70 | |
| 1995 | 12 | 0 | 1 | 0 | .000 | 64 | 14.0 | 18 | 2 | 8 | 1 | 4 | 12 | 11 | 7.07 | |
| 1996 | 日本ハム | 4 | 0 | 0 | 0 | .000 | 28 | 5.0 | 7 | 2 | 5 | 1 | 1 | 4 | 4 | 7.20 |
| 通算:7年 | 173 | 9 | 11 | 3 | .450 | 1130 | 263.2 | 251 | 38 | 115 | 7 | 212 | 140 | 128 | 4.37 | |
[編集] 背番号
- 53 (1990年 - 1992年)
- 47 (1993年 - 1995年)
- 24 (1996年)
- 00 (1997年)
[編集] 個人記録
- 初登板:1990年4月7日、阪神戦(広島)0-9 2番手として5回から登板、2回2/3を2失点
- 初勝利:1990年7月7日、ヤクルト戦(山形)7x-6 5番手として9回から登板、1回無失点
- 初セーブ:1990年8月11日、阪神戦(広島)10-2 2番手として7回から登板、3回1失点
[編集] 審判としての主な実績
[編集] 脚注
- ^ 10は1982年から1990年退職まで審判部長を務めた斎田忠利が1977年初採用から1990年退職までつけていた番号で、1991年から1998年までと2004年から2005年まで空番だったが、2006年に新採用の工藤和樹がつけている。
- ^ 【9月1日】2007年 お騒がせドミンゴ1試合4ボークの新記録…暴言退場も“怪勝” スポニチ
[編集] 関連項目
最終更新 2009年11月7日 (土) 11:55 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【秋村謙宏】変更履歴

