竹橋

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東京都千代田区から。(2006年6月)

竹橋(たけばし)は東京都千代田区北の丸公園にあるである。清水濠の上に架り、一ツ橋一丁目と北の丸公園とを結んでいる。

目次

[編集] 概要

徳川氏の関東入国以前にすでに存在していた。

竹橋の名は、を編んで渡した橋だったからとも、また後北条家の家臣・在竹四郎が近在に居住しており「在竹橋」と呼んだのが変じたものとも言われる。

「別本慶長江戸図」には『御内方通行橋』と記してあり、主として大奥への通路に用いられたようである。

現在では、しめやかなたたずまいを見せる皇居の水堀と喧騒甚だしい神田オフィス街や首都高速道路竹橋ジャンクションとに囲まれている。橋の上をそぞろ歩く外国人観光客が江戸城の石垣を眺めて飽きず、それを後ろからジョギングランナーが走り抜いてゆくという、いかにも東京らしい光景を生み出している。

内堀通り竹橋交差点と千鳥ヶ淵交差点を結ぶ公道(代官町通り)の一部をなしており、橋の両詰に毎日新聞東京本社丸紅ビルヂング、東京国立近代美術館を擁している。代官町通りは自動車の往来が激しい。東京地下鉄(東京メトロ)東西線竹橋駅が橋東詰にある。

[編集] 竹橋事件

1878年明治11年)8月23日、橋西詰にあった近衛砲兵大隊竹橋部隊の兵卒、三添卯之助、小島萬助等約260名が兵役制度や西南戦争の行賞について不平を懐き、週番士官深沢巳吉大尉らを殺害、行賞削減を企図したと言われた大蔵卿大隈重信公邸に砲撃を加え、周辺住居数軒に放火、さらに天皇のいる赤坂仮皇居に進軍し集まる参議を捕らえようとしたが、近衛歩兵隊、鎮台兵により鎮定されるという一大騒乱があった。

これが竹橋騒動竹橋事件あるいは竹橋の暴動などと言われるものである。旗を用いて合図を送るなどかなり計画的なものだったらしい。騒乱に加わった者のうち三添ら53名は同年10月15日銃殺刑に処せられている。のちに軍隊の思想統一を図る軍人勅諭発案のきっかけとなり、また近衛兵以外の宮城警備組織として門部(のちの皇宮警察)を設置するきっかけとなった事件である。太平洋戦争後まで真相が明らかになることはなかった。

内務省の判任官西村織兵衛は事件の起こる直前の夕方に神田橋で叛乱計画の謀議を知り、内務省に立ち戻り書記官に急を知らせた。この通報により蹶起計画は事前に漏れていたのだが、阻止することはできなかった。[1]

[編集] その他

三菱東京UFJ銀行竹橋支店は竹橋の名が付いているが、入金照合サービスで使用する被振込専用支店であるため、実店舗としては存在しない。

[編集] 脚注

  1. ^ 岩倉具視書翰 大木喬任宛 明治11年8月23日『大木喬任関係文書』国会図書館 資料請求番号S38-001

[編集] 関連項目

最終更新 2009年10月22日 (木) 11:28 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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