種子島経
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種子島 経(たねがしま おさむ、1935年10月17日 - )は、日本の実業家。元BMW東京社長。日本教育再生機構代表委員。教科書改善の会賛同者。元新しい歴史教科書をつくる会会長。福岡県福岡市出身。熊本県育ち。カワサキ・Z1製品企画担当者としても知られる。
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[編集] 経歴
[編集] 略歴
- 1954年3月 九州学院高校卒業
- 1954年4月 東京大学文科二類入学
- 1958年3月 東京大学教育学部卒業
- 1960年3月 東京大学法学部卒業
- 1960年4月 川崎航空機工業(現川崎重工業)に入社。明石工場勤労部教育課に配属
- 1965年7月 本社輸出部単車課
- 1966年1月 アメリカ・シカゴ駐在員。ロサンゼルスに移り販売網構築
- 1969年12月 帰国。明石工場技術部でカワサキ・Z1開発に携わる
- 1976年 西ドイツにカワサキモトレーンGmbH社長として赴任
- 1980年9月 帰国
- 1981年 川崎重工業単車事業本部輸出部長。後にカワサキオートバイ販売取締役販売推進部長
- 1983年8月 BMW JAPANモーターサイクル部長
- 1986年2月 代理店営業本部長
- 1986年4月 常務取締役代理店営業本部長
- 1992年10月 常務取締役サービス本部長
- 1993年7月 BMW東京社長
- 1996年12月 退任。特別顧問に(~1997年12月)
- 1998年 フォルクスワーゲン グループ ジャパン特別顧問(~2001年)
- 1999年3月 新しい歴史教科書をつくる会理事
- 2001年10月 新しい歴史教科書をつくる会副会長(~2005年9月)
- 2006年2月 新しい歴史教科書をつくる会会長
- 2006年4月 新しい歴史教科書をつくる会会長および全役職を辞任
- 2006年10月 日本教育再生機構代表委員
- 2007年 兵庫県明石市に隠居
[編集] カワサキでの活躍
アメリカでの市場開拓の結果、スズキを抜いてホンダ、ヤマハに次ぐ業界3位に浮上し社長表彰を受けた。またアメリカ勤務中からのアイデアを元に、帰国後、名車カワサキ・Z1を開発し、再び社長表彰を受けた。西ドイツでも販売網を確立。5%だったシェアを15%近くまで引き上げ、3位にした。
[編集] BMWへの転身
西ドイツ赴任時代を知るBMW幹部から手腕を買われ、1983年8月にBMW JAPANモーターサイクル部長に就任。ドイツで日本車を売ってきた立場から日本でドイツ車を売る立場への異色の転身だった。1993年7月にはBMW東京社長に就任し、業績を大幅に伸ばした。
BMW東京社長時代、世田谷支店販売課長だった林文子を、周囲の反対を押し切って新宿支店長に抜擢。その後、林はファーレン東京(現フォルクスワーゲン東京)にヘッドハンティングされ社長に就任。さらに古巣のBMW東京に戻って社長を務めた後、ダイエーの顧問、会長や日産自動車執行役員などを歴任、日本の代表的女性経営者に育った。
[編集] つくる会会長就任…西尾幹二・藤岡信勝との決別
実業界から退いた後、東大の同級生で当時、新しい歴史教科書をつくる会の会長だった西尾幹二から「財務を見てくれ」と頼まれ、1999年3月に理事に就任、一時は副会長を務めた。日露戦争について研究し、著書『くたばれ!リストラ―日露戦争に学ぶ経営・人生』を出版したり、学会に呼ばれるなどした。
明石への隠居を決めていた2006年2月、つくる会の内紛で八木秀次が会長を解任されたあおりで、会長に担ぎ出された。当初は西尾の院政による傀儡会長とみられていたが、創業者意識が強い西尾や藤岡信勝と一線を画し「創業者の時代から組織の時代へ」を打ち出した。しかし西尾や藤岡が八木を追及する動きを強めたことから見切りをつけ、2006年4月、八木らとともに辞任した。辞任のあいさつ文で「私は、日本では日本人、アメリカではアメリカ人、ドイツではドイツ人をマネージして、40年間、ビジネスを展開して参りました。だが、『つくる会』の理事諸侯の一部に関してはマネージ不能であったことを遺憾とします。彼等は、ルールを守る、ボスの方針に従う、などの国際基準を全く無視しますので、マネージできないし、彼等との仕事は、賽の河原で石を積む子供たちのような空しさの繰り返しにしかならないのです」などと藤岡らを批判した[1]。
内紛の内幕について「狂乱の春―『つくる会』会長職2ケ月」[2]という文章を発表。藤岡について「ガリレオ・ガリレイ以前の天動説論者、自分が宇宙の中心で、その周りを万物が回ると思い込んでいる。自分以外のルールなど一切認めず、すべては自分のため、と考え、それを邪魔しそうな者に対しては全身全霊で呪いを吹っかけて、抹消し去ろうとする」と指摘。西尾、藤岡を「この二人はいずれ劣らぬ自分中心の天動説論者で、宿命的に仲が悪いのだが、ただ、誰かを呪い潰そう、という際にだけ共同戦線を組むこともある。いうなれば呪い仲間である」と評した。「狂乱の春―『つくる会』会長職2ヵ月」は、つくる会の内紛を知る上で基礎的な資料となっている。
現在、八木らが設立した日本教育再生機構の代表委員を務めている。
[編集] 著書
- 『モーターサイクルサムアメリカを行く』(ダイヤモンド社、1976年)
- 『カワサキZ1開発物語―New York steak story』(グランプリ出版、1985年)
- 『異色のライダー―清原明彦物語』(グランプリ出版、1986年)
- 『Z1開発物語』(ライダーズクラブ、1990年)
- 『外資系の強さを日本企業で生かす82のポイント―デフレで威力を発揮する攻撃型マネジメント』(第二海援隊、1999年)
- 『くたばれ!リストラ―日露戦争に学ぶ経営・人生』(ミルトス、2002年)
- 『チャレンジ!わが人生』(ミルトス、2005年)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 明石暮らし(種子島のブログ)
- 狂乱の春―「つくる会」会長職2ヵ月
最終更新 2009年9月18日 (金) 10:06 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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