秋田県立秋田高等学校

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秋田県立秋田高等学校
過去の名称 洋学校
太平学校中学科
秋田県師範学校
秋田中学校
秋田尋常中学校
秋田県第一尋常中学校
秋田県第一中学校
秋田県立秋田中学校
秋田県立秋田南高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 秋田県
設立年月日 1873年9月1日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科理数科
高校コード 05101C
所在地 010-0851
秋田県秋田市手形字中台1番地
北緯39度44分13秒東経140度8分2秒
電話番号 018-832-7200
FAX番号 018-832-2969
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
  

秋田県立秋田高等学校(あきたけんりつあきたこうとうがっこう)は、秋田県秋田市に所在する県立高等学校秋高(しゅうこう)の通称で呼ばれている。

目次

[編集] 概観

1873年(明治6年)に洋学校として設立されたいわゆる地方型の公立進学校。 学校当局が「現存する高校の中では全国で4番目の歴史を持つ」と主張していたこともあった[1]が、現在では学制公布以後の創立校に限定しても少なくとも8番目以降の創立であることが判明している[2]

学校全体の校訓として掲げられているのは、『品性の陶冶』『学力の充実』『心身の練磨』の3つである。

校風は、全校を挙げて文武両道[3]の実現を推進しているほか、自主自律の精神が尊重されており、県内の全日制高校としては唯一、私服通学の自由(着装の自由)が認められている。

県内の学校には秋田県立大曲農業高等学校(旧農業試験場並びに農業専修科が独立)、秋田県立秋田明徳館高等学校(旧通信課程が独立)など、この学校から派生した学校もある。

戦前、対外試合等の場で生徒が「矢留(やどめ)軍」と自称し、野球部等のユニフォームにも「YADOME」と記していた時期があるため、他の高校の校史や郷土史関係の資料には「矢留中学」と誤記されることがある。

また、秋田大学教育文化学部附属中学校からの進学者が多いことも特徴の一つである。

[編集] 沿革

[編集] 略歴

創立は1873年(明治6年)9月1日。秋田町東根小屋町日新学校内に設置された洋学科(洋学校と称する)に始まる。太平学校中学科、同変則中学科、秋田県師範学校中学師範予備科を経て、1882年(明治15年)7月1日に秋田中学校として独立。さらに秋田尋常中学校、秋田県第一尋常中学校、秋田県第一中学校を経て、1901年(明治34年)7月に秋田県立秋田中学校。戦後の学制改革により1948年(昭和23年)4月1日、秋田県立秋田南高等学校となったが、1951年(昭和28年)4月1日に改称し、現名に至る。

[編集] 年表

  • 1873年9月 - 秋田市東根小屋町日新学校内に洋学科を増設、洋学校として開校。
  • 1874年5月 - 洋学校は伝習学校と統合し太平学校と改称。校舎を秋田市東根小屋町旧藩校明徳館跡に新築。洋学校を中学科に改称し、中学科(洋学校の後身)と伝習科(伝習学校の後身)を併置。
  • 1876年9月 - 中学科を変則中学科と改称。
  • 1878年3月 - 太平学校を秋田県師範学校に改称。変則中学科を中学師範予備科に改称。
  • 1882年7月 - 中学師範予備科を廃して秋田中学校と改称。
  • 1882年9月 - 秋田中学校開校。
  • 1886年8月 - 秋田尋常中学校と改称。
  • 1893年1月 - 校章を三剣菱章に改定。
  • 1898年4月 - 秋田県第一尋常中学校と改称。
  • 1899年4月 - 秋田県第一中学校と改称。
  • 1901年7月 - 秋田県立秋田中学校と改称。
  • 1916年5月 - 校旗制定。
  • 1922年7月 - 校歌制定。

(中略)

  • 1948年4月 - 秋田県立秋田南高等学校と改称。夜間課程、通信制課程を併置。
  • 1951年4月 - 男女共学を実施。
  • 1953年4月 - 秋田県立秋田高等学校と改称。
  • 1962年3月 - 秋田市手形大松沢に校舎移転。
  • 1964年4月 - 定時制課程が秋田東高等学校として独立。(後に通信制課程も秋田東高校へ移行)
  • 1968年4月 - 理数科1学級設置。当初は入学者選抜時に普通科・理数科それぞれを個別募集。
  • 1971年11月 - 着装自由化開始。
  • 1988年4月 - 2学期制開始。
  • 1998年4月 - 普通科・理数科くくり募集開始。

