穂口雄右
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穂口 雄右(ほぐち ゆうすけ、1948年1月24日 - )は、日本の作曲家。東京都出身。日本大学芸術学部中退。社団法人日本音楽著作権協会評議員、日本作詞作曲家協会理事、株式会社アムバックス音楽出版代表取締役、株式会社アムバックス・エディケイト代表取締役会長。愛称:ベートーベン。
目次 |
[編集] ジャニーズ時代の参加バンド
[編集] その他の参加バンド
- アウト・キャスト
- 津々美洋とオールスターズ・ワゴン
- 猪俣猛とサウンドリミテッド
- 稲垣次郎とソウル・メディア
[編集] 人物・来歴
- 16歳の時にジャニーズ事務所に入り、ジャニーズのバックバンド「嶺のぼるとジャニーズ・ジュニア」に、オルガニストとして途中から短期間だけ一時参加し、プロの音楽活動を開始。
- ジャニーズ事務所から渡辺プロダクションへ移籍し、まだ高校生だった1966年6月、水谷淳(後の水谷公生)、轟健二(後の松崎澄夫、アミューズ副会長)らと、伝説のGSバンド「アウト・キャスト」を結成。 オルガニスト、キーボーディストとして活動した。 当時のマスターテープがほとんど紛失している中、アナログ盤から音源が起こされてCDが再発売されるなど、マニアに根強い人気を持つ。
- 1967年秋に「アウト・キャスト」を脱退し、「津々美洋とオールスターズ・ワゴン」に途中から加入した。
- 日本大学芸術学部在学中に編曲家の森岡賢一郎氏に抜擢され、19歳で当時最年少のスタジオ・ミュージシャンとなり、多くのレコーディングセッションに参加。 水谷公生、武部秀明(元「アダムス」の千原秀明、愛称:チー坊、2002年没)、戸叶京介の洋楽コピーバンド「オールド・グランド・ダッド」や、ジャニーズ時代の盟友・田中清司らと参加したバンド「ピープル」など、数え切れない程多くの場所でスタジオワーク、及びアレンジャーサポート活動を行った。
- 23歳からは編曲家に転向。更に25歳からは、作曲家としての活動も開始した。渡辺プロダクション出身ではあるが宮川泰らのように専属契約ではなかったため他のプロダクションのアーテストにも曲を提供している。
- 作曲家としては主に女性アイドルの楽曲を手がけた。作風は従来のアイドル歌謡に留まらない幅広いものであり、当時まだ歌謡界では馴染みの薄かったソウルミュージックやゴスペル調の楽曲を提供する等先見性のあるところを見せていた。
- 1982年の34歳の時に、原宿に音楽学校『プロフェッショナルミュージックスクール AMVOX(アムバックス)』を設立(その後、世田谷区用賀駅下車すぐの地に移転)。講師として現在も活動中である。
[編集] 代表作『春一番』について
- 作詞、作曲、編曲を担当した代表作『春一番』(1976年 キャンディーズ)は、テレビCMなどで繰り返し放送され国民的歌謡曲となっている。もともとはアルバムに収録された一楽曲にすぎなかったが、ファンクラブからの意見で後にシングルカットされたという逸話がある。[1]
- 1996年12月に発生した「ペルー日本大使公邸占拠事件」では、「ラジオアメリカ」が『春一番』(他に「上を向いて歩こう(SUKIYAKI)」「コンドルは飛んでいく(ペルー民謡)」「ラジオ体操」)を日本語放送して当時人質となっていた方たちを励ました。
[編集] 音楽著作権問題の活動
- 旧態依然とする音楽業界に対してインターネット時代の音楽や著作権のあり方について具体的な提言を行える数少ないジャスラック評議員。
- テレビ朝日ミュージックの著作権管理の問題点をホームページ上で指摘をした所、記事の削除と金1000万円の損害賠償の支払いを求めて提訴された事がある。しかしこれは、自作品の出版管理をめぐって行った至極当然な主張であった為、裁判長の勧告によって和解となり、朝日ミュージックに関する記述も削除された。 尚、ホームページ上で指摘したという問題点の詳細については、和解条項により現在では公表出来ない事になっている。[2]。
[編集] 主な提供作品
- RCサクセション
- ぼくの好きな先生(編曲)
- あいざき進也
- 気になる17才(作曲/編曲)
- アグネス・チャン
- ポケットいっぱいの秘密(作曲)
- 石野真子
- 失恋記念日(作曲/編曲)
- 岩崎宏美
- 二十才前(作曲/編曲)
- 神田広美
- 人見知り(作曲/編曲)
- 哀しみ予報(作曲/編曲)
- ジャスミンアフタヌーン(作曲/編曲)
- 北村優子
- ハロー・サンシャイン(作曲/編曲)
- キャンディーズ
- 香坂みゆき
- 愛の芽ばえ(作曲/編曲)
- 郷ひろみ
- 林寛子・小泉今日子
- 素敵なラブリーボーイ(作曲)
- 山口百恵
[編集] 主なCMソング
[編集] アウト・キャスト
- 1966年
- 穂口雄右:オルガン
- 轟健二(後の松崎澄夫):ボーカル
- 水谷淳(後の水谷公生):リード・ギター
- 片桐周一:リズム・ギター
- 大野良二:ベース
- 中沢啓光:ドラムス
- 1966年 - 1967年夏
- 穂口雄右:オルガン
- 轟健二:ボーカル
- 水谷淳(水谷公生):リード・ギター
- 藤田浩一:リズム・ギター
- 大野良二:ベース
- 中沢啓光:ドラムス
- 1967年夏 - 1967年秋
- 穂口雄右:オルガン
- 轟健二:ボーカル
- 水谷淳(水谷公生):ギター
- 大野良二:ベース
- 中沢啓光:ドラムス
[編集] ディスコグラフィ
- シングル
- 「友達になろう c/w 気ままなシェリー」 (1967年1月25日)
- 「愛することは誰でもできる c/w 電話でいいから」 (1967年4月10日)
- 「レッツ・ゴー・オン・ザ・ビーチ c/w エンピツが一本」 (1967年7月10日)
- 「一日だけの恋 c/w 僕のそばから」 (1967年10月15日)
- アルバム
- 「君も僕も友達になろう」 (1967年11月10日)
[編集] 脚注リンク
[編集] 外部リンク
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最終更新 2009年12月4日 (金) 03:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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