稲荷山古墳

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稲荷山古墳

稲荷山古墳
位置 北緯36度7分45.81秒
東経139度28分51.66秒
所在地 埼玉県行田市埼玉
形状 前方後円墳
規模 全長120m、高さ11.7m
築造年代 5世紀後半
出土品 金錯銘鉄剣国宝)、画文帯神獣鏡、勾玉など
史跡指定 昭和13年(1938年)国指定
  

稲荷山古墳(いなりやまこふん)は、埼玉県行田市埼玉古墳群内にある古墳。同名の古墳は各地にあるため、埼玉稲荷山古墳と呼ばれることもある。

目次

[編集] 概要

  • 墳丘長120メートル
  • 後円部径62メートル・高さ11.7メートル
  • 前方部幅74メートル・高さ10.7メートル

埼玉県第二位の規模の大型前方後円墳である。左くびれ部分には造り出しがある。墳丘は二段に築成されており、葺石が使用された形跡は無い。方形をした二重の周濠を持ち、濠の深さは築造当時の地表面から約1.8メートルと推定されている。周濠は通常は空で、水位が上がったときに水が溜まったものと考えられている。 造営年代は、古墳時代後期の5世紀の第4半期と考えられている。埼玉古墳群中では最初に築造された。

稲荷山古墳は大仙陵古墳と墳形が類似していることが指摘されている。大仙陵古墳を四分の一に縮小すると稲荷山古墳の形に近くなる。また埼玉古墳群の二子山古墳鉄砲山古墳も大きさは異なるものの稲荷山古墳と同じ墳形をしており、やはり大仙陵古墳をモデルとした墳形と見られている。埼玉古墳群以外に大仙陵古墳を縮小した形で造営された古墳としては、岡山県両宮山古墳が挙げられる。

後円部の円頂には埋葬施設の復元模型があり、階段で登れば見ることが出来る。埼玉古墳群内の大型古墳で登ることができるのは、丸墓山古墳とこの稲荷山古墳である。

前方部分は、1937年に周辺の沼地の干拓工事の際に埋め立て用の土として取り崩された。その後1968年に埋葬施設の発掘調査、1973年には周堀の調査が行われ、1976年に内堀の一部が復元された。しかしこの状態では古墳の保存状態が悪く、見学者には墳丘の形などにつて誤解を与える可能性があったが、2003年の復元工事でほぼ修復される。

もともと墳頂部に稲荷社が祀られていたのでこの名があるが、水田中にあったので土地の人は「田山」とも呼んでいた。

[編集] 副葬品

埋葬施設は、礫槨(れきかく)と粘土槨(ねんどかく)の二つがある。

  • 礫槨からは、画文帯神獣鏡1、勾玉(まがたま)1、銀環1、金銅製帯金具1、鉄剣2、鉄刀4、鉄鉾2、桂甲1、馬具一式、鉄鏃約200などが出土した。
  • 粘土槨は、盗掘されていたため鉄刀、桂甲、馬具などの断片を検出した。

[編集] 未発見の埋葬施設

この古墳の礫郭及び粘土郭は後円部の中央からややずれたところにあるため、中央にこの古墳の真の造墓者の為の主体部が有ると考えられている。また、後円部の両端近くにそれぞれ一つずつ埋葬施設があると推測する学者もいる。

また1937年に前方部を崩したときに石組みが出てきて、中から固まった鏃、錆びた刀などが出土したと伝えられている。

[編集] 鉄剣

1968年の発掘調査において金錯銘鉄剣(稲荷山鉄剣)が後円部分から発掘される。1978年、この鉄剣に115文字の金象嵌の銘文が彫られていることが判明。国宝に指定される。 鉄剣や銘文の詳細は、鉄剣・鉄刀銘文金錯銘鉄剣参照。

[編集] 被葬者

被葬者ヲワケは、豊富な副葬品をもって葬られており、大首長またはその一族の有力者であった可能性が高いとみることができる。

ヲワケの出身をどのように考えることができるかで各種の説があるが、大きく三つの説に分けることができる。

  1. ヲワケを畿内の有力首長とし、礫槨被葬者はその部下で、この鉄剣を下賜されたとする説は、オオヒコが阿倍臣・膳臣の祖であることから両氏の内の一人とみる。
  2. 畿内の有力者であるが、東国に派遣されて礫槨の被葬者になったとする説。
  3. ヲワケを東国の首長とし、礫槨の被葬者とする説。

以上三つの説は、まだ仮説であり、いずれも決定的な証拠はない。

王賜銘鉄剣によって、5世紀中葉期の関東の小首長が大王の基に武人として奉仕していたことが分かっている。第三の説の立場に立つと、ヲワケも伝統を受け継いで宮廷に出仕し、その力量を認められる幸運に恵まれて「杖刀人首」の地位を得たとも推量でき、また、自身の出自の由緒を誇示しようとして、八代の系譜を造作したと考えられる。だから銘文の末に「吾が奉事の根源を記す也」と特記している。このことから、ヲワケが、絶頂期にこの鉄剣をつくり、宮廷で誇示したものであろうことも推測できる。

また第一の説、第二の説の立場に立てば、日本書紀によると534年、安閑天皇より笠原直使主(かさはらのあたいおみ)が武蔵国国造を任命され、埼玉郡笠原(現在の鴻巣市笠原)に拠点を持ったとされる。何の基盤の無い当地に突如として、関西に匹敵する中型前方後円墳が現れた事、鉄剣に彫られたヲワケの父の名のカサヒヨがカサハラと読める事からを考えれば、笠原を本拠としたといわれる武蔵国国造の墓ではないかという説もある。

[編集] 関連項目


最終更新 2009年7月30日 (木) 11:34 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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