[編集] 歴代校長

歴代の学校長一覧[4][5][6][7](氏名右上に*印を付したものはこの学校の出身者)
代数 氏名 在任期間 出身地 前職 後職 備考
初代 金子精一 1873.9.1 - 1875.2 群馬 大阪理学所少助教
第2代 頓野馬彦 1875.2 - 1878.2.26 山口 秋田県学務課長専任 兼補解除 秋田県学務課長兼務
第3代 青木保 1878.2.27 - 1879.1 山口 太平学校副校長
第4代 頓野馬彦 1879.1 - 1881.2 山口 秋田県学務課長専任 兼補解除 秋田県学務課長兼務
第5代 田中精一 1881.2 - 1882.3.9 新潟
第6代 頓野馬彦 1882.3.10 - 1883.2.16 山口 秋田県学務課長専任 山口県書記官 秋田県学務課長兼務
森可次 1883.2.17 - 1883.10.31 青森 秋田中学校一等教諭 心得解除 学校長心得
第7代 関藤成緒 1883.11.1 - 1887.3.9 東京 文部省報告局兼普通学務局 宮内省図書寮御系譜課 秋田師範学校長兼務
第8代 多田政固 1887.3.10 - 1887.11
尾泉良太郎 1887.11 - 1888.5.6 山形 学校長心得
第9代 松田晋斎 1888.5.7 - 1890.4.7 愛媛
尾泉良太郎 1890.4.8 - 1890.6.9 山形 学校長心得
第10代 山本宣喚 1890.6.10 - 1892.11.3 静岡
杉谷佐五郎 1892.11.4 - 1893.1.18 東京 学校長心得
第11代 戸澤鼎 1893.1.19 - 1895.9.23 長野
第12代 杉谷佐五郎 1895.9.24 - 1898.11.11 東京 京北中学校教頭
緒方三之助 1898.11.12 - 1898.12.27 鹿児島 学校長心得
第13代 武田安之介 1898.12.28 - 1903.12.13 広島 函館中学校校長
第14代 添田飛雄太郎 1903.12.14 - 1907.3.24 秋田 早稲田大学講師 退職
第15代 太田達人 1907.3.25 - 1910.9.12 岩手 京師大学堂副教習 横手中学校校長
第16代 湯目補隆 1910.9.13 - 1912.10.1 宮城
第17代 児玉實徳 1912.10.2 - 1915.9.1 宮城 高知県立第一中学校校長
濱武元次 1915.9.2 - 1915.10.17 長崎 秋田中学校首席教諭 事取解除 学校長事務取扱
第18代 安岡又三郎 1915.10.18 - 1919.4.24 高知 安積中学校校長 高田中学校校長
第19代 鈴木保臣 1919.4.25 - 1919.10.11 三重 秋田高女校長 (在任中死去)
久保芳之助 1919.10.12 - 1920.1.12 京都 秋田中学校首席教諭 事取解除 学校長事務取扱
第20代 三澤力太郎 1920.1.13 - 1924.3.30 長野 伊丹中学校校長 退職
第21代 西居霊證 1924.3.31 - 1929.8.30 大阪 大阪市立児童相談所長 退職
第22代 小松重造 1929.8.31 - 1932.3.30 山形 大館中学校校長
第23代 小野襄 1932.3.31 - 1934.6.27 青森 退職
第24代 玉木正行 1934.6.28 - 1946.11 山口 能代中学校校長 退職
第25代 中川秀松 1946.11 - 1951.3.31 秋田 秋田高女校長 角館高校長
第26代 高橋一郎 1951.4.1 - 1956.7.1 秋田 横手美入野高校長
長南健也 1956.7.2 - 1956.7.10 山形 秋田高教頭 事取解除 学校長事務取扱
第27代 村岡一郎* 1956.7.11 - 1963.3.31 秋田 藤里村 秋田県教育研究所長
第28代 鈴木健次郎* 1963.4.1 - 1967.3.31 秋田 日本教育テレビ 退職
第29代 山本一 1967.4.1 - 1970.3.31 千葉 秋田南高校長 退職
第30代 菊地俊一 1970.4.1 - 1975.3.31 岩手 秋田県教育次長 退職
第31代 小田島邦夫 1975.4.1 - 1980.3.31 秋田 秋田県教育センター所長 退職
第32代 秋山光雄 1980.4.1 - 1985.3.31 秋田 秋田県教育庁主幹[8] 退職→秋田経法大附高校長
第33代 畑澤潤一* 1985.4.1 - 1987.3.31 秋田 教育庁主幹[8]兼高校教育課長 退職
第34代 榊田清 1987.4.1 - 1988.3.31 秋田 大館鳳鳴高校長 退職
第35代 室田弘* 1988.4.1 - 1993.3.31 秋田 角館南高校長 退職
第36代 椎名光雄 1993.4.1 - 1995.3.31 秋田 能代高校長 退職
第37代 松岡正樹* 1995.4.1 - 1997.3.31 秋田 能代工高校長 退職
第38代 池田好道* 1997.4.1 - 2000.3.31 秋田 退職→秋田経法大附高校長
第39代 高橋幸臣 2000.4.1 - 2003.3.31 秋田
第40代 菅原洋* 2003.4.1 - 2006.3.31 秋田 退職
第41代 柴田義弘* 2006.4.1 - 2008.3.31 秋田 横手高校長 退職
第42代 菊谷一* 2008.4.1 - 秋田 秋田県教育次長
  • 第14代添田飛雄太郎は、在任中の大規模な同盟休校事件及びその後の混乱の責を負い退職。のち1908(明治41)-1924(大正13)年衆議院議員。
  • 第15代太田達人は大学予備門時代の夏目漱石の学友。1915年(大正4年)学校長事務取扱浜武元次は五高生徒時代、夏目漱石に師事。
    太田の在任中、戦艦三笠土崎港沖に錨泊した折、これを観艦しようとボート部員10名が短艇で三笠に向かう途中、激浪に洗われ転覆、このうち3名が溺死する事故があった。太田はこの責を負い更迭された。なお、三笠は日本海海戦時の聯合艦隊旗艦。日本海海戦当時は、大学予備門で太田の同期であった秋山真之第一艦隊先任参謀として三笠に乗艦していた。
  • 第16代湯目補隆は、仙台一中「明治二十九年事件」の当事者。
  • 第28代鈴木健次郎は、文部省、福岡県教育委員会、日本教育テレビを経て秋田高校に招聘された熱心な社会教育活動家。文部省時代は公民館制度創出にたずさわり「公民館運動の父」(または単に「公民館の父」)と呼ばれた。秋田高校赴任後は多くの生徒に影響を与え、特に、鈴木がしばしば用いた「汝何のためにそこにありや」という訓戒は、鈴木の後輩教師やその当時教え子であった教師たちを通じて、今日にも伝えられている。

