稲田大二郎
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稲田 大二郎(いなだ だいじろう、1947年 - )は、日本のチューニングカーコメンテーター。 自動車・バイクの専門誌の出版社三栄書房元編集局長。 愛称は『Dai』。他にも『GOGO』、『不死身の男』(後述)、『暴走機関車』とも呼ばれている。長崎県出身。学習院大学除籍[1]。
三栄書房のモータースポーツ雑誌『オートスポーツ』の編集部を経て、日本初の自動車チューニング専門誌『Option』を立ち上げた、全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)の生みの親としても有名。 『Option』創設当時から、チューニングカーの普及に努めており、東京オートサロンの前身であるエキサイティングカーショーの発起人でもある。 近年ではキャンペーンガールばかりが目立つ東京オートサロンを批判的に思い、チューンドカー中心のイベントを再びとして、エキサイティングカー・ショーダウンも開催している。また、チューンドカーの地位向上を図るため、「走るからこそ環境を考えよう」のキャッチフレーズを持ち、『Option Land』としてNPO活動もしている。
[編集] 略歴
若い頃は雨宮勇美率いる「影」と言う名のチームに所属する筋金入りの走り屋だった。主に東名高速道路にて日野・コンテッサでキャノンボールレースをしていた。その当時、ミラー部品1つの交換や、タイヤをインチアップしただけで違法改造として警察に厳しく取締まられる不条理さに疑問を抱き、その想いが後に『Option』創刊のきっかけとなったと発言している。
車のチューニングの分野では常に第一人者として君臨しており、レーシングドライバー以外では、最高速チャレンジに最も慣れ親しんでいる人物である。 最高速企画は、わずかなミスやトラブルで死亡事故に直結するにもかかわらず、ほぼ全ての企画を引き受けていた。 しかし、兄弟誌『Option2』編集長であったマサ・サイトーこと斎藤政夫が最高速記録テスト中の事故で他界した事がきっかけで暫くの間、最高速トライアルは自粛していた。
『Option』や『Video Option』で発表された形としては、1991年にアメリカのボンネビルスピードウェイにて、VG30DETTを搭載されたJUNオートメカニックチューンの日産・フェアレディZ(Z32)にて、E/BMSクラスにおいて419.84km/hを記録し、ワールドチャンピオンに輝いた(正確にはこの速度でエンジンブローしてしまったのだが、この記録は今も破られていない)。ちなみにこの時は別クラスにて、車両制作者であるJUNオートメカニック小山進が同一車にて421km/hのワールドレコードを記録している。また、速度制限の無い一般公道のドイツ・アウトバーンにて一般車が混じる中、BLITZがチューニングしたBNR34型スカイラインGT-R、通称R-348を駆り、343.35km/hという速度も記録した(公式な物では、クローズドコースは9ffチューンのポルシェ・911が388km/h、一般道をクローズした物を用いた記録ではポルシェ・911の347km/hが世界記録)。
レーシングドライバーでは土屋圭市との交流が深く、星野一義、高橋国光とも人脈を持つ。 特に土屋圭市にとって稲田はアマチュア時代からの師匠の一人とも言うべき間柄で、土屋によると青年時代に東京に来た際、寝る場所もなかったということから、稲田の計らいで雑誌Optionの編集部で寝泊りさせてもらったというエピソードがあるとのこと。また自身が出演した「ザ・峠」が暴走行為を助長するとして発禁処分になった際、日本自動車連盟(JAF)からライセンスを剥奪処分されると検討された時に、真っ先に弁護してくれたのは稲田であったという。
チューニング関係では上記のRE雨宮に加え、ヤシオファクトリーの岡村和義と仲が良いことで知られ、岡村氏には自身の車の修理やチューニングも任せている。 ちなみに、D1参戦車両であるストリームZ GT Jr.は千葉のトップシークレットが製作、海外での最高速チャレンジ車両ストリームZはJUNオートメカニックが勤めた。
年齢による体力、判断力の低下のため、2006年9月のシルバーステイツを最後に公道最高速企画を引退した。最終的に、世界最速の称号はボンネビル、ニュージーランド、シルバーステイツの3ステージ全てで達成する事が出来なかった。
[編集] エピソード
『Option』や『Video Option』内にて「不死身の男」と書かれる事が多い。以下理由。
- 300km/hを超えるスピードが出る谷田部高速試験場にて、バンク内でガードレールに接触させるも、そのまま走行。
- 同じく谷田部のバンク内でコントロールを失った際もそのまま停止。
- バンク内にてタイヤバーストが起きたがそのまま停止。
- 300km/hで走行中、鳥が正面グリルへ突き刺さるも、そのまま走行。
- 速度を恐れてアクセルを抜いた車は今のところ2台しかない(1台は銭谷自動車が開発したRB26搭載のシルビア。だが、速度ではなく、ボディ剛性が低すぎたことが原因。もう1台はリコーレーシングが製作したアリストで、エンジンがSR20DET+トラストT67タービンという仕様だが、窓ガラスが存在せず、120km/h以上では風圧で息ができなかったとのこと)。
- ダートオーバルにて横転するも、無傷で生還した。
- 特筆すべきは2003年にストリームZ 1号機で参加したシルバーステイツでの大事故。この事故では344km/hで左リアタイヤが破裂し、240km/hまで減速するものの、その後スピンして道路外に投げ出された。この際に10回転もしたことから、彼の生死が心配されたものの、持ち前の不死身ぶりを発揮し、大事故にもかかわらず、打撲とムチ打ちのみで無事生還した。
- トレインカーレース(アクセルとブレーキに分かれた2台の車を鎖で繋ぎ、加速と減速を各々で行うレース)でブレーキを担当していた際(アクセル担当車は岡村和義)、ダートに突入し横転した。しかし無傷で生還し、ガッツポーズを見せる。実況の鈴木学にはこの光景を見て、実況が出来ないほどに笑われた。
[編集] 脚注
- ^ 『Video Option』Vol.145のDVDボーナストラックにて、自分の口から除籍と言っている。
最終更新 2009年7月30日 (木) 04:33 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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