競輪プログラム改革構想

競輪プログラム改革構想の最新ニュースをまとめて検索!

競輪プログラム改革構想(けいりんプログラムかいかくこうそう)とは、1983年4月〜2002年3月まで実施された競輪の番組スキームのことを指す。

業界ではKeirin Program Kaikaku(競輪プログラム改革)の頭文字を取りKPK(けーぴーけー)、KPK制度と略されることが多い。以下本記事でもKPKの略称を使用する。

目次

[編集] KPK実施の背景

KPK実施前の競輪の番組体系はA級が5班、B級が2班に分かれる「2層7班制」であったが、例えばA級戦においては、最上位にあたるA級1班 (A1) と最下位にあたるA級5班 (A5) が対戦することがあった。

しかしA1とA5では、ファンの間では「大相撲で例えるならば三役力士三段目が対戦するようなものだ」とも称され(実際、A1所属の選手には特別競輪(現在のGI)優勝者も多く含まれるのに対し、A5所属の選手では一般戦の決勝戦に進出することもままならないほど、実力差は大きく開いていた)、その結果、例えば記念競輪における中日(2日目)の準決勝では連勝単式なのに100円台の配当のオンパレードとなっていた。

したがって、ファンは車券を的中させても結局損する(いわゆる「取りガミ」、「取り損」と言われるもの)ケースが多く、競輪はやっても儲からないと思われるようになり、それが原因となって次第にファン離れを起こすようになった。

そこで、実力を拮抗させ、配当もそれなりに高配当が望めるようなものにできないかと考え出されたのがKPKであった。

[編集] S級の誕生

KPK制度下では、A級の上に新たにS級(スター級)を設け、最上位級班をS級1班(S1、130名)とした。

そしてS級は3班までとされ、選手数もS1・S2・S3を合わせてもわずか430名程度という狭き門となった。他にA級は4班、B級は2班設けられ、3層9班制に改められた。

S級戦は特別競輪(現在のGIGII) 、記念競輪(現在のGIII)、準記念競輪(後にS級シリーズと名称を改める。現在のFI)に限られたが、当初は記念競輪が年間2節、準記念競輪が年間3節(特別競輪開催の場合は6日間1節)の開催にとどめられ、それだけに希少価値の高い開催となった。

しかしながらKPK開始当初は実力伯仲のあまり、落車、失格が急増するという一面も覗かせた。また、車券が急激に取りにくくなったといった声も上がった。したがって実施当初は鳴り物入りで導入されたにもかかわらず、競輪人気回復への大きな起爆剤とはならなかった。

ちなみにS級選手のレーサーパンツには7つの星がかたどられているが(A級は当時白3本線。B級は当時白2本線)、これはスター級の選手であるということを意味するものである。

[編集] KEIRINグランプリの誕生

実施3年目となる1985年、5番目の特別競輪として8月に全日本選抜競輪を開催することが決まったが、それだけではまだまだ大きな人気回復への起爆剤とはなりえなかった。

そこで同年12月にKEIRINグランプリが実施されることになり、この大会を開催したことにより競輪の人気は多少持ち直すことになった。そしてこの大会を契機に、S級上位クラスのレースを増発すればファンの興味はまだまだ大きいと確信した競輪界は、続々と新たなビッグレース(現在のGI・GIIに相当)を開催するようになる。

一方で、グランプリの開催はS級を新設したからこそ実施できたレースだと言うこともでき、実施3年目にして漸くKPKの効果が表れることにも繋がった。

[編集] 普通開催の低迷。S級選手斡旋過多問題

一方でKPK制度下では、次第に普通開催(現在のFII)の人気が下降線を辿るようになり、特別競輪では開催すればするほど売上げが倍々ゲームのように伸びていったにもかかわらず、全開催の8割を占める普通開催の売上げは下がる一方となったことから、次第に普通開催については赤字化が顕著になり、S級戦をほとんど開催できない借上施行者が相次いで撤退するという事態が生じるようになった。

加えてKPK制度の晩年には、S級シリーズの年間開催節数を増やしてほしいという施行者の希望もあって、年間3節から5節に増やす場が現れたが、一方でS級の選手数はそのまま据え置かれたため、斡旋をこなせないとする選手が急増。直前欠場のケースも相次ぎ、一方で前検日を除くと「中ゼロ日」で競走に参加する選手もしばし現れるようになった。

競輪界では1999年初頭に、「競輪ビッグバン」と題した競輪番組改革草案を表明し、スポーツ新聞紙上でも概要が掲載された。一番の目玉はグレード制の導入であったが、番組スキームについても刷新する必要性に迫られていた。

[編集] KPKから現在の番組制度へ

KPKについては当初の目的であった級班の細分化による実力拮抗の戦いという点については果たされたが、一方でファンが望むS級戦の拡大については、KPKの制度下では不可能となった。

また、施行者側は記念競輪開催における場外拡大を希望するようになり、KPK制度下でも維持されてきた記念競輪開催の前節・後節の2節6日間制が障壁となった。

したがってKPK制度に代わる新たな番組スキームが求められるようになり、S級は2班制に改められて選手数を大幅に拡大し(概ね430名→概ね890名)、B級を廃止してA級に統合し、A級は3班制として生まれ変わることになった。これらについては2002年4月より実施されることとなり、その結果KPKは廃止されることになった。

[編集] KPKがもたらしたもの

KPK制度は晩年になって破綻をきたすことになったが、現在の競輪番組スキームにおいてもKPKが基本ベースとなっている。

また、S級については後にオートレースでも導入されることになったばかりか、従来、A・B・Cというランク付けだった競艇においても、A・B級に改める一方でA・B級それぞれに競輪でいうところの班制度のようなものを設け、その結果A1・A2・B1・B2という形に改められた。

したがってKPKは他競技においても大きな影響を与えることになった。

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月10日 (土) 10:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
【競輪プログラム改革構想】変更履歴

ご利用上の注意