[編集] 基礎データ

[編集] 所在地

秋田市手形字中台1番地(1962年(昭和37年)2月27日以降)。

校舎は秋田市街を見下ろす高台に位置する。校舎の裏山は太平山より連なる森であり、校舎付近にカモシカ、クマが出没することもある。

[編集] 交通

  • JR秋田駅より徒歩30分
  • 秋田中央交通手形山経由大学病院線大松沢バス停より徒歩5分
  • 排気量50ccを超える車輌による通学は禁止されている。

[編集] 象徴

[編集] スクールカラー

。校旗や運動部ユニフォーム等にこの色が採用されている。

[編集] 徽章

1883年(明治16年)から中学校の「中」の字を単純図案化したものを徽章としていたが、1893年(明治26年)、三菱にローマ字のY字形を組み合わせた形の「三剣菱章」に改定された。意味は「智、徳、体の三育に型どり、稜星にして剣形は之を貫徹せしむ」とされている[9]

[編集] 校旗

校旗は創設以来たびたび焼失したり、改変されたりしたが、基本的には紫を地に、中央に金糸刺繍の三剣菱章、地布の外側を金糸モールで囲んだものが使用されている。

[編集] 制服・制帽

概観沿革に記したとおり、いずれも着装・着用は義務づけられていない。

男子
黒の学生服に所定のボタン(徽章を浮き彫りにした燻し金色の丸形ボタン)を付けたもの。衿の学年章、学級章は廃止。学校章(徽章)の佩用は任意。また制帽が存在し、所定の学生帽に2本の白線と徽章を付けたものとなっている。
女子
セーラー型紺色ツーピース。衿と胸当てに灰色綿テープをつけ、上衣は前あき、3つボタン、スカートは前後3本のまわりひだにステッチを掛けたもの。夏季は上衣の身頃と袖を白シャークスキンとしたもの。制帽は存在しない。

