称名念仏
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| 経典 |
| 「浄土三部経」 『仏説無量寿経』 曹魏康僧鎧訳 『仏説観無量寿経』 劉宋畺良耶舎訳 『仏説阿弥陀経』 姚秦鳩摩羅什訳 |
| 思想 基本教義 |
| 称名念仏 末法思想 |
| 関連人物 |
| 釈尊 十大弟子 龍樹 天親 曇鸞 道綽 善導 懷感 少康 空也 源信 良忍 源空(法然) 証空 弁長 幸西 長西 隆寛 親鸞 性信 真仏 唯円 如信 覚如 蓮如 一遍 聖戒 他阿 |
| ウィキポータル 仏教 |
称名念仏(しょうみょうねんぶつ)とは、仏の名号、特に浄土教においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)をいう。「称名」とは、仏・菩薩の名を称えること。また諸仏が阿弥陀仏を称讃することもさす。宗旨により、「称名念仏」を行[1]として捉える場合と、非行として捉える場合がある。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 歴史
初期の仏教では、六隨念や十隨念の第一である「仏隨念」を「念仏」と呼ぶ。
原始経典の「南無仏」のように口称念仏として仏の名を呼ぶことによって、仏を具体的に感得しようとする信者たちの願いが生じる。常に信者たちの実践と結びついていたのは「阿弥陀仏への念仏」であった。
『般舟三昧経』では、諸仏現前三昧の代表として阿弥陀仏の念仏が説かれ、これが天台宗の常行三昧のよりどころとなる。
中国では、念仏の流れとして慧遠の白蓮社の観想念仏、善導による称名念仏、慧日による慈愍流の禅観的念仏の三流が盛んになる。このように阿弥陀仏の念仏については、おおむね3つの形態がある。
日本においては、「称名念仏」が平安時代末期には主流を占め、名号を称える道を歩めば、末法の濁世でも世尊の教えを理解できると説かれ、浄土教の根幹をなす。また名号の中でも「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏が中心となる。そのような動き中で鎌倉時代中期には一遍などにより、より具体的に歓喜のこころを身振りや動作の上に表そうと「踊り念仏」が派生する。
この「称名念仏」を純粋な形で人間生存の根底にすえ生きる力を求めたのは、良忍の融通念仏であり、さらに法然や親鸞の教えであった。
彼らの教えは「称名念仏」によって、自分と仏との一体感を得て、現実を念仏とともに生きぬいてゆくものとした思想、もしくは自らが称名念仏する声を、自身が聞くことによって、仏に願われている存在であると確認し、無常なる生を生きぬいてゆく思想である。[要出典]
[編集] 『佛説無量寿経』
『佛説無量寿経』には、阿弥陀仏に現世で救われて「南無阿弥陀仏」と念仏を称える(称名)身になれば、阿弥陀仏の浄土(極楽浄土)へ往って、阿弥陀仏の元で諸仏として生まれることができると説かれている。
その故は、法蔵菩薩(阿弥陀仏の修行時の名)が、48の誓願「四十八願」を建立する。その「第十八願」(=本願)に
「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法[2]」
意訳[3] 「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます[2]。」
と誓う。そしてすべての願が成就し、阿弥陀仏に成ったと説かれていることによる。
[編集] 人物
- 善導
- 「憶念」[4]と「称名」(称える)とは同一であると主張して、称名念仏を勧めた。
- 観想念仏のように阿弥陀仏や浄土を心の中でイメージ化する瞑想は特に必要でない。したがって、特別な修行(例:日本天台宗の常行三昧)や浄土を観想するための建築空間(寺院・堂)や宗教美術(仏像・仏画)は不要となり、時間と空間を問わず誰でも称名念仏できるため、幅広い層の民衆に対する浄土教の普及に貢献した。
- 円仁(日本天台宗、慈覚大師)
- 入唐の際に五台山竹林寺を訪れて法照の流れを汲む念仏を日本に持ち帰った。これは五会念仏とも五台山念仏ともいわれ、独特の声明による称名念仏が特徴である。これが日本の称名念仏の源泉となった。
- 良忍
- 称名念仏の流れは、平安時代末期に、融通念仏の祖の良忍に受け継がれ、その後の融通念仏宗では「南無阿弥陀仏」と称え、「大念仏」という。
- 法然
- 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、「南無阿弥陀仏」をひたすら称える「専修念仏」の教えを説いた。後に法然は、浄土宗の開祖と定められる。
- 親鸞
- 法然の弟子である親鸞にも受け継がれる。後に親鸞は、浄土真宗の宗祖と定められる。
- 浄土往生の道が開けるのは、阿弥陀仏の本願によるものであり、この理(ことわり)を賜る(=信心をいただく)ことにより救われるとする。よって「阿弥陀仏より賜わる信心」を浄土往生の正因とし、その信心を賜わった後は「仏恩」に対して自然に湧き起こる「報謝」の心によるものとする。そのことを「信心正因 称名報恩」という。念仏を、極楽浄土へ往生するための因(修行)としては捉えない。
- 真盛
- 室町時代に天台宗から生じた天台真盛宗は、円戒と称名念仏を主にしている。
[編集] 脚注
- ^ 行…「行」には様々な原義・定義があるが、ここでは仏に成るための行為を指す。
- ^ い ろ 唯除五逆誹謗正法…親鸞は、『尊号真像銘文』において「唯除五逆誹謗正法」の真意を、「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。としている。
- ^ 意訳…『<浄土真宗聖典>浄土三部経 -現代語版-』29頁より引用。
- ^ 憶念…(略)東アジアの浄土教において憶念の語は、殊に、阿弥陀仏や阿弥陀仏の功徳、あるいはその本願を、思って忘れぬこと、しばしばそれを思い起こすことの意に用いられる事が多い。(『岩波仏教辞典』第二版P.114より引用)
[編集] 関連項目
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最終更新 2009年10月9日 (金) 08:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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