秋芳洞
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ファイル:Gold Column at Akiyoshi Cave.jpg
秋芳洞(あきよしどう、「しゅうほうどう」の読みは誤り、詳細は後述)とは、山口県美祢市東部、秋吉台の地下100-200mにある鍾乳洞で、約1kmの観光路をもって公開されている。
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[編集] 概略
鍾乳洞としては日本最大規模。洞窟探検家による潜水調査の結果、総延長は8,790m(日本第3位)あり、東方約2.5kmにある葛ヶ穴まで連結した。このうち、観光用に公開されている部分は約1.5kmである。
1907年、鉱山業者梅原文次郎の依頼による英国王立地学協会員エドワード・ガントレット、広島高等師範学校教授中目覚らによる調査の後、1909年に梅原文次郎により観光洞として開発された。2人が調査した当時は、地元では「水神のすみか」と伝えられており、誰も近づかなかったという[1]。1844年頃に編纂された防長風土注進案には、秋吉村の名所旧跡の項、滝穴に千畳敷や高桟敷の語が見られる。地元民が大勢して奥まで入るとも記されている[2]。国の特別天然記念物に指定されている。
秋吉台にある他の2つの鍾乳洞、景清洞、大正洞と合わせ、秋吉台地下水系という名称で2005年11月、ラムサール条約登録湿地となった。
2007年、秋吉台とともに日本の地質百選に選定された(「秋吉台・秋芳洞」)。
[編集] 名称について
洞口に滝があるために古くから「滝穴」と呼ばれていたが、1926年5月30日、東宮(後の昭和天皇)が行啓の折にこの鍾乳洞を探勝。このとき「滝穴」の名称について東宮が質問したところ、時の山口県知事大森吉五郎は、以前から称え伝えた名称であり、その所在地の者がかく称えていたと回答。すると時の内大臣牧野伸顕から、「滝穴」とは何だか名実相伴しない観があるから何とか名称をつけたらよかろうとの提案があった。これに対して大森は、天下に誇るべきこの鍾乳洞にふさわしい名を殿下から戴くことは畏れ多いので牧野内大臣から命名していただきたいと答えたが、牧野曰く、この「滝穴」の名は今回の行啓記念に殿下の思召によって近く改めて一段の光彩を添えることがよかろうとのことだった。
1926年6月17日、防長新聞は「秋吉の滝穴に入江侍従長から「秋芳洞」と命名された」と報じた。東京滞在中の大森知事から山口県に電報で通達されたが、その電文にはただ「あきよしどう」とあるのみで漢字の説明がないので「秋吉洞」と命名されたと当初は解釈された(現地の旧村名が「秋吉村」でもあった)。しかしこの字について、念のため折返し知事に照会した結果「よしの字は芳なり」との返電があったので「秋芳洞」と書くことが判明した。こうして1926年6月23日、大森知事から村長に「秋芳洞」の名が伝達された。
上述のとおり、洞穴の名称に「秋芳洞」の文字が割り当てられたこともあってか、旧来「しゅうほうどう」と読まれることが多かった。1955年に秋吉村を含む4箇村が合併した際には町名を秋芳町(しゅうほうちょう)とした。1963年に山口国体が開催された際、秋芳町が多数の観光客の来訪を予期して宮内庁に秋芳洞の読み方を再確認したところ、「あきよしどう」であるとの回答を得た。これ以後、読み方は「あきよしどう」として定着している。
[編集] 交通手段
[編集] 脚注
- ^ 『「秋芳洞」開洞100周年 ライトアップ、新聞・切手発行、写真展… 観光客増へ 準備着々』(2009年1月13日、西日本新聞)より
- ^ 山口県文書館編, 1962. 防長風土注進案:美祢宰判(復刻版).山口県立山口図書館発行