[編集] 校歌・応援歌等

  • 歌い継がれているもの[4]
    • 校歌(作詞:土井晩翠、作曲:梁田貞
    • 秋高賛歌(秋高創立100周年記念制定)
    • 副歌
    • 校友会歌(作詞:古村精一郎、作曲:山田耕筰
    • 矢留軍の歌
    • 秋高堅陣の歌(作詞:伊藤裕、作曲:小田島次郎)
    • 野球部歌
    • ボート部歌(作詞:古村精一郎)
    • 庭球部歌<その一>
    • 庭球部歌<その二>
    • ラグビー部歌
    • 凱歌<その一>
    • 凱歌<その二>
    • 応援団歌
    • 秋高剣道部歌(作詞作曲:高田充男)
    • 秋高音頭(作詞:伊藤裕、作曲:佐々木竹治、振付:藤蔭清枝)
  • かつては存在したが既に生徒によって歌い継がれてはいないもの[4]
    • 野球応援歌(やじうた)
    • 秋高応援歌(作詞:後藤毅、作曲:佐々木竹治、創立90周年記念制定)

[編集] 教育・制度

[編集] 教育課程

  • 全日制課程
    • 普通科(1年生は全員が普通科で芸術・武道の選択科目以外にカリキュラムの差はなく、2・3年生は文系と理系のコースに分かれる)
    • 理数科(1クラス。2・3年生のみ)

2・3年生においては、普通科文系コース、普通科理系コース、理数科それぞれでカリキュラムが異なる。理数科は普通科理系コースと比べても理数科目の単位数が多く、また体験的・主体的学習を主眼とした「理数セミナー」科目が設けられている[10]。1968年(昭和43年度)の理数科創設以来、普通科と理数科は入学試験の時点から別々に募集していたが、1998年(平成10年度)からは両科を一括して募集し、1年時に行われる文系・理系のコース選択希望調査の際に理数科希望者を募り、2年生へ進級する際に普通科と理数科に分かれる「くくり募集」形式へと変わった。この制度移行の関係上、1998年(平成10年度)入学者は推薦入試が実施されていない(推薦入試は翌年から復活し、現在は後述の前期選抜の形式をとっている)。

[編集] 日課・学期

  • 授業は55分6コマ制。
  • 学期分けは、前後期の2学期制を採用している。そのため、9月末から10月初旬にかけて数日間の「秋休み(秋季休暇)」が存在する。

[編集] 学区

  • 全県1学区。
  • 学制改革直後から2004年(平成16年度)まで実施されていた学区制期間中は、県北・県央・県南の3学区のうちの県央学区であった。

[編集] 定員

  • 前期選抜 32名
  • 一般選抜 283名
  • 後期選抜 0名

(2006年(平成18年度)入学生から)

1999年(平成11年度)までは一学年400名、全校生徒1200名を超えていたが、少子化に伴う全県的な中学生徒数減少の影響から、定員は削減傾向にある。

[編集] 入学者選抜方式

  • 前期選抜 - 志願理由書、調査書、面接(国語・数学・英語の口述試験を含む)による総合判定[11]
  • 一般選抜 - 学力検査(国語、数学、英語、理科、社会の5科目)、調査書、面接による総合判定。

(2005年(平成17年度)入学生から)

学力検査に用いる検査問題は秋田県教育委員会作成の全県立高校共通のもの。

[編集] 単位取得、進級及び卒業の認定方式

各科目の単位取得認定
定期考査成績、レポート等を総合して認定される。以下の場合は単位取得認定されない。
  • 当該科目の成績が甚だしく不良の場合。
  • 当該科目の欠課時数が多い場合。
進級認定
学年末において教育課程の履修成果が満足できると認められた場合、認定される。以下の場合は進級認定されず、留級となる。
  • 過年度を含めて、単位取得すべき科目のうち3科目以上の単位を未取得の場合。
  • 欠席日数が出席すべき日数の3分の1を超えた場合。
  • 欠課時数が多い場合。
卒業認定
最終学年末において教育課程の履修成果が満足できると認められた場合、認定される。最終学年単年度に関して上記進級認定の方式が準用されるほか、以下の場合も卒業認定されず、最終学年留級となる。
  • 所定の必須科目の単位を未取得の場合。
  • 所定の総単位数を取得できていない場合。

[編集] 学校生活

[編集] 学校行事

  • 秋高三大行事[13]
    • 運動会
      毎年4月の後半に行われる体育祭。非公開。入学時に決められた「紫雲隊(しうんたい)」「赤雲隊(せきうんたい)」「黄雲隊(おううんたい)」「白雲隊(はくうんたい)」の「四雲隊」(1年次にくじで決定される)に分かれ、4軍対抗戦の形式で行われる。徒競走玉入れ棒倒しなどのほか、チアリーダーの応援演技や教諭による教科対抗リレーなどの一風変わった競技もある。
    • 秋高祭
      毎年7月上旬に2日間に渡り行われている文化祭。公開。クラブごとの出展や出店のほか、各クラスごとに世相を風刺したクラスデコレーション(クラデコ)が作られる。クラデコは来場者や在校生などの投票により順位が決められ、その順位が後述する学級対抗の組み合わせ抽選の抽選順となる。
      • 秋高祭テーマ一覧[5][14]
        • 1973年(昭和48年) 自由を見つめて
        • 1974年(昭和49年) 今、流れの中で
        • 1975年(昭和50年) 我ら遁走族
        • 1976年(昭和51年) 創世期
        • 1977年(昭和52年) 瞑想
        • 1978年(昭和53年) 完全燃焼
        • 1979年(昭和54年) 希求
        • 1980年(昭和55年) 気焔
        • 1981年(昭和56年) 破暁 -今氷刃のごとく-
        • 1982年(昭和57年) 回天 -蘇れ秋高-
        • 1983年(昭和58年) 出藍 -より鮮やかに未来を彩る-
        • 2005年(平成17年) 凜
        • 2006年(平成18年) 春
        • 2007年(平成19年) 彩
        • 2008年(平成20年) 零
    • 学級対抗
      毎年8月下旬に行われるスポーツ大会。非公開。クラスごとに分かれて野球サッカー剣道などの競技を行い、すべての競技の結果を合計・平均した総合成績が出される。なお、出場種目が早期に全て敗退したクラスは通常授業を行う。
  • その他
    • 対面式(4月)
    • 応援歌練習(4月)
    • 外部講師講演会
    • フィールドワーク(10月)
      秋田高校では、かつては2年生時に京阪神方面への普通の修学旅行が行われていたが、1997年(平成9年)頃より数年間フィールドワークに旅行形態が変更された時期があった。フィールドワークでは、そもそも参加・不参加が自由であった。参加する生徒は、北海道・東京・京都・大阪・長崎・沖縄などの複数選択肢から行き先を選択し、行き先ごとで幾つかのグループに分けられる。教師は引率するものの、生徒はグループごとにあらかじめ提出し、許可されたプランの範囲内での自由行動が可能であった(服装も高校生として常識の範疇の限り、個人の自由であった)。夜の食事も自由。しかし、2001年(平成13年)頃より学校長の交代による方針の変更で、再び1997年(平成9年)以前の形式に戻された。
    • 卒業記念祭(2月)

[編集] 部活動・同好会活動

クラブ(運動部または文化部)設立のためには生徒会員20名以上の連署による発議、生徒総会による承認が必要。一方、同好会の設立は届出制で、クラブの設立よりは容易だが生徒会予算から予算を獲得することができない。

[編集] 運動部

[編集] 文化部

  • 化学
    年1回機関誌「ION」(1952年(昭和27年)創刊)を発行する。
  • 物理
    かつて機関誌「物理研究」を発行していた。
  • 生物
    かつて機関誌「ばっけ」(1950年(昭和25年)創刊)を発行していた。
  • 地学
    年1回機関誌「シリウス」(1952年(昭和27年)創刊)を発行する。
  • 文芸
    全国高等学校総合文化祭への出場経験がある。年1回機関誌「琢磨」(1948年(昭和23年)創刊)を発行する。
  • 吹奏楽
  • 合唱
  • 書道
  • 美術
    全国高等学校総合文化祭への出品経験がある。
  • 外語
  • 社会
    年1回機関誌「南暁」(1948年(昭和23年)創刊)を発行する。
  • 写真
    全国高等学校総合文化祭への出品経験がある。
  • 茶道
  • 囲碁
    全国高等学校総合文化祭への出場経験がある。
  • 将棋
    全国高等学校総合文化祭への出場経験がある。

[編集] 同好会

  • ダンス
  • アルティメット
  • フットサル
  • バレーボール(女子)
  • バスケットボール(女子)
  • 軽音楽
  • ジャグリング
  • 料理
  • 手芸

これらのクラブ・同好会のうち、現在活動がされず事実上の休部状態にあるものもある。

[編集] 生徒会活動

原則として在校の全生徒が生徒会[15]に所属し、生徒会費納入の義務を負う。生徒会はその最高規範である生徒会会則[16]に基づき活動する。生徒会の運営機構はおおよそ以下のとおり。

  • 生徒総会
    全生徒会員(すなわち全校生徒)により構成される第一院であり、最高議決機関。総務の提出する予算案や行事案に対する質疑応答・議決を行う。
  • 評議委員会
    生徒会役員、各クラス委員長、常置委員会代表(6名)、運動部委員会代表(2名)、 文化部委員会代表(2名)により構成される第二院。総務や常置委員会の活動報告・質疑応答を行う。総会の代行議決機関でもある。委員会内で議長団(議長、副議長)が互選され、この議長団がそのまま生徒総会の議長団となる。
  • 生徒会総務
    一般にいう生徒会執行部。選挙により選任された生徒会役員(生徒会長、副会長(2名)、書記長、会計長)及び書記長により任命された書記(2名)、会計長により任命された会計(2名)により構成される[17]。生徒会報「展望」を発行している。
  • 司法委員会
    選挙により選任された5名の司法委員によって構成される。生徒会会則の擁護を任務とし、生徒会会則に反するとみなされる全ての決定・行為に対し、勧告することができる。新聞委員会を除く全ての生徒会機関の会合において(当該機関の議長の許可を得た上で)発言権を有する。
  • 会計監査委員会
    選挙により選任された3名の会計監査委員によって構成される。生徒会会計全般に渡り、年度末または任意の時点で監査を行う。
  • 選挙管理委員会
    評議委員会議長が評議委員会の承認を得て全生徒会員の中から任命した5名の選挙管理委員によって構成される。生徒会における選挙、リコール、辞任に関するすべての事務を最高の権限をもって企画・施行する。
  • 常置委員会
    厚生、図書、風紀、視聴覚、学年部、進路の各委員会で構成される。総会と評議委員会の議決事項に基づき活動する運営機関。それぞれの委員会に各クラスから1名ずつ委員が選出される。図書委員会は、図書館報「たろんぺ」を発行している。
  • 応援特別委員会
    いわゆる応援団。壮行会や運動部の対外試合などで先頭に立って応援をする。また、4月には新入生に校歌や応援歌を教える「応援歌練習」を実施する。所属を希望する生徒によって構成される。
  • 放送委員会
    選挙により選任された放送委員5名によって構成される。校内放送や行事での会場設営・音響設備の管理を行う。秋高祭では、各イベントで用いるすべての映像・音声を制作・編集する。NHK杯全国高校放送コンテストへの出場経験がある。
  • 新聞委員会
    選挙により選任された新聞委員5名によって構成される。年6回以上「秋田高新聞」(創刊年不詳)を発行する。全国高等学校総合文化祭への出場経験がある。
  • クラブ委員会
    • 運動部委員会
      各運動部1名ずつの代表によって構成される。
    • 文化部委員会
      各文化部1名ずつの代表によって構成される。
  • 予算委員会
    予算案策定時のみ組織される生徒会会則機関であり、生徒会役員、運動部委員会代表(3名)、文化部委員会代表(3名)によって構成される。議長は生徒会長。この委員会で策定された予算案が総務原案として総会に提出される。
  • 羽城編集委員会
    年度末の発行に向けて生徒会誌「羽城」(「校友会会誌」として1903年(明治36年)創刊。「羽城」への誌名変更時期不詳[18])の編集を行う臨時委員会。1,2年生各クラスから委員が選出される。
  • 行事企画委員会
    生徒会主催行事において企画の素案作りから運営管理まで多くの場面において実働的な役割を果たす生徒会長の私的諮問機関[19]。常設。所属を希望する生徒によって構成される。なお秋高三大行事においては、行事企画委員会とは別個に各行事の企画委員会及び実行委員会が組織され、行事企画委員会と共同でそれぞれの行事の企画・運営上主導的な役割を果たす。

前述の行事のうち、生徒会主催の行事についてはその企画から運営に至るほぼすべてのプロセスを生徒会(特に行事企画委員会)が中心となって進める。これは、生徒の自主性を尊重する校風によるものである。当初は生徒会総務がその役割のすべてを担っていたが、行事規模の拡大や生徒会総務の業務の多様性から、行事に関わる専門集団として行事企画委員会が、任意参加ながら多くのスタッフを抱え業務に当たっている。一年間の学校行事の日程を職員生徒合同で決定する「日程調整会議」、また行事の企画にあたっての「職員生徒合同企画委員会」などの場が設けられ、担当する職員と生徒が会議をする。

[編集] 高等学校関係者と組織

[編集] 高等学校関係者一覧

秋田県立秋田高等学校人物一覧」を参照

[編集] 校内組織

  • 学校当局
    • 幹部職員
      • 校長
      • 副校長(2008年(平成20年度)から)[20]
    • 教職員
      • 教頭(1名。副校長職導入前は2名体制)
      • 教諭
      • 実習助手
      • 非常勤講師
    • 事務職員
      • 事務長
      • 事務職員

学校運営機構としては、全職員による職員会のほか、学校運営委員会、総務部、教務部、生徒指導部、進路指導部、特別活動部、保健部、図書部、視聴覚部、研修会館運営部、校史資料部、事務部、学年主任会、学年打合会、教科主任会、教科打合会があり、そのそれぞれに職員の職階や職掌、経歴や能力に応じて若干名を配置している。また、各クラブ及び生徒会各組織のそれぞれにも1名以上の職員を顧問として配置している。

  • 生徒
    在校生徒による各組織については「学校生活」節を参照。

[編集] 高等学校関係者組織

  • 父母と教師の会(略称:PTA。1948年(昭和23年)6月19日発足)
    • 役員
      • 会長
      • 副会長(3名。うち1名は校長)
      • 会計監査委員(3名)
      • 常任委員(若干名)
      • 委員(若干名)
      • 事務局長
    • 会員
      在校生徒の保護者及び在職の教職員。

会報「たかだい」を発行している[21]

  • 同窓会(1892年(明治25年)4月1日校友会として発足。1915年(大正4年)8月22日同窓会として校友会から独立[15]
    • 役員
      • 会長
      • 副会長(5名。うち1名は校長)
      • 幹事(若干名)
      • 常任理事(若干名)
      • 理事(若干名)
      • 監事(若干名)
      • 顧問(若干名)
      • 参与(若干名)
    • 通常会員
      卒業生及び在校したことのある者
    • 特別会員
      在職職員及び職員であったことのある者

会報「秋高同窓会だより」を発行している。年次別・居住地域別・職域別に支部が組織されている。

[編集] 施設

[編集] 校地内

  • 校舎
    秋田市手形中台に移転・新築後、1981年(昭和56年)に理科棟校舎増築、さらに1986年(昭和61年)に新校舎が増築されたため、旧校舎と新校舎が渡り廊下で結ばれ、使用されている。1年生の教室は旧校舎に、2・3年生の教室は新校舎にある。増改築が繰り返されたため校舎内は大変広く複雑な構造になっている。旧校舎の方は備品含め校舎全体が古く、新校舎は秋田杉を活かした明るく開放的な空間が特徴。校長室、教職員室(通称:校務センター)、印刷室、会議室、保健室、事務室、生徒会室、放送室をはじめとした主要機能は新校舎に集中している。学校図書館は独立棟ではなく、校舎内に配置されている。蔵書数:。
  • 体育館
    2つある体育館のうち大きいほう、通称「大体育館」は耐震強度の不足が判明しており、改築工事施工中。「大体育館」と同一の構造物内には、柔道場、トレーニング室、体育教職員室、音楽室が配置されている。小さいほう、通称「小体育館」は創立90周年記念事業で同窓会員の寄付半額、県費半額により建設されたもので、講堂も兼ねている。
  • 格技場(剣道場)
  • 弓道場
  • 部室棟
  • 研修会館(創立100周年記念事業で建設)
  • 第2セミナーハウス(創立120周年記念事業で建設)
  • 校史資料館(創立120周年記念事業で建設)
  • グラウンド等
    • 第1グラウンド
    • 第2グラウンド
    • 野球場
    • 庭球コート
    • 屋内野球練習場(創立110周年記念事業で、建設費の全額を同窓会員の寄付により建設)
  • 駐輪場

[編集] その他

  • 艇庫(秋田市新屋砂奴寄2の2。秋田運河河岸)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

[編集] 脚注

  1. ^ 例えば第23代校長・小野襄は、創立60周年記念式典において「(前略)全国を通じて創立六十周年を迎えた中学校は、わずか三校にすぎない。(後略)」と述べている(秋高百年史編纂委員会 『秋高百年史』 秋田県立秋田高等学校同窓会、1973年、p.30。)。また、第32代校長・秋山光雄は校史の巻頭言において「(前略)本校は明治六年、廃藩置県の後をうけて創立された洋学校を濫觴とし、古きこと全国の第四位に位置するものであります。(後略)」と記している(百十周年実行委員・校史委員 『秋高二世紀十年史』 秋田県立秋田高等学校同窓会、1983年、p.6。)。
  2. ^ 日本の高等学校設立年表
  3. ^ 教育目標で明記されている。
  4. ^ 秋高百年史編纂委員会 『秋高百年史』 秋田県立秋田高等学校同窓会、1973年。
  5. ^ 百十周年実行委員・校史委員 『秋高二世紀十年史』 秋田県立秋田高等学校同窓会、1983年。
  6. ^ サンケイ新聞秋田支局 『伝統は生きている -秋高青春史-』 明昭会、1965年。
  7. ^ 秋田魁新報
  8. ^ 現在の秋田県教育庁主幹級とは職階が異なる。当時の主幹は課長級よりも職階が上であった。
  9. ^ 『秋高百年史』。なお、「三剣を以て智、徳、勇を表徴するの外、北国を表す六弁の雪を模したるもの」「秋田を意味する矢留を表す」等の意味づけも存在するが、これは後年の解釈である。
  10. ^ 秋田県立秋田高等学校/学校案内/学科・教育課程
  11. ^ いわゆる「推薦入試」であるが、中学校長推薦ではなく自己推薦。出願者数が募集定員の3倍を超えた場合、書類のみの審査による足切りが行われる。
  12. ^ 秋田県の県立高校では2005年(平成17年)に前期選抜・一般選抜・後期選抜の3段階選抜に移行した。但し秋田高校の後期選抜定員は0名のため、事実上3段階ではなく2段階選抜。
  13. ^ かつては弁論大会、英語暗唱大会、合唱コンクール等の生徒会主催行事が存在したが漸次減少し、1984年度(昭和59年度)、当年開催の秋田インターハイに関連する歓迎準備事業や環境整備事業等で生徒会業務が多忙となるのを理由に、それまで「秋高四大行事」のひとつとして残っていた合唱コンクールも休止されて、それ以降一度も復活することもなく、実際にも、また生徒の意識の上でも「秋高三大行事」へと収束することとなった。
  14. ^ 秋田県立秋田高等学校同窓会/母校情報/過去の母校情報
  15. ^ 1892年(明治25年)4月1日、生徒・職員・卒業生を一体とした校友会が発足。このうち卒業生を主体とした組織として1915年(大正4年)8月22日、同窓会が発足した。同窓会発足後も生徒・職員を主体とした組織としては校友会が存続。のち戦中の報国団を経て1948年(昭和23年)生徒自治会1950年(昭和25年)生徒会へと改組となった。
  16. ^ 生徒会費の額面の変更を除き、会則改正のためには評議委員会の3分の2以上の連署による発議及び全生徒会員の過半数の賛成を要する。
  17. ^ 「生徒会総務」は通称。生徒会会則には組織としての「総務」は規定されていない。
  18. ^ 1943年(昭和18年)から1948年(昭和23年)までの6年間は休刊している。創刊当初は校友会雑誌部の発行であり、寄稿者は生徒をはじめ職員、卒業生に及び、内容も校報のほか政治、経済、哲学、科学、文芸と多様であったが、復刊後は1年間の学校・生徒会・クラブの活動を振り返る卒業記念誌の色彩が強くなっている。
  19. ^ 行事企画委員会に関しては生徒会会則及びその細則上、明文の規定が存在しない。
  20. ^ 2007年(平成19年)の学校教育法改正により各教育委員会判断による副校長職設置が可能となったのに伴い、設置。初年度は秋田県知事部局行政職からの異動起用。県教育庁課長待遇。
  21. ^ 教職員と家庭(生徒保護者)との間をつなぐパイプとして、第28代校長・鈴木健次郎の提唱により「たかだい」の発行が始められた。


最終更新 2009年11月30日 (月) 06:56 